市川喜一著作集 > 第7巻 マタイによるメシア・イエスの物語 > 第37講

第三節 ピラトの裁判

ピラトの尋問(27・11〜14)

 最高法院がイエスに死罪の判決を下して、死刑を執行してもらうためにイエスを縛ってローマ総督ピラトに引き渡した場面まで語ったところで、ユダの自殺の記事を入れたマタイは、ピラトによるイエスの尋問の場面(二七・一一〜一四)を再開します。ピラトの法廷の場面は、基本的にはマルコと同じです。
 ピラトの尋問は、「お前がユダヤ人の王なのか」という問いです。大祭司らがピラトに訴え出た訴因はとくに報告されていませんが、ピラトの質問から見て、イエスはメシアを自称して、ローマに対する反逆を扇動する者であると訴えたことが分かります。ルカ(二三・二)はピラトへの訴えの内容を、「この男はわが民族を惑わし、皇帝に税を納めることを禁じ、また、自分が王たるメシアであると言っていることが分かりました」と伝えています。最高法院は、神を汚す者という宗教的な理由で死刑に定めたのですが、宗教的な問題でローマの法廷に訴えることはできないので、反ローマ運動の扇動という政治的理由で訴えて処刑を求めたのです。
 おそらく、ピラトのこの問いには驚きと侮蔑が混じっているのでしょう。ユダヤ人の権力者たちがローマへの反逆を企てる危険人物として引き渡した人物は、逮捕に向かった部隊に何の抵抗もせず捕らえられ、僅かの追従者たちにも見放されて、縛られた姿で立っている三十歳代の普通のユダヤ人です。おそらく、ピラトのもとにはイエスがナザレの大工であり、、最近僅かの弟子を引き連れてガリラヤの各地で新しい教えを説いて回り、貧しい民衆の帰依を得ていたカリスマ的な宗教指導者であるという情報は届いていたことでしょう。ユダヤ人の宗教熱心に手を焼いていたピラトは、このような一介の大工をメシアとしてかついで騒ぎを起こすユダヤ人を侮蔑して、「またか」という思いでこの質問を発したのでしょう。
 ピラトの尋問に対して、イエスはただ一言、「そう言うのはあなたの方だ」(私訳)と答えられます。裁判の場でイエスは沈黙を押し通されますが、イエスが法廷で発せられたただ一つの言葉がこれです。イエスがユダヤ人の王であると言う(主張する)のは、イエス自身ではなく(イエスご自身は公にメシアであると主張されたことはありません)、イエスをピラトに訴えたユダヤ人であり、それを受けてイエスをローマへの反逆者として処刑しようとしているピラトの方です。イエスはすでにご自身の受難が神の定めによるものであることを受け入れておられます。そして、今ピラトがイエスの処刑を実行する立場にある神の道具であることも認めておられるのです。ローマに対する反逆者を意味する「ユダヤ人の王」という称号を、ピラトが処刑の理由として言い張ること(ヨハネ一九・一九〜二二)、そう言い張らざるをえないことも見抜いておられるのです。法廷でイエスが発せられたこの唯一の言葉は大切に伝承されて、四つの福音書すべてに記録され伝えられています。
 この後も祭司長たちはイエスの福音告知活動での些細な言動を捉えて、イエスが民衆の反ローマ感情を扇動するいかに危険な人物であるかを言い立てます。しかし、イエスはもはや一言も答えようとはされません。「あのようにお前に不利な証言をしているのに、聞こえないのか」と、抗弁を促すピラトに対してもイエスは沈黙を通されます。おそらくピラトは、自分を死に追い込もうとする激流の中で、このように泰然と黙することができる人物の威厳と神秘に打たれて、畏怖を覚えたことでしょう。

バラバの釈放とイエスへの死刑判決(27・15〜26)

