市川喜一著作集 > 第7巻 マタイによるメシア・イエスの物語 > 第24講

第三節 旅の途上で

はじめに

 ペトロの「あなたはメシアです」という告白に、独自の意義づけを与えた後(一六・一三〜二〇)、マタイはそのメシアたるイエスが受難の道を歩み始めることを物語ります。「この時から、イエスは弟子たちに示し始められた」(一六・二一)という書き出しで、マタイの受難物語が始まります。以下エルサレム入城まで、マタイはかなり忠実にマルコに従って物語を進めていきます。しかし、マタイはいつも、ペトロと共に「あなたこそメシア・キリストです」と告白する自分の共同体を視野に置いて、マルコの表現を少しずつ変えながら書き進めます。この現在の共同体に対するマタイの関心は、一八章にいたって明白に表現されるようになります。今回取り扱う部分で語られる出来事の内容や意味は、大部分すでに『マルコ福音書講解T』で取り上げていますので、それを見ていただくことにして、ここではマルコに対するマタイの特色に重点を置いて、マタイの物語を聴いていきましょう。

受難予告(16・21〜23)

 ピリポ・カイサリヤからエルサレムに向かう旅で、イエスは三回も繰り返して御自身の受難を予告しておられます。この旅の重要な主題です。共観福音書の受難予告を比較すると、三回とも三つの福音書すべてに記録されており、ほぼ同じ言葉で伝えられています。この事実は、おそらくマタイとルカは「語録資料Q」に依存するのではなく、それぞれの仕方でマルコに従っていることを示唆していると見られます。ここでは、マタイをマルコと比較して、マタイの特色を見ていきます。
 第一回目のイエスの受難予告の言葉(一六・二一)は、マルコとほとんど同じです。ただ、これを《ホ・ロゴス》という語で指して、これこそ「福音」であるとするマルコの表現は見られません。また、ペトロがイエスを「わきへお連れしていさめた」のに対して、イエスが「サタンよ、引き下がれ」と激しく叱責された事実も、マタイはそのまま伝えています(二二〜二三節)。ただマタイは、ペトロがイエスに、「神があなたに憐れみ深くあって、そのようなことがあなたに起こりませんように」(二二節後半の直訳)と言ったとつけ加えています。この時のペトロの言動をイエスへの愛情によるものとして、ペトロを弁護する動機がマタイにはあったのでしょうか。
 ご自身の受難を予告された後、ご自分に従う弟子たちにも「自分の十字架を背負う」覚悟を促される言葉が続きます(一六・二四〜二八)。この言葉は、マルコでは弟子たちと群衆に向かって語られたことになっていますが(マルコ八・三四)、マタイでは弟子たちだけに語られたことになっています。総じて、エルサレムへの旅を語るこの部分では、群衆は姿を消し、もっぱら弟子たちが話題になっています。ここにもマタイの現在の共同体への強い関心が出ているのでしょう。
 従う者の覚悟を求めるイエスの言葉においても、マルコの「わたしのため、また福音のために命を失う者」は、マタイでは「福音のため」がありません。また、「人の子が父の栄光に輝いて聖なる天使たちと共に来るとき」、マルコではイエスを恥じる者を人の子も恥じるとなっていて(マルコ八・三八)、イエスへの信仰告白だけが問題となっていますが、マタイでは「それぞれの行いに応じて報いる」となっています(一六・二七)。これは、天の国に入るには「律法学者やファリサイ派の人々の義に勝る義」が必要であるとしたマタイの思想にふさわしい変更です。
 第二回目の受難予告(一七・二二〜二三)でも、受難を予告するイエスの言葉は、マルコをそのまま用いていますが、その言葉を聞いた弟子たちの態度については、マルコ(九・三二)が「弟子たちはこの言葉が分からなかったが、怖くて尋ねられなかった」としているところを削って、ただ「弟子たちは非常に悲しんだ」と変えています(一七・二三)。ここにも、マルコが弟子たちの無理解を強調するのに対して、マタイは弟子たちがイエスの教えや奥義を理解していたことを強調する傾向があるという対比が見られます。
 第三回目の受難予告(二〇・一七〜一九)も、予告の言葉はマルコ(一〇・三二〜三四)とほとんど同じです。第三回目の予告は、第一回と第二回に較べると、ユダヤ人の法廷で死刑を宣告された後、異邦人の手に引き渡されることや、その後の侮辱、鞭打ち、十字架刑による処刑など実際の出来事に近くなっており、事後予言の性格が強く出ていることもマルコと同じです(ただ、マルコでは「殺す」が、マタイでは「十字架につける」といっそう具体的になっています)。ところが、この予告に対する弟子たちの態度については、マルコが「弟子たちは驚き、従う者たちは恐れた」と書いているところを、マタイは削除しています。マルコでは弟子たちは理解できないまま驚き恐れていますが、そういう弟子たちの無理解は伝えたくないというマタイの姿勢がここにも見られます。

