市川喜一著作集 > 第7巻 マタイによるメシア・イエスの物語 > 第28講

第二節 エルサレムを前にして

三度目の受難予告(20・17〜19)

 「ヨルダン川の向こう側のユダヤの地」でこのような教えを語られた後、イエスはいよいよ最後の目的地であるエルサレムへ上って行こうとされます(二〇・一七)。ヨルダン川を渡る前か後かは分かりませんが、「その途中」イエスは十二人の弟子たちだけをそばに呼び寄せ、三度目の受難予告をされます(二〇・一七〜一九)。この三度目の受難予告は、一度目(一六・二一)と二度目(一七・二二)に較べると、受難の過程が具体的に詳しく語られています。その分、実際の出来事を熟知している教団が手を加えた割合が大きくなっていると見られます。おそらくイエスは「人の子は人々の手に渡される」(一七・二二)という謎《マーシャール》の形で受難を予告されたのでしょうが、出来事を熟知している教団はそれを受難物語の要約のような形にして伝えたと考えられます。伝承の過程で形が事後予言のようになっていますが、イエスが御自分の受難を見据えてエルサレムへの旅を続け、それを予告された事実は疑えません。

ヤコブとヨハネの母の願い(20・20〜23)

 いよいよエルサレムを目指して旅が続きますが、そのとき、ゼベダイの息子たちの母親がイエスに、「王座にお着きになるとき、この二人の息子が、一人はあなたの右に、もう一人は左に座れるように」頼みます(二〇・二〇〜二一)。この記事もマルコとほぼ同じですが、頼んだのがマルコではヤコブとヨハネ本人たちであるのに対して、マタイでは彼らの母親である点が大きく違います。イエス一行の最後のエルサレムへの旅には、ガリラヤから女性たちもつき従って行ったのであり、その中にはゼベダイの子らの母親もいました(二七・五五〜五六)。マタイは頼んだのを母親とすることで、十二使徒に数えられる二人を野心家の不名誉から救いたかったのかもしれません。しかし、二人は母親と一緒に頼んでおり、以下の対話(二〇・二二〜二三)はイエスと二人の間の対話になっています。
 イエスは二人に、「あなたがたは自分が何を願っているのか、分かっていない」とお答えになります。エルサレムに向かう同じ道を行きながら、イエスと弟子たちとはまったく別の道を歩んでいることが露呈します。イエスは「多くの人の身代金として自分の命を献げるために」エルサレムに向かっておられるのに、弟子たちは人の上に立って支配する者になりたいと願っているのです。イエスはイザヤ書五三章の「主のしもべ」の道を歩んでおられるのに、弟子たちは王として世界を支配するメシアを期待し、王の高官としての栄光にあずかることを願っているのです。ペトロもそのようなメシアを期待して、「サタンよ、引き下がれ」と叱責されて以来、途中弟子たちは互いにメシアの王国では誰が一番偉いかと議論し、最後までこのようなメシア期待を持っていたことを示しています。
 イエスは二人の思い違いを正すために、「このわたしが飲もうとしている杯を飲むことができるか」と言われます(二〇・二二)。それに対して二人は、「できます」と答えます(マタイは、マルコが杯と並べて用いているバプテスマの象徴を略しています)。「杯」は、神から突きつけられる裁きの苦しみを象徴しています。それを飲み干すことは、イエスでさえ「できることなら、この杯をわたしから遠ざけてください」と祈らないではおれないほど苦しいものです。彼らが「できます」と言った決意がいかにもろいものであるか、また、実は何も分かっていないことは、イエスが十字架につけられたとき、ペトロがイエスを否認し、弟子たち全員がガリラヤへ逃走したことからも明らかです。
 彼らの弱さを見通しながらも、イエスは彼らもやがてはイエスに従う者として、世からイエスと同じ扱いを受けて苦しむことを予告されます。しかし、それが栄光の座に座ることの資格になるのではなく、また、イエスさえもそれを決める立場ではなく、神だけが定められることであると諭されます(二〇・二三)。

 イエスの「確かに、あなたがたはわたしの杯を飲むことになる」という言葉(二三節前半)は、マルコ(一〇・三九)にもあり、これはヤコブとヨハネがすでに殉教していることを知っている教団が伝えた語録であると見られます。43年にはゼベダイの子ヤコブがヘロデ・アグリッパによって処刑されています(使徒一二・一)。62年には主の兄弟のヤコブが他の有力なユダヤ人信徒と共に律法違反の咎で裁かれ、大祭司アンナス二世によって処刑されています。古い伝承によると、ゼベダイの子ヨハネもこの頃までに殺されたようです。