 ここまでのピラトの訊問とイエスの答えの記事については、マタイはマルコに従っていますが、ピラトがバラバを釈放してイエスに死刑の判決を下す部分(二七・一五〜二六)では、マタイはかなりマルコから離れて編集の手を加えています。共通の基本的な部分、すなわち祭りの度に囚人一人を特赦で釈放する慣行、バラバという人物、ピラトがイエスの無実を認めて釈放しようとしたこと、ねたみの動機、祭司長たちに扇動されて群衆がイエスの十字架刑を求めたことなどについて、とくにイエスが処刑されることになってバラバが釈放されたことの信仰的意義については、すでに『マルコ福音書講解U』の87「ピラトの法廷」で詳しく述べていますので、それを見ていただくことにして、ここではマタイの記事の特色に重点をおいて見ていきます。
 ピラトは、イエスがローマへの反逆を扇動する者であるという確実な証拠を見出すことができないので、ユダヤ教最高法院からのイエス処刑の要求に困惑します。下手に扱えば自分の政治的将来に影響します。それで、最高法院の要求を拒否することなく、イエスを釈放する手段として、祭りのさいに囚人一人を釈放するという慣行を利用しようとします。ピラトは、民衆は当然イエスを釈放するように求めると考えていたのでしょう。それで、公開の法廷で、集まってきた人々に提案します。「あなたたちはどちらを釈放してほしいか。バラバ・イエスか。それともメシアといわれるイエスか」(二七・一七)。この提案の理由については、マタイはマルコに従って、「人々がイエスを引き渡したのは、ねたみのためだと分かっていたからである」と説明しています(二七・一八)。
 マルコは「暴動のさい人殺しをして捕らえられていた暴徒の中に、バラバと呼ばれる男がいた」(マルコ一五・七私訳)と書いていますが、マタイは暴動とか暴徒という説明を略して、ただ「評判の囚人」としています(二七・一六)。ピラトの時代には熱心党によるローマに対する独立運動がだんだん過激になり、テロ事件も頻発していたので、「暴動のさい人殺しをして捕らえられていた暴徒」という具体的な説明は自然なことで、マルコはその説明を忠実に伝えています。ところが、マタイの時代は、すでにエルサレム神殿はローマ軍によって破壊され、ローマによる支配は一段と強化された時代ですから、暴動とか暴徒というような過激派を指す用語は使いにくかったのでしょう。
 ところで、マタイは「あなたたちはどちらを釈放してほしいか」という選択を、「バラバ・イエスか。それともメシアといわれるイエスか」と書いて(二七・一七)、たんに「バラバか、イエスか」というよりも、その選択の意義を劇的に表現しています。二人は同じ「イエス」という名であったのです。ピラトの問いは、「どちらのイエスを釈放してほしいか」という問いになります。これはマタイだけが伝えている事実です。ユダヤ人の男性の名として「イエス」は珍しい名ではなかったので、二人が同名であることは十分ありうることです。「バラバ」というのは呼び名で、「バル・アッバ」(師父の子)という意味です。バラバは高名な律法教師の子で、反ローマ独立運動の指導者として民衆の間で人気の高い人物であったので、「バラバ」という呼び名で広く親しまれていたのだと思われます。

 バラバの本名がイエスであることを伝えているのはマタイだけであり、そのマタイの写本にも「バラバ・イエス」と書いているものは、それほど多くありません。それで、バラバの本名をイエスと見てよいのかどうかについては、ずっと議論が続いてきました。これはすでにオリゲネスも指摘している点ですが、本来イエスという本名が知られていたのであるが、暴徒に救い主と同じ名を用いるのを避けて、伝承とか写本の段階で落ちていったのではないかと考えられます。現在の底本はイエスを[ ]に入れて、「バラバ・イエス」という読み方に写本上の問題があることを示していますが、新共同訳はこの読み方を採用して訳しています。

