市川喜一著作集 > 第7巻 マタイによるメシア・イエスの物語 > 第30講

第四節 エルサレムでの三つのたとえ

「二人の息子」のたとえ(21・28〜32)

 エルサレムに現れて神殿で激しい批判の行動をするイエスを憎み殺そうとする勢力(マタイでは祭司長たちや長老たち)に対して、イエスは三つのたとえを用いて反論し、彼らの不信を詰問されます。その三つのたとえの中、第二の「ぶどう園の悪い農夫」のたとえはマルコにもあり、マタイはほぼ同じ形で用いています。第一の「二人の息子」のたとえはマタイだけの独自のもので、第三の「王の婚宴」のたとえも(ルカにはありますが)マルコにはなく、マタイは他の二つのたとえを加えることによって、「ぶどう園の悪い農夫」のたとえによる反論を拡大し、マタイ独自のユダヤ教批判を展開することになります。
 第一の「二人の息子」のたとえ(二一・二八〜三二)は、神の国に先にはいるのは「あなたたち」(祭司長や律法学者たち)ではなく、「徴税人や娼婦たち」であるということを指摘している点では、イエスの福音告知そのものであり、とくにマタイの独自性はありません。マタイの独自性は、このたとえを洗礼者ヨハネに対する二つのグループの態度のたとえとしてここに置いたことにあります。ユダヤ教指導者層は律法を行うことに熱心で、その点で神がこれをせよと求められることに「はい」と答えていたことになります。ところが、神が洗礼者ヨハネを遣わして実際に律法の実行を求められると、ヨハネを信じないで拒否しました。それに対して、「徴税人や娼婦たち」は律法を知らず、神がこれをせよと求められることを拒んでいたが、洗礼者ヨハネが現れて義の道を示すと、ヨハネを信じて悔い改め、神の国に入る者となった、というのです。

 このたとえの核には、「徴税人や娼婦たちが(律法学者たちよりも)先に神の国に入る」(三一節後半)という、イエスの福音告知を語る確固とした語録伝承があると見られます。それは、マタイが「神の国」という表現を残していることにもうかがえます。なお、「先に入る」という表現は、セム的語法では、順序を示すのではなく、先に入って独占することを意味し、徴税人や娼婦たちだけが入って、律法学者たちは入れないと言っているのです(J・エレミヤス)。マタイはこの語録を核にして「二人の息子」のたとえを構成するのですが、ややぎごちない印象を受けます。新共同訳は「兄」と「弟」と訳していますが、これがぎごちない印象を与える一つの理由になっているようです。放蕩息子のたとえでもそうですが、聖書はだいたい弟の方が神の御心にかなう者として選ばれています。原文は語りかけた順序を示す「第一の者」と「他の者」であって、兄と弟という関係ではありません。さらに、洗礼者に対する態度についても、律法学者たちの態度はたとえの「弟」と正確に対応していないように思われます。

「ぶどう園の悪い農夫」のたとえ(21・33〜46)

 次に「ぶどう園の悪い農夫」のたとえ(二一・三三〜四四)が置かれています。このたとえの核心は、イエスを殺そうとしているユダヤ教指導者層は、神が最後に遣わされた「子」を殺そうとしているのであることを指摘する点にあります。先の「二人の息子」のたとえで、神からの使者である洗礼者ヨハネを拒否したユダヤ教指導者たちの不信が語られましたが、続いてこのたとえで,彼らは今や神が最後に遣わされた「息子」をも殺そうとしているのだと、彼らのイエスに対する拒否と殺意が糾弾されます。

 マタイはマルコ(一二・一〜一二)の記事をほぼそのまま踏襲していますが、細かい点で書き換えているところもあります。このたとえの意義については、『マルコ福音書講解U』65「ぶどう園農夫の譬」で詳しく論じましたので、それを参照していただくことにして、ここではマタイの特色だけにとどめます。このたとえは、イエスが語られた素朴な形から、初期の教団で伝承されていく過程で「寓喩化」されていることがうかがえます。すなわち、イエスは比較点を一点にしぼった単純な比喩を用い、それによって聴衆の決断を迫られるのが普通ですが、そのたとえを初期の教団が伝承していく過程で、たとえの中の個々の細目に意味を持たせて一つの物語にする(寓喩にする)という変化が起こります。
 このたとえの場合、「トマス福音書」65に伝えられている形がいちばん素朴で、イエスの語られた元の比喩の形に近いと考えられます。そこでは、ぶどう園の所有者は収穫の実りを得るために僕を遣わしますが、農夫たちは僕を殴りつけて追い返します。僕は主人に報告し、主人は別の僕を送りますが、農夫たちはその僕も殴って追い返します。三回目に主人は自分の息子を送ります。ところが、息子は相続人であることを知って、農夫たちは息子を捕らえて殺してしまいます。たとえはここで終わっています。このたとえは三つの共観福音書すべてに伝えられていますが、その中でルカ(二〇・九〜一九)がもっとも素朴な形を残しています。ルカはイザヤ書五章を用いてぶどう園をイスラエルに関連づけることなく、僕も一人づつ三回派遣されるだけで、誰も殺されていません。マルコになると、ぶどう園はイザヤ書五章を用いてイスラエルを指すことが示唆され、派遣される僕もイスラエルの歴史における預言者たちの運命を描くために、回数も人数も多くなり、殺される者も出てきます。マタイは基本的にマルコの寓喩化された形を用いています。ただ、派遣される僕が最初から複数で、彼らは農夫たちにたたかれ、殺され、石打にされます。続いてさらに多くの僕が派遣されますが、この第二群の僕たちも第一群の僕と同じ扱いを受けます。これは旧約聖書において預言者が「前の預言者」と「後の預言者」に区別されていたことに対応させたのでしょう。マタイが寓喩化をもっとも強く押し進めていることが読みとれます。

