市川喜一著作集 > 第7巻 マタイによるメシア・イエスの物語 > 第23講

第二節 この岩の上に

北方への旅

 洗礼者ヨハネの処刑を聞かれたイエスは、「舟に乗ってそこを去り、(対岸の)人里離れた所に退かれ」(一四・一三)、そこで大勢の群衆に食物を与えられます(一四・一四〜二一)。ここで、その後のイエス一行の行程について、福音書の記事を検討してみましょう。
 イエスと弟子の一行は、再び舟に乗って「湖を渡り、ゲネサレトという土地に着いた」とされています(一四・三四―マルコ六・五三と同じ)。「ゲネサレト」(またはゲネサレ)はガリラヤ湖の北西岸に広がる肥沃な平野で、ガリラヤ湖は「ゲネサレ湖」とも呼ばれています。この平野の湖岸には、北にはカファルナウムがあり、南にはマグダラがあります。イエスはこのゲネサレトの地で多くの病人をいやされます(一四・三四〜三六)。「昔の人の言い伝え」についてのファリサイ派の律法学者たちとの論争(一五・一〜二〇)もこのゲネサレトの地で行われたことになります。
 その後「イエスはそこ(ゲネサレト)をたち、ティルスとシドンの地方に行かれた」とマタイは伝えて(一五・二一)、「この地に生まれたカナンの女」の娘の癒しの出来事を語っています(一五・二二〜二八)。マタイの物語では、この出来事がティルスかシドンのどちらで起こったのか分かりませんが、マルコはこれをティルスの出来事としています(マルコ七・二四)。そして、その後イエスの一行は「ティルスの地方を去り、シドンを経てデカポリス地方を通り抜け、ガリラヤ湖へやって来られた」(マルコ七・三一)と伝えています。マルコが伝える行程は不可能ではありませんが、きわめて不自然なものです。ゲネサレトの地から西に進んで地中海岸(おそらくアッコ)に出て、そこから北に約四〇キロ行くとティルス(ツロ)があります。そこからさらに四〇キロ近く北にシドンがあります。ところがデカポリス地方というのはガリラヤ湖の南東に広がる地域です。従ってマルコが伝える行程は、『マルコ福音書講解T』で述べましたように、「琵琶湖をガリラヤ湖になぞらえると、琵琶湖からいったん福井へ行き、福井を去って、金沢を経て、奈良県を通り抜け、再び琵琶湖に戻ってきた」ことになります。マタイはこの不自然さを感じたのか、この行程を省略して「イエスはそこ(ティルスとシドンの地方)を去って、ガリラヤ湖のほとりに行かれた」(一五・二九)とだけ報告しています。
 この時「ガリラヤ湖のほとり」でイエスがされたことについて、マルコは「エファタ」という一言で耳が聞こえず口が利けない人を癒された出来事を具体的に伝えていますが(マルコ七・三二〜三七)、マタイは多くの病人をいやされたという一般的な描写で簡単に語るにとどめています(一五・二九〜三一)。
 その後の出来事も、マタイはマルコの順序に従って物語を進めていきます。四千人の群衆にパンを与えられた記事は、ここでも「女と子供を別にして、男が四千人」としている他はほぼマルコと同じです。ただ、この出来事の後、イエスは舟に乗って「ダルマヌタの地方に行かれた」というマルコの記事を、マタイは「マガダン地方に行かれた」と変えています。ダルマヌタという地名が分からないので変えられたと考えられますが、「マガダン」もどこのことか不明です。マグダラと読む写本や、その他多くの読み方がされている写本があることも、この地名が古代においてすでに分からなくなっていたことを示しています。
 次に、ファリサイ派とサドカイ派の人たちが来て(マルコではファリサイ派だけ)、イエスに天からのしるしを見せるように要求する記事が続きます(一六・一〜四)。マルコでは「今の時代には、決してしるしは与えられない」と拒否されていますが(マルコ八・一一〜一三)、マタイは「ヨナのしるしの他には」という重要な句を残しています。ルカ(一一・二九)にもあるので、この句は「語録資料Q」に含まれていたと見られます。「ヨナのしるし」とは、三日三晩大魚の腹の中にいて地上に戻ってきたヨナの物語を、三日目に復活したイエスを指す象徴としていることは明らかです。ユダヤ人に向かってイエスをメシアとして宣べ伝えた初期の福音告知運動において、イエスの復活こそ究極のしるしであって、これを信じないならば、他のどのような奇跡もしるしにはならないと、ユダヤ人の不信仰を責めているのです(一二・三八〜四二、およびその段落に対する『マルコ福音書講解T』の講解を参照)。
 次に、ガリラヤ湖を渡る舟の中で、弟子たちがパンを持ってくるのを忘れたことを論じているのに対して、イエスが直前にされたパンの奇跡を思い起こさせておられる記事が続きます。マルコの記事は、弟子たちがその出来事の意味を悟らないことを叱責されるイエスの激しい言葉で終わっています(マルコ八・一四〜二一)。それに対してマタイ(一六・五〜一二)では、「弟子たちは、イエスが注意を促されたのは、パン種のことではなく、ファリサイ派とサドカイ派の人々の教えのことだと悟った」という文で終わっています。すなわち、マルコが弟子たちの無理解ぶりを強調するのに対して、マタイは弟子たちが奥義を悟っていることを強調するという対比がここでも見られます。
 この後、マルコでは一行がベトサイダ(ガリラヤ湖北岸のヨルダン川より東にある町)に着き、そこでイエスが盲人の目につばをつけて癒されたことが語られていますが(マルコ八・二二〜二六)、マタイはこの記事を略しています。おそらく弟子たちの悟りを強調するマタイが、マルコの記事を弟子たちの盲目を象徴するものと見て削除したのでしょう。マタイは弟子たちの悟りを強調する記事(一六・一二)からすぐにフィリポ・カイサリアでのペトロの告白の記事に入っていきます。