多くの人の身代金(20・24〜28)

 「ほかの十人の者はこれを聞いて、この二人の兄弟のことで腹を立て」ます。腹を立てたことで、ほかの十人も同じ願いを持っていたことを暴露しています。「そこで、イエスは一同を呼び寄せて」言われます(二〇・二四)。
 「あなたがたも知っているように、異邦人の間では支配者たちが民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。しかし、あなたがたの間では、そうであってはならない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、皆の僕になりなさい」(二五〜二七節)。
 イエスは、この世の支配と神の支配という二つの場の原理の違いを明確に語り出されます。ここの「異邦人」というのは「ユダヤ人でない者」ではなく、「諸国民」という意味であり、世界の現実を語っています。この世界では、強い者、力を持つ者が支配し、その力で弱い者を服従させています。それに対して、神の支配にあずかるイエスの弟子の中ではそうであってはならず、強い者は弱い者にその力(能力)をもって仕えるのです。それは、神の支配とは恩恵の支配であり、愛の支配であるからです。
 そして、そのような愛の支配を成立させる根底が語り出されます。それはイエスご自身が愛の支配の体現者であるからです。マタイはマルコの表現を少し変えて、「人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのと同じように」と書いています(二八節)。マルコでは「のだから」とあるところを、マタイは「と同じように」言い換えています。「同じように」とあっても、イエスはたんに謙遜な心で仕えるという道徳的な模範であるのではなく、このような愛の支配を成立させる根底であると理解しなければなりません。
 イエスは「多くの人の身代金として自分の命を献げる」道を歩み抜かれました。これはイザヤ書五三章に預言されていた「主のしもべ」の道です。復活者キリスト、神の子が地上では「多くの人の身代金として自分の命を献げる」あの十字架の死を遂げられたことによって、神の恩恵の支配、愛の支配が実現したのです。この恩恵の支配の場において、はじめて力の支配とは逆の原理の共同体が成立するのです。

 イエスとヤコブ・ヨハネとの対話、および重要な二八節の語録について、詳しくは『マルコ福音書講解T』58「ヤコブとヨハネの野心」を見てください。

エリコの盲人(20・29〜34)

 イエスの一行は、「ヨルダン川の向こう側(東側)」の地からヨルダン川を渡って、エルサレムへの旅を続けます。ヨルダン川を渡るとすぐエリコの町があります。おそらく、一行はこの歴史の古い町でしばらく留まって、エリコからエルサレムに至る「ユダヤの荒野」を旅する準備をしたことでしょう。このエリコの町での出来事として、ルカ(一九・一〜一〇)は徴税人ザアカイがイエスを迎え入れて救われたことを伝えています。
 イエスの一行がエリコを出ていくときに、道端に座っていた二人の盲人がイエスにいやされて目が見えるようになったという出来事が語られます(二〇・二九〜三四)。これはイエスの最後のいやしの業になります。マルコ(一〇・四六〜五二)では盲人は一人で、「テマイの子バルテマイ」という名まで伝えられています。マタイは名をあげず、二人の盲人としています(なぜ二人にしたのか理由は分かりません。マタイは別の伝承を用いているのかもしれません)。マルコが名を伝えているのは、この出来事が地域で大評判になり、「あのバルテマイが見えるようになった」と語り伝えられていた伝承をそのまま用いたからでしょう。マタイは奇跡物語を短くして一般化する傾向がありますが、ここでもそれが現れています。マルコの「盲人は上着を脱ぎ捨て、躍り上がってイエスのもとに来た」というような具体的な描写を省略しています。また、いやされた盲人にイエスが語られた「あなたの信仰があなたを救った」という重要な言葉も削られています。
 この盲人がイエスに向かって「ダビデの子よ」と叫んでいる点は、マタイにとって重要ですから、マルコの通り伝えられています。ユダヤ教指導者たちはイエスを殺そうとしていますが、民衆はイエスこそ「ダビデの子」として約束されていたメシアではないかと期待していたことが、このエピソードからも伝わってきます。この期待はイエスがエルサレムに入城されるとき大勢の人の歓呼となって響き渡ります(二一・九)。