 共観福音書の著者たちは神殿が崩壊したことを知っており、それが神の子であるイエスを殺したことへの神の裁きであるとしているので、イスラエル滅亡の象徴として農夫に対するぶどう園主人の厳しい処罰が語られ、ぶどう園が「ほかの人たち」に与えられることが続きます。この部分(マタイで言えば二一・四〇以下)は、本来のイエスのたとえにはなく、イエスを神の子として宣べ伝えた初期の教団が寓喩を自分の時代まで延長したものと見なければなりません。そのさい教団は、イスラエルの指導者たちによって捨てられ、十字架につけられたイエスこそ、神が復活させて神の国の「隅の親石」(土台石)とされた方であることを証明するのによく用いた詩編(一一八編二二〜二三節)をここでも引用し、そのことによって、このたとえの「息子」が自分たちの宣べ伝えているイエス・キリストを指していることを明示しています。

 この「隅の親石」がイエスを信じないイスラエルにとっては「つまずきの石」になるというのは、初期の教団が好んで用いた象徴でした(ローマ九・三二〜三三、ペトロT二・六〜八)。この石がイスラエルを押し潰す石となるという語録(ダニエル書二・三四〜三五参照)が、やや不自然な位置(四四節)に置かれていますが、この四四節を欠く写本もあり、ルカ二〇・一八からの挿入ではないかと見られています。

 マルコは、イスラエルから取り上げられた神の国は「ほかの人たち」に与えられるとしていますが、マタイは「季節ごとに収穫を納めるほかの農夫たち」とし、その寓喩的な表現を自ら解釈して「神の国はあなたたち(イスラエル、ユダヤ人)から取り上げられ、それにふさわしい実を結ぶ民族(単数形、キリストの民を指す)に与えられる」と明言します(四三節)。ここにも、ユダヤ教会堂と訣別し、異邦人世界に活路を求めようとしているマタイの教団の状況がうかがわれます。マタイはイエスのたとえを拡大して寓喩化し、自分の時代までの救済史の大枠を語る寓喩にしていることが分かります。

「王の婚宴」のたとえ(22・1〜14)

 マタイはさらにもう一つ、マルコにはない「王の婚宴」のたとえ(二二・一〜一四)を続けます。このたとえはルカ(一四・一五〜二四)に同じような内容の「盛大な宴会」のたとえがあり、共通の資料から取られていることをうかがわせます。しかし、マタイはかなり大きな改変を加えて、独自の寓喩的な物語に仕上げています。

 同じ内容のたとえはトマス福音書(64)にもあり、三つを比較すると、トマスとルカが(多少の編集の跡が認められますが)基本的には本来の形を残しているのに対して、マタイはかなり大きく編集の手を加えて拡大していることが認められます。まず、このたとえの主人公は、トマスとルカでは僕を一人しかもっていない一私人ですが、マタイでは多くの家来を持ち、軍隊を派遣することもできる王になっています。トマスとルカでは、宴会は私人の宴会ですが、マタイでは王が王子のために催す婚礼の宴会になっています。宴に招かれた人が招待を断る理由が、トマスとルカでは、畑を買った、牛を買った、妻を迎えたなどとかなり具体的に細やかに描写されていますが、マタイは「無視した」の一言で済ませ、その代わり、「王の家来たちを捕まえて乱暴し、殺した」と、トマスやルカにはない行動を入れています。招待客が断ったことに対して、トマスでは、主人は道端で出会う人を手当たり次第連れてくるように命じて、たとえは終わります。ルカでは、その前に「貧しい人、体の不自由な人、目の見えない人、足の不自由な人を連れてくる」ようにという命令が与えられており、それでも空席があるので、道端で会う人を無理にでも連れてくるという二段構え(イスラエルの中の罪人たちと異邦人の二段構成)になります。しかし、断った人々に対しては、トマスもルカも「彼らはわたしの食事を味わうことはない」という宣言が向けられるだけで、たとえは終わります。ところが、マタイでは、招待を断った者たちは王の家臣を殺したのですから、「王は怒り、軍隊を送って、この人殺しどもを滅ぼし、その町を焼き払った」という結末になります。そして、その後で、「見かけた者は誰でも婚宴に連れてきなさい」となります。さらにマタイでは、婚宴が始まって、王が礼服を着けていない者を見て、その者を外にほうり出すという(マタイだけの)結末が続きます。「軍隊を送って、・・・・その町を焼き払った」という言葉が示しているように、マタイはこのたとえを自分の時代の状況を物語る寓喩にしていることは明らかです。