 群衆に食べ物を与える出来事が二重に伝えられている問題については『マルコ福音書講解T』40「四千人に食物を与える」で、天からのしるしの要求については『マルコ福音書講解T』41「天からのしるし」で、パン種に対する警告については『マルコ福音書講解T』42「パン種」で、それぞれその内容と意義を詳しく講解していますので、それを参照してください。ここでは、マルコと異なるマタイの特色を簡単に指摘するにとどめます。

 このように、ヨハネの処刑後、ガリラヤを立ち去られたイエスとその一行の行程についての記事は、マルコ福音書ではかなり混乱していますし、マルコの記事を変更したり省略したマタイの記事もなおすっきりしません。ティルス、シドン、フィリポ・カイサリアなど、北方の異教の大都市の名があげられていることから、この時期にイエスは弟子たちと一緒に「イスラエルの地」を「立ち去り」、北方の異邦の地域に旅を続けられたと見られます。その旅の物語の中に、ガリラヤの地名と結びついた出来事の伝承が組み込まれたので、このような混乱が起こったのではないかと考えられます。福音書はイエスの伝記を書くためのものではなく、あくまでイエスを復活者キリストとして宣べ伝える信仰の文書ですから、その目的のために構成されています。そのさい、内容上の必要からここに置かれた伝承に、ガリラヤの地名が含まれていたために、イエス一行の行程がきわめて不自然に見えるようになったと推察されます。したがって、わたしたちもイエス一行の行程を詮索して合理的に整える必要はなく、あくまで物語がわたしたちの信仰に語りかける内容とその意義に耳を傾ければよいのです。ルカはこの時期の北方への旅には一切触れず、イエスはガリラヤ福音告知から帰ってきた「十二人」を連れて対岸のベトサイダに退き、そこで五千人の群衆に食物を与えられたことを報告し、すぐにペトロの告白を続けています(ルカ九・一〇〜二〇)。ルカでは、ペトロの告白に関してフィリポ・カイサリアという地名は出てきません。ヨハネ福音書にもフィリポ・カイサリアの場面はありません。
 マルコおよびマタイが用いた伝承によれば、ペトロが弟子たちを代表してイエスをメシアと告白した重要な出来事はフィリポ・カイサリア地方で起こりました。この出来事は、イエス一行がガリラヤ湖から北へ行ってフィリポ・カイサリア地方に到着したときのことか、あるいは北からガリラヤ湖に向かって南下したときのことか、福音書のテキストから判断することはできません。わたしは、マルコ福音書の受難物語の流れからすると、北から南下してガリラヤ湖を目指されたときのことではないかと推察しています。マルコ福音書もマタイ福音書も、この出来事の後は一直線にエルサレムでの受難に突き進んでいきます。イエスは北方の旅を終えて、いよいよこれからエルサレムを目指して「イスラエルの地」に入ろうとされて、弟子たちにご自身の秘密を語り出されたと見られます。
 イエスはガリラヤ湖を去って地中海岸に出て、ティルス経由でシドンまで行かれたと福音書は報告しています。シドンから内陸部に入って四〇キロあまり南下すると、フィリポ・カイサリア地方に来ます。そこからさらに四〇キロ南下するとガリラヤ湖に戻ります。先に述べた理由により、この北方の旅の中に挿入されたガリラヤの地名を無視しますと、イエス一行はティルスから海沿いにシドンまで北上し、そこから内陸部に入って南下し、フィリポ・カイサリア地方経由でガリラヤ湖に戻ったのではないかと考えられます。その途中、ラビたちの伝承によれば聖なる《エレツ・イスラエール》(イスラエルの地)の境界線であるとされていたフィリポ・カイサリア地方で、いよいよ受難の旅の最後の行程に入ろうとして、イエスは弟子たちにご自身の秘密を語り出されるのです。