変容の山(17・1〜13)

 ピリポ・カイサリア地方におけるペトロの告白とイエスの受難予告の後、イエスが高い山で「姿が変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった」出来事が続くのもマルコと同じであり、その記事の内容(一七・一〜一三)もほぼマルコ(九・二〜一三)と同じです。マルコでは服の白さについて「この世のどんなさらし職人の腕も及ばぬほど白くなった」と表現しているところを、マタイは「光のように白くなった」と言い換えて、その「白い衣服」がこの世のものではないことをより強く示唆したり、ペトロの「仮小屋を三つ建てましょう」という言葉に、「お望みでしたら」という句を加えたりするなど、小さい変更が見られますが、ここでもやはりマルコの「 ペトロはどう言えばよいのか分からなかった」という弟子たちの無理解を示唆する句を除いているのが目立ちます。
 ところで、四福音書の中でマタイだけが、復活されたイエスがガリラヤの山で弟子たちに現れたことを伝えています(二八・一六以下)。すでに水の上を歩くイエスの物語を復活されたイエスの顕現の物語として語ったマタイは(一四・三三)、この高い山での弟子たちの体験も復活者の顕現の物語として語っていると見られます。マルコではたんに「雲が彼らを覆った」とありますが、マタイでは「光り輝く雲が彼らを覆った」となり、それが栄光の主の顕現であることがより強く示唆されています。また、雲の中からの声に恐れてひれ伏す弟子たちに、「イエスが近づき、彼らに手を触れて言われた、『起きなさい。恐れることはない』」というマルコにはない文を加えているのも、これが復活者との出会いの体験であることを示しています。
 山から下りるとき、イエスが「人の子が死者の中から復活するまで、今見たことをだれにも話してはならない」と弟子たちに命じられたことはマルコと同じです。この命令は、イエスの復活後にはこの物語が復活顕現の物語として大いに用いられたことを、逆に示唆しています(ペトロU一・一六〜一八参照)。雲の中から聞こえた「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」という声も、ヨルダン川でバプテスマをお受けになったときに聞こえた声と同じく、復活によって神の子とされたイエスの地位を告知する言葉に他なりません(ローマ一・四)。
 イエスが「死者の中から復活する」ことに言及されたので、弟子たちは、そのような終末の事態が起こる前には「エリヤが来るはずだ」とされていることについて質問します。その質問に対するイエスの答えは、マルコでは次のような順序になっています。
 1 まずエリヤが来て、すべてを元どおりにする。
 2 人の子も苦しみを受ける。
 3 エリヤはすでに来たのだが、人々は彼を認めず勝手に扱った。
 この順序では分かりにくいので、マタイは2と3の順序を入れ替えて分かりやすくしています。そして、「弟子たちは、イエスが洗礼者ヨハネのことを言われたのだと悟った」というマルコにはない文を加えて、弟子たちが洗礼者ヨハネを終わりの日の前に現れるエリヤとして理解したことを明言します。こうしてこの問答は、マタイとその共同体が洗礼者ヨハネを終末の前に現れる再来のエリヤとして告知するものになります。

悪霊に取りつかれた子供(17・14〜20)

 イエスは栄光の山から下って受難の地に向かって行かれます。山を下ったところで、悪霊に取りつかれた子供を癒されます。この出来事を伝えるマタイの記事(一七・一四〜二一)は、マルコ(九・一四〜二九)の報告をかなり簡単にしています(マルコでは一六節に及ぶところをマタイは八節と半分にしています)。ここでも、マタイはマルコの生き生きとした臨場感の強い奇跡物語を、事実の報告だけの簡潔なものにする傾向が見られます。たとえば、マルコでは子供の症状は三回にわたって説明されていますが、マタイは一回にしています。この簡略化の結果、「信じます。信仰のないわたしをお助けください」という父親の言葉に至る重要な問答は省略されて、「絶信の信」という深い消息を学ぶ機会がなくなっています。
 また、後で弟子たちがイエスに「なぜ、わたしたちは悪霊を追い出せなかったのでしょうか」と尋ねたときのイエスのお答えは、マルコでは「この種のものは、祈りによらなければ決して追い出すことはできないのだ」となっていますが、マタイでは「信仰が薄いからだ」と、マタイ特有の用語で説明され、その後にマルコでは他の文脈で用いられている「この山に向かって」という信仰についての語録が置かれます。