 ルカがこのたとえを置いている位置からも分かるように、このたとえは本来、イエスが徴税人や遊女たちと食事を共にされたことを批判した律法学者たちに対してなされた福音弁証のたとえであり、放蕩息子や見失った羊のたとえ、ぶどう園の労働者のたとえなどと同じく、神の国はこのような貧しい者たちのものであるという弁証なのです。ところが、マタイはそのたとえを寓喩化して、自分の時代の福音告知を描く物語にしています。すなわち、「食事の用意が整いました」と伝える王の家来たちは、神の子が自分の民を花嫁として迎える準備ができたという福音を伝える使徒たちであり、あらかじめ選ばれていた招待客はイスラエルの民であるが、彼らは神の招きを無視し、使徒を殺しさえしたのです。それで神は彼らを見捨て、彼らの町エルサレムを外国の軍隊によって焼き払い、彼らの代わりに町の大通りで見かけた者はだれでも婚宴に連れてくることになります。すなわち、異邦の諸民族の者で神の子の婚宴の席は満たされることになります(八・一一〜一二参照)。
 最後に加えられた礼服を着ていない者のたとえ(二二・一一〜一三)は何を意味するのかについては議論が続いていますが、これはその位置からして、このように無条件に御子の婚宴にあずかるようにされた者も、その席ににふさわしい振舞いをしなければならない、そうでなければ、すなわち王の意志にそった姿で席にいなければ、最後の審判においてふさわしくない者として外の暗闇に放り出されるという、マタイに特徴的な教団に対する警告(七・二一〜二三参照)を加えていると見てよいでしょう。
 マタイは最後に「招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない」という語録を置いて、このたとえの言おうとするところを締め括ります(二二・一四)。この言葉はここでは、あらかじめ王の婚宴に招かれていたイスラエルの民のごく一部の者だけが、イエスを信じて新しい神の民として選ばれたことを指しています。この締め括り方は、本来神の国は貧しい者たちに与えられているのだというイエスのたとえが、初期の教団ではイスラエルが全体としてはイエスを拒否したことを説明するたとえに転用されていることを示しています。

時代を語るたとえ集(21・28〜22・14)

 神殿における激しい象徴行為の後、イエスの権威についての問答があり、その後に「ぶどう園の悪い農夫」のたとえで、イエスを拒否するユダヤ教指導者層の不信が弾劾されるという構成を、マタイはそのままマルコから引き継いでいます。ところが、マタイは「ぶどう園の悪い農夫」のたとえの前後に、マタイだけのたとえ、あるいはマタイ流に寓喩化したたとえを置いて、三つのたとえから成る小たとえ集を形成しています。実は、それによってマタイは自分の時代を物語っているのです。マタイの目の前には、洗礼者ヨハネから始まり、エルサレム神殿の崩壊を経て、福音書執筆の現在に至る、イスラエル史激動の半世紀があります。
 イスラエルに新しい時代を画する終末的な宣教運動は洗礼者ヨハネから始まりました。マタイはヨハネをイエスと同じ戦線に立つ者としてきました。そのヨハネを、「地の民」は神からの声と信じましたが、ユダヤ教指導者層は信じませんでした。ヨハネに先駆されて、ついに神の子イエスがイスラエルに現れ、神の国を宣べ伝えましたが、神の民を委ねられていた指導者層は、イエスを「ぶどう園の外にほうり出して殺してしまった」、すなわち異端者と判決してユダヤ教の外にほうり出し、異教の権力者に引き渡して処刑したのです。そのイエスを神は復活させて神の子であると公示し、使徒たちを遣わしてイエスを信じるように招かれましたが、イスラエルはその招きを拒否し、使者たち(使徒たち)を迫害しました。その結果、イスラエルは神から見捨てられ、その都は焼き払われ、神の国は異邦諸民族に与えられるようになったのです。
 こうして、三つのたとえ全体が一連の寓喩として、マタイの時代を物語っているのです。この洗礼者ヨハネ、神の子イエス、キリストの使徒たちという、三者によるイスラエルへの呼びかけと拒否が三つのたとえで物語られ、イスラエル史のもっとも危機的な時代であるこの半世紀が回顧され、福音が異邦世界に向かう将来が展望されるのです。