ペトロのメシア告白(16・13〜16)

 イエスはご自分の時が近いことを知って、敵対者に取り囲まれたガリラヤでの激しい福音告知活動から退き、少数の弟子たちとだけで北方の異教の地を旅されます。それは、ご自身がその時に備えるためでもありますが、同時に弟子たちに「受難のメシア」という奥義を理解させるためではなかったか、とわたしは推察します。イエスは何らかの形でその奥義を指し示すようなことを語られたのしょうが、弟子たちは理解することができませんでした。それで、いよいよ受難の旅が最後の行程に入ろうとするとき、イエスはその奥義を教え始め(一六・二一)、「しかも、明白にその言葉を語られた」(マルコ八・三二)のです。
 「受難のメシア」という秘密を語り出す前に、イエスはまず弟子たちがイエスをどう理解しているのかを尋ねられます。周囲の人たちがイエスを「洗礼者ヨハネだ」とか「エリヤだ」、「エレミヤだ」、「預言者の一人だ」などと言っているのを確認した後、イエスは弟子たちに「それでは、あなたがたは(強調)わたしを何者だと言うのか」と尋ねられます。イエスの問いにシモン・ペトロが代表して答えます。「あなたはメシア、生ける神の子です」(一六・一三〜一六)。
 このイエスと弟子たちの問答の部分については、マタイはほぼマルコ(八・二七〜二九)と同じですが、ペトロの答えに「生ける神の子」という句を付け加えていることが目立ちます。マルコでは、ペトロは「あなたはメシアです」と答えていますが、マタイでは「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えたとされています。
 このペトロの答えは、ギリシャ語原文では「あなたは《クリストス》、生ける神の子です」となっています。ペトロはアラム語で「あなたはメシアです」と答えたはずですが、それをギリシャ語福音書は《クリストス》という訳語を用いて伝えているのです。《クリストス》は「油を注がれた者」という意味のギリシャ語ですから、神から油を注がれた終末的な救済者を指すヘブライ語ないしアラム語の「メシア」の訳語として用いられるのは当然です。ところが、《クリストス》という語は、ギリシャ語による福音の告知において死人の中からの復活によって神の子とされた方の称号として用いられていましたから(たとえばローマ一・二〜四)、ギリシャ語圏の読者には、このペトロの答えはペトロがイエスを復活者キリストと告白していると理解されるようになります。
 大部分の現代語訳は、ペトロの答えを「あなたはキリスト、生ける神の子です」と訳しています。この訳は、「キリスト」が新約聖書では復活した救済者の称号である以上、ペトロがすでにこの時、イエスを復活者キリストと告白しているという理解を避けることができません。しかしこれは、歴史上の出来事としては誤解です。この段階では、ペトロがイエスを復活者キリストであると告白することはありえません。ペトロは当時のユダヤ人のメシア期待の中で、そのメシア観の範囲内で、イエスをメシアであるとしているのです。
 そのメシア観によれば、神から油を注がれた「メシア」は、その力によってイスラエルを異教徒の支配から解放し、栄光の地位に上げる救済者です。ですから、イエスが「受難のメシア」、すなわち殺されるメシアの秘密を語り出されたとき、ペトロはそれが理解できず、「主よ、とんでもないことです。そんなことはあってはなりません」と言って、「サタンよ、引き下がれ」と叱責されるのです(一六・二一〜二三)。もしこの時すでにペトロがイエスを復活者キリストと告白しているのであれば、「サタンよ、引き下がれ」という叱責はありえません。