 「絶信の信」および「この山に向かって」の語録については、『マルコ福音書講解T』34「いちじくの木が枯れる」を参照してください。

神殿税を納める(17・24〜27)

 山上の変容、山麓での子供の癒し、第二回目の受難予告とマルコの順序に従って物語を進めてきたマタイは、次にマタイだけの特有の神殿税の記事を置きます(一七・二四〜二七)。それはイエスの一行がカファルナウムに来たときの出来事とされています。おそらく、ここまでマルコに従ってきたマタイは、一行がカファルナウムの家に着いたという時点で(マルコ九・三三)、共同体に対するイエスの訓戒(一八章)を置こうとして、その前置きとしてこの神殿税の記事を入れたのでしょう。一八章にまとめられている共同体への訓戒がここから始まっていると見ることもできます。
 当時のユダヤ教では、成人男子は神殿維持のために年に半シェケルまたは2ドラクマの神殿税を納めなければなりませんでした。この税金を集める者がペトロに、「あなたたちの先生は(神殿税の)2ドラクマを納めないのか」と質問します。これはイエスがユダヤ教律法を順守していないという詰問です。ペトロは、イエスの返答を確認しないで、その場をとりつくろい、「納めます」と答えます。そのペトロにイエスは言われます、「シモン、あなたはどう思うか。地上の王は、税や貢ぎ物をだれから取り立てるのか。自分の子供たちからか、それともほかの人々からか」。ペトロが「ほかの人々からです」と答えると、イエスは「では、子供たちは納めなくてよいわけだ」と言われます。
 イエスは地上の王たちが徴収する税金をたとえとして用いて、自分はこの神殿で拝まれている方の子であるから、神殿税を払わなくてもよいのだと言っておられるのです。マタイが福音書を書いた時には神殿は存在していないのですから、この語録は神殿が存在していたイエスの時代かその直後の時代にさかのぼるはずです。この語録はマタイが用いた伝承だけに知られていたようです。
 この税金の比喩の語録は、イエスの子としての自覚を示す重要な語録ですが、同時にこの語録は、「神殿より偉大な者がここにある」(一二・六)という語録と共に、イエスが子としてユダヤ教の神殿祭儀を超えておられたことをも指し示しています。それにもかかわらず、イエスが(そしてイエスに従い、イエスを信じるユダヤ人の共同体が)神殿税を納め、神殿祭儀を守るのは、あくまで「彼ら(ユダヤ人たち)をつまずかせないため」であるという言葉が続きます。イエスは言われます、「しかし、彼らをつまずかせないようにしよう。湖に行って釣りをしなさい。最初に釣れた魚を取って口を開けると、銀貨が一枚見つかるはずだ。それを取って、わたしとあなたの分として納めなさい」。
 「銀貨」《スタテール》は4ドラクマ相当の銀貨で、ちょうどイエスとペトロの二人分の神殿税に相当します。この段落は、そうしなさいというイエスの言葉で終わっており、釣った魚の口に銀貨が見つかり、それでペトロが二人分の神殿税を納めたという事実は報告されていません。魚の口の中に見つかる銀貨で税を納めるという象徴的な説話で、神から賜る収入の中から(ペトロは漁師でした)律法の規定に従い神殿税を納めるように勧めていると見られます。
 この段落は、神殿崩壊前のユダヤ人信徒の状況を反映しており、イエスを信じるユダヤ人信徒は、イエスと共に神の子供として神殿税や祭儀規定から自由であるが、ユダヤ教徒としての立場から、周囲のユダヤ人をつまずかせないために、神殿税を納め祭儀を守っているのだと主張しています。このユダヤ人信徒の伝承をマタイが継承してここに置いたと見られます。そうであれば、イエスを信じる者は律法から自由であるという理解は、パウロやヘレニズム異邦人キリスト教だけでなく、ユダヤ人キリスト教の中にもあったことになります。