 ここで、ローマ総督によってユダヤ民族に選択が迫られているのです。バラバ・イエスによって代表される武力闘争によって異教徒支配を覆し神の支配を実現しようとする路線を選ぶか、ナザレのイエスが宣べ伝えた恩恵の支配としての霊的・終末的神の支配を受け入れる道を選ぶのか、選びの民イスラエルに選択が迫られているのです。イスラエルはバラバを選ぶことによって破滅への道を進むことになるのです。
 ここでマタイは、マルコにはない(そして他のどの福音書にもない)独自の記事を挿入します。ピラトが裁判の席に着いているとき、ピラトの妻が使いを送って、「あの義人に関係しないでください。その人のことで、わたしは昨夜、夢で随分苦しめられました」と言ってきたのです(二七・一九)。誕生物語によく用いられているように(一章二〇、二章一二、一三、一九、二二節)、マタイは夢を神からの啓示の手段として重視していますので(新約聖書で夢という語が出てくるのは、使徒言行録二章のヨエル書の引用を別にして、マタイ福音書だけです)、ここでもピラトの妻の夢でイエスが義人であることを強調するのです。
 「二人のうち、どちらを釈放してほしいのか」というピラトの問いかけに、裁判の席に居合わせた祭司長たちや長老たちに扇動されて、群衆は「バラバを」と叫びます。公開の裁判の席で、祭司長たちが群衆をどのように「説得した」(新共同訳)のか分かりませんが、おそらく群衆の先頭になって真っ先に「バラバを」と叫んだのでしょう。ピラトが、「では、メシアといわれているイエスの方は、どうしたらよいか」という問いかけに、群衆は「十字架につけろ」と叫びます(二七・二〇〜二二)。十字架刑はユダヤ教の処刑法ではなく、ローマが反逆する属州民に科す処刑法です。ここでユダヤ人群衆がイエスを異教の支配者に引き渡しているのです。
 ピラトは、「いったいどんな悪事を働いたのか」と言って、無実の人間を処刑することをためらいますが、ますます激しく「十字架につけよ」と叫ぶ群衆に押し切られます(二七・二三)。ここまでは、マルコと同じですが、マタイは次にマタイだけの独自の記事を入れます。ピラトは騒動になることを恐れて群衆の声に屈しますが、そのさい群衆の前で水で手を洗い、「この人の血について、わたしには責任がない。お前たちの問題だ」と言います。ピラトは、イエス処刑は自分の責任ではない、ユダヤ人自身の問題だとするのです。それに対して、ユダヤ人の群衆はこぞって、「その血の責任は我々と子孫にある」と答えます(二七・二四〜二五)。ユダヤ人は民族全体としてイエス処刑の責任を引き受けたというのです。「そこで、ピラトはバラバを釈放し、イエスを鞭打ってから、十字架につけるために(処刑を執行する兵士たちに)引き渡した」のです(二七・二六)。
 この中で、マタイだけにある二四〜二五節、とくに二五節の「その血の責任は我々と子孫にある」という記事は、その後のユダヤ人の歴史に重大な影響を及ぼしました。どの福音書もイエスの処刑については、ローマの責任を軽くしてユダヤ教側の責任を重く描く傾向があります。これは、ローマが支配する社会でイエスの福音を宣べ伝えるにさいして、イエスはローマの支配者も無罪であることを認めており、イエスを信じる信仰はローマ社会に危険なものではないと弁証するための護教的動機から出ています。ローマの責任を軽くする分、ユダヤ教側の責任を重くすることになります。マタイはこの傾向を徹底しています。ピラトは水で手を洗うという象徴的な行為をもって、自分はイエスの処刑について責任がないことを公に宣言し、イエス処刑はユダヤ人の中の問題だと宣言します。すなわち、イエスの処刑はローマには責任はなく、ユダヤ人に責任があり、ユダヤ人自身が「その血の責任は我々と子孫にある」と叫んでその責任を認めている、とマタイは書くのです。
 この「その血の責任は我々と子孫にある」という言葉が新約聖書にあるため、その後の歴史においてキリスト教会がユダヤ人を迫害することが正当化されました。ユダヤ人は神の子であるイエス・キリストを殺した民であるから、子々孫々にいたるまでその責任を追及されるべきであるという考えが、この言葉によって根拠づけられてきました。しかし、この言葉は、ユダヤ教会堂と厳しい対決の状況にあるマタイの共同体が、その時代のユダヤ教に向かって投げつけた断罪の言葉であるという点を見落としてはなりません。先に(314頁「マタイの反ユダヤ教論争」の項で)見ましたように、マタイの論争と断罪はユダヤ教内部の論争なのです。イエスをメシア・キリストと信じるマタイのユダヤ人共同体と、彼らを異端として迫害する当時のファリサイ派ユダヤ教会堂との論争なのです。マタイがその責任を求めるのは、ユダヤ人全体ではなく、イエスを拒否したユダヤ教最高法院やファリサイ派会堂なのです。彼らはエルサレム神殿の破壊、ユダヤ人の追放というような厳しい審判を受けました。しかし、神はマタイの共同体をはじめ、多くのイエスを信じるユダヤ人を残されて、最後にはユダヤ人を救われます。パウロがローマ書九〜一一章で述べていますように、ユダヤ人は最後まで救済史の中心にいます。この言葉を根拠にして、キリスト教徒がユダヤ人をユダヤ人であるからといって迫害するのは、甚だしい聖書の読み違えです。