 当時のメシア観、ペトロの「メシア」告白の意義、「キリスト」という訳語については、『マルコ福音書講解T』44 「苦しみを受ける人の子」を参照してください。

 それで、最近の翻訳はペトロが告白した時の歴史上の状況を再現するために、「あなたはメシアです」と訳すようになっています(NRSV、新共同訳など)。この訳は、マルコ福音書では当時の状況に忠実な訳として素直に受け取ることができます。ペトロが当時のメシア観によって「あなたはメシアです」と言い表したのに対して、イエスはペトロのメシア観を訂正するかのように、ご自分がそのような「メシア」ではなく、苦しみを受ける「人の子」であることを明白に教え始められます。従来のメシア観から脱却できないペトロは、それを理解できず、イエスがそのような道を行かれないように「いさめ始め」、イエスから「サタンよ、引き下がれ」と激しく叱責されることになります(マルコ八・二七〜三三)。マルコ福音書のこの段落につける標題は、「ペトロの信仰告白」ではなく、「ペトロの誤解と苦しみを受ける人の子の啓示」の方がふさわしいと言えます。
 しかし、マタイ福音書では事情が違います。マタイはペトロの「あなたはメシア、生ける神の子です」という告白の直後に、「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ――」(一六・一七〜一九)というイエスの賞賛ないし祝福の言葉を置いています。マタイは明らかに、ここのペトロの告白を初期のエクレーシアが告白していた復活者キリストへの信仰告白としているのです。「生ける神の子」を加えたのも、イエスをキリストと告白する初期の信仰告白の定式に従っています(ローマ一・二〜四参照)。マタイ福音書では、ペトロはすでに湖上に顕現されたイエスに「あなたは神の子です」と告白して拝んでいるのです(一四・二八〜三三)。このような復活者キリストへの信仰告白であるからこそ、「この岩の上にわたしのエクレーシアを建てる」と言うことができるのです。そうすると、ここのペトロの告白は、「あなたはメシアです」よりも「あなたはキリストです」と訳した方がふさわしいことになります。当時のユダヤ人の「メシア」信仰の上にキリストのエクレーシアは立つことはできません。
 ところがマタイは、イエスがペトロのメシア観の間違いを叱責されるマルコの記事もそのまま継承しています(一六・二一〜二三)。もしペトロの告白を、復活者キリストへの信仰告白として、「あなたはキリストです」と訳すと、イエスの激しい叱責と矛盾します。マタイ福音書では、ペトロの告白に続くイエスの賞賛(一七〜一九節)とイエスの叱責(二二〜二三節)は矛盾しています。ペトロの告白を「メシア」と訳しても「キリスト」と訳しても矛盾に陥ります。
 このディレンマは福音書の二重性から来ています。福音書はイエスの伝記ではなく、地上のイエスの物語によって復活者キリストを世界に告げ知らせようとする文書です。福音書が物語るイエスの姿には、地上のナザレ人イエスの姿と、そのイエスが復活者キリストであるという告知が重なっています(『マルコ福音書講解U』92「マルコ福音書の二重構造」参照)。マルコ福音書も、福音書全体としてイエスを復活者キリストとして告げ知らせているのですが、このフィリポ・カイサリアの場面では、地上の出来事を比較的忠実に伝えていることになります。それに対して、マタイはイエスの賞賛の言葉を挿入することによって、この場面をイエスをキリストとするエクレーシアの信仰告白の場面にしているのです。しかも、イエスの叱責という歴史的な場面も保存しているので、矛盾した物語になっているのです。

 マタイは、ペトロが厳しく非難されているマルコの物語に、他の場面でのペトロの「神の子」告白に対するイエスの言葉を挿入して、教団の指導的立場にあるペトロを擁護し、彼の首位性を主張したと見られます。その「他の場面」というのは、おそらくペトロへの最初の復活者の顕現であり、それがこの箇所と湖上を歩くペトロの記事(一四・二八〜三三)に反映していると見られます。また、マタイのここの記事は、ルカ二二・三一〜三四、ヨハネ六・六六以下、ヨハネ二一・一五以下などと共に、最後の晩餐とかペトロへの最初の復活者の顕現について伝える物語の背後にある共通の伝承が想定されるという見方もあります(クルマン『ペテロ』参照)。なお、ルカはペトロがイエスからサタンと叱責される箇所を省略することで、ペトロを擁護し、矛盾を回避しています。

 しかし、この物語としての矛盾は、福音書を信仰の書として読む者には矛盾ではありません。信仰は福音書が二重構造になっていることを理解しています。マタイ福音書のこの箇所は、福音書の二重構造がもっとも典型的に、もっとも尖鋭に現れている箇所です。地上では誤ったメシア信仰のために激しく叱責されたペトロも、復活者キリストにあっては、父から御霊によって直接「神の子イエス・キリスト」の奥義を啓示された者となり、キリストのエクレーシアがその上に建てられる岩となり、天の国の鍵を持つ者とされるのです。生身のペトロが水の上を歩くペトロとなるのと同じです。イエスの祝福の言葉は、このペトロに対するものなのです。
 このような理解に立って、もう一度翻訳の問題に戻ります。ペトロの告白を「メシア」と訳しても「キリスト」と訳しても矛盾は残りますが、翻訳はどちらか一つを選ばなければなりません。福音書は本来地上のイエスを物語るものであるという建前から、ここでは歴史上の場面として「メシア」という訳を採ります。当時メシアは「神の子」とも呼ばれていましたから(マルコ一四・六一)、「生ける神の子」という句の付加は「メシア」と訳すことの妨げにはなりません。その上で、イエスの賞賛の言葉は復活者キリストにある場での理解に委ねます。キリストにあって福音書を読む者は、ペトロの「メシア」告白を、マタイが理解したように父から直接与えられた復活者キリストの啓示として、その上にエクレーシアが成立する土台として受け取ることができます。

この岩の上に(16・17〜18)

 このように、マタイはイエスの賞賛の言葉を入れることによって、マルコ福音書のペトロの「メシア」告白の場面をエクレーシアの「キリスト」告白の場面に変えています。このマタイ福音書だけにあるイエスの賞賛祝福の言葉を検討してみましょう。

 17 すると、イエスはお答えになった。「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。18 わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会《エクレーシア》を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。19 わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」 (一六・一七〜一九)

 「あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ」という文で、「このこと」というのは(原文では特定の語を指す代名詞はありませんが)、ペトロがイエスが何者であるかを悟り告白した内容を指しています。それは、人間の知恵や理解で知りうることではなく(原文では「肉と血が啓示したのではなく」というアラム語的な表現)、天にいます父が隠されている秘密を啓示された結果である、というのです。マタイはこの言葉で、聖霊によって啓示されてイエスを復活者キリストと告白しているエクレーシアの体験を描いています。そして、その体験に対する主イエス・キリストの祝福を聞いているのです。
 マタイは現在の自分たちエクレーシアの体験とそれに対する主の祝福を、ペトロに代表させ、ペトロの体験として描きます。ペトロの本名はシモンでした。ユダヤ人社会では「シモン・バルヨナ」と呼ばれていました。「バルヨナ」というのはヨナの息子、あるいはヨハナン(=ヨハネ)の息子というアラム語です。シモンはヨハネの息子と伝えられていますから(ヨハネ一・四二)、おそらくヨナといのはヨハネが短縮された形であると見られます。このシモンがイエスに「あなたはメシア、すなわちキリストです」と告白したのに対して、今度はイエスがシモンに向かって、「あなたはペトロである」と言われるのです。
 原語の《ペトロス》は、岩という意味のギリシャ語《ペトラ》(女性名詞)に男性語尾をつけて男性の名前にした形です。ギリシャ語では、イエスの言葉は「あなたは《ペトロス》である。わたしはこの《ペトラ》の上にわたしの《エクレーシア》を建てる」となります。それで、エクレーシアがその上に建てられる「岩」はペトロという人物《ペトロス》ではなく、《ペトラ》が象徴するキリスト告白を指すという解釈もなされますが、この用語からする解釈は無理です。それは、イエスが語られたと考えられるアラム語では両方とも《ケファ》だからです。シモンはイエスから「ケファ」という呼び名を与えられたのです(ヨハネ一・四二)。

 ペトロへの祝福の言葉は復活者の顕現の場で与えられたものであるとしても、「ケファ」という呼び名自体はイエスが地上におられたときに与えられたものです。イエスは他にもゼベダイの二人の子らに「ボアネルゲ」(雷の子)という呼び名を与えておられます(マルコ三・一七)。イエスは弟子ひとりひとりの性格を見抜いて、ふさわしい呼び名をつけられたのです。おそらくヨハネ福音書(一・四二)が示唆しているように、彼らがイエスに出会ったごく初期に与えられたのでしょう。ここ(ペトロへの祝福の言葉)で、その名を担う者の果たすべき役割が新しく啓示されたのです。

 この「ケファ」の上にキリストの民は成立する、とマタイは書いているのです。しかし内容からすると、サタン的なメシア理解しか持てない人間シモンではなく、父からの直接の啓示によってイエスが復活者キリストであるという奥義を示されて告白している「ケファ」が「岩」とされているのです。その意味で、エクレーシアがその上に建てられる「岩」とはこのキリスト告白であると言えます。さらに進んで、この告白の内容であるキリスト自身が岩であるという理解も可能になります。わたしたちの信仰体験としては、この「岩」とは究極的には主イエス・キリストご自身を指すと理解せざるをえません。

 古代ではオリゲネス、テリトゥリアヌス、クリュソストモスなどがこの「岩」を信仰告白を指すと解釈し、アウグスティヌスはイエス・キリストご自身を指すと解釈しました。宗教改革者は、信仰告白あるいはキリストご自身を指すと理解しました。

 この岩であるペトロと共に「イエスはキリスト、生ける神の子である」と告白する者たちの群れが、ここで《エクレーシア》と呼ばれています(一八節)。《エクレーシア》という語は、イエスの復活後、イエスを復活者キリストと告白する民が自分たちの共同体を指すのに用いた用語ですから、歴史的な場面としてはイエスが《エクレーシア》という語を用いて神の民の成立を語られることはなかったと考えられます。しかし、マタイはペトロの「メシア」告白の場面を「キリスト」告白の場面にしているのですから、この告白をする民を自分たちが用いている《エクレーシア》という語を用いて呼ぶのです。そして、現在の自分たちの《エクレーシア》を地上のイエスと弟子たちの姿に重ねて物語っていきます。その結果、現在の《エクレーシア》に対する訓戒を、イエスが弟子たちに与えられた訓戒として語ることができるのです(一八章、とくに一七節)。

 《エクレーシア》という語を用いて自分たちの共同体のことを語ったのはマタイであるとしても、それはイエスが地上に終末的な神の民の成立を予想されてはいなかったことを意味するものではありません。それは別問題です。イエスは別の表現で終末的な神の民の歴史内での形成を語っておられます。それをマタイがここで《エクレーシア》と重ねるのです。しかし、それはもはや古い神の民であるイスラエルの枠内の民ではなく、それとは別のキリストの民、「わたしの《エクレーシア》」なのです。

 マタイは「わたしは、この岩の上にわたしの《エクレーシア》を建てるであろう」という語録をここに置いています。「建てるであろう」という動詞は、イエスが神殿で「この神殿を壊してみよ。わたしは三日でそれを建てるであろう」(ヨハネ二・一九)と言われたお言葉を思い起こさせます。マタイとその共同体は、そのお言葉通り、復活されたイエスが現在ご自身に所属する民を呼び集め、終末時の神の民を形成されていることを、建物の比喩を用いて表現しているのです。この新しい神殿の「隅の頭石」は、ペトロと共に、イエスがキリストであるという奥義を父から啓示されて告白する信仰であり、その信仰を成り立たせるイエス・キリストご自身です(エクレーシアを建物の比喩を用いて語ることについてはコリントI三章一〇節以下を参照)。
 イエスはこの《エクレーシア》について、「陰府《ハデス》の門もこれに対抗することはできない」(直訳)と語られます。《ハデス》とは死者のいる場所です。「《ハデス》の門」とは、死者をその領域に閉じ込めている開かずの門です。ひとたび死者の国に入るならば、だれもこの門を破ることはできません(この意味で「陰府の力」と意訳することも可能です)。もし「陰府の門」を陰府の支配力とし、その力が《エクレーシア》を攻撃すると理解すると、「陰府の力はこれに打ち勝つことはできない」と訳すことになります。しかしここは、復活の命に溢れる《エクレーシア》が攻撃するとき、「陰府の門はこれに対抗することができない」で、開門せざるをえないと理解する方が、《エクレーシア》の力強さをいっそう強調することになると思われます。《エクレーシア》は復活の命が支配する場です。この復活者キリストにある場では、今までわたしたちを死に閉じ込めてきた「陰府の門」も打ち破られるのです。

天の国の鍵(16・19)

 「建てる」とか、「(土台の)岩」、「門」と建物のイメージを用いて《エクレーシア》のことを語ってきたマタイは、ここに「鍵」の比喩を用いてペトロの地位を語ります。すなわち、イエスをキリストと告白したペトロに、イエスは「天の国の鍵」を授けたというのです。ここで「天の国」は建物のイメージで登場します。「天の国」とは、ここではすでに建物の比喩で語られている《エクレーシア》を指していると見られます。「天の国」すなわち《エクレーシア》という建物に入る門を開いたり閉じたりする鍵を、イエスはペトロに授けたというのです。主が僕エルヤキムに「ダビデの鍵」を与えて、「彼が開けば閉じる者はなく、彼が閉じれば開く者はないであろう」という支配権を委ねられたように(イザヤ二二・二二)、イエスはペトロに鍵を渡し、彼の家《エクレーシア》の管理人に任命したというのです。その鍵を用いて、ペトロが門を開くとき、人はエクレーシアに入ることができ、門を閉じるときは入ることが拒否されるのです。ここでは表現の意味の説明にとどめ、これが実際には何を意味するかは後で取り上げます。

 旧約聖書の「鍵」の象徴はヨハネ黙示録の著者がよく用いています。復活者キリストは「ダビデの鍵を持つ方」と呼ばれ、イザヤ書二二章二二節がそのまま引用されています(黙示録三・七)。また、死者の中から復活した方として「死と陰府の鍵をもっている」とされています(黙示録一・一八)。
 そしてさらに、「鍵」の権能を説明する言葉が続きます。

 「あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる」。(一六・一九)

 「つなぐ」とか「解く」という表現は、ユダヤ教律法の教師であるラビたちの用語です。ラビの用語では、「つなぐ」というのは律法順守のためにある内容の義務を課すことであり、「解く」というのはその義務を免除することです。この意味で理解しますと、イエスはペトロにイエスの言葉を解釈して教える権能を与えたことになります。具体的な状況に即して、イエスの言葉に従うためにはこうすべきであると、ペトロが地上で決めたことは、天上でも有効であるという意味になります。その決定と教えに反することは、神の意志に反することになります。
 ところが、この「つなぎ、かつ解く」権能は、ペトロ個人だけでなく、エクレーシア全体に与えられていることを語る箇所があります(一八・一八)。そこでは「あなたがたが地上でつなぐことは、天上でもつながれ、あなたがたが地上で解くことは、天上でも解かれる」と語られています。そこでも「つなぐ」とか「解く」の内容は説明されていませんが、直前の段落(一八・一五〜一七)の文脈からすると、罪を犯した兄弟を受け入れるか追放するかを決める権能を指しているようです。後に続く「赦さない家臣のたとえ」(一八・二一以下)も、これが兄弟を赦して受け入れる権能であることを指しています。
 また、ヨハネ福音書には「だれの罪でも、あなたがたが赦せばその罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ赦されないまま残る」(ヨハネ二〇・二三)というお言葉が伝えられています。初期の教団は、復活の主からこのような権能を与えられていると理解していました。このような明白な並行語録がある以上、「つなぎ、かつ解く」権能はもともと罪を犯した兄弟を受け入れるか拒否するかの権能であったと理解すべきです。それがユダヤ人の宣教圏で「つなぎ、かつ解く」というラビ的な用語で表現され、さらにマタイによってペトロへの賞賛の中に用いられて、ペトロ個人に与えられた権能とされたと見られます。
 このように理解すると、「つなぎ、かつ解く」権能はペトロに与えられた「鍵」の内容を説明することになり、一九節は一体のものとして自然に続きます。イエスはペトロに「天の国の律法」を解釈して教える権能を与えて、ラビの長に任命されたのではありません。ペトロは、教団に与えられた赦しを与えるという意味の「つなぎ、かつ解く」権能を代表しているのです。その意味で「天の国の鍵」を与えられているのです。

ペトロの首位性

 初期の教団には、ペトロを使徒の中で首位におく伝承がありました。それは、復活されたイエスが最初にペトロに現れたという伝承に基づいています。最初に復活の主に出会った者として、イエスの十字架刑の後ガリラヤに逃げていた弟子たちを励まし、エルサレムに再びイエスを信じる者たちの群れを形成し、指導するのに中心的な役割をはたしたのはペトロでした。しかし、ペトロがエルサレムを去ってからは、主の兄弟ヤコブがエルサレム教会の、したがって全教団の首位に座すことになります。ペトロはアンティオキアに来て伝道し、パウロと対立しますが、パウロがアンティオキアを去ってからは、イエスの身近な弟子であり復活の第一の証人としてのペトロの権威が、アンティオキアを中心とするシリア地方に確立していきます。この流れの中で成立した共観福音書では、ペトロはいつも十二使徒のリストの筆頭者として登場します。シリアで成立したと見られるマタイ福音書は、この地方で確立しているペトロの首位性を、ここで見たような語録の編集によって根拠づけるのです。
 しかし、初期の福音告知運動においては、ペトロ以外の人物を首位とする伝承もありました。たとえば、主の兄弟ヤコブを首位とする伝承は、復活されたイエスは最初にヤコブに現れ、ヤコブに全権を委ねたという内容の福音書を成立させていました。また、トマスを最高の啓示を与えられた使徒とする「トマス福音書」もあり、さらにマグダラのマリアを首位におく伝承もありました。
 新約聖書の中でもっとも初期の文書であるパウロ書簡は、ペトロであれ他の誰であれ、一人の人物が首位に座して全エクレーシアを指導監督するという体制には反対しています。マタイ福音書はパウロが活動した時期よりずっと後の成立ですが、パウロ系の諸集会は、マタイがここで書いているようなペトロの首位性は認めなかったと思われます。
 たとえば、ヨハネ福音書は、どの程度パウロの思想を継承しているのかは議論がありますが、ペトロ以外の弟子を優位におく傾向があります。ペトロの使徒としての権威を否定しているのではありませんが、ペトロが首位であることには批判的であるように見えます。
 このように初期の伝承の多様さを瞥見したのは、マタイ福音書で主張されているペトロの首位性は、当時の状況でマタイが描いているエクレーシアの理念であって、当時の福音の多様な展開の中の一つであることを理解するためです。したがって、この箇所の理解は、マタイが彼の状況の中で言おうとしていることを理解するように努めつつ、福音の基本的原理に従って解釈しなければならないと言えます。

 このマタイだけが伝えるペトロへのイエスの賞賛の言葉(一六・一七〜一九)は、ローマ・カトリック教会の成立や教義、それに対抗する宗教改革など、その後のキリスト教の歴史に重大で巨大な影響を及ぼし、論争の的となってきました。この問題は、この講解の範囲をはるかに超えますので、別の機会に取り上げたいと思います。