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第五章 弟子の派遣

       マタイ福音書 一〇章




第一節 派遣される弟子

飼い主のいない羊(9・35〜38)

 マタイは、イエスがガリラヤでなされた働きを、「イエスは町や村を残らず回って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、ありとあらゆる病気や患いをいやされた」(九・三五)という、ガリラヤ福音告知活動のはじめに用いた(四・二三)のと同じ表現で締め括ります。そして、その活動の中で「群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた」(九・三六)イエスが、同じ癒しの働きをさらに広い範囲に及ぼすために弟子を派遣される記事が続きます。こうして、この段落(九・三五〜三八)は先行する部分(八〜九章)とこれから語ろうとする部分(一〇章)を結びつけています。
 弟子の派遣は、民に対するイエスの憐れみ(それはイエスを通して示される神の憐れみ)の表現であるだけではなく、迫っている神の国にその民を召集するという終末的な意義をもつ出来事でもあるのです。そのことが「収穫」という終末を象徴する聖書的用語で語られます(九・三七〜三八)。マタイが「収穫は多いが、働き手が少ない」というイエスの言葉を伝えるとき、これから福音告知に乗り出そうとしている諸民族の大きな世界を前にして、マタイは働き手である自分たちの群の小さい姿を実感していたのかもしれません。「収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願う」祈りは、マタイの共同体の祈りであり、また世々のキリストの民の祈りでもあります。そして、この祈りに一身を捧げた多くのイエスの弟子たちによって、福音は全世界に宣べ伝えられたのでした。
「十二人」の派遣(10・1〜15)
 こうしてイエスは「十二人」の弟子を派遣されます。この「十二人」は後に「使徒」と呼ばれる特別の地位を占めるようになり、マタイもこの名称を遡ってここで用いていますが(一〇・二)、ここでは福音告知に派遣される弟子の原型として登場します。

 「十二人」については『マルコ福音書講解』17「十二人を選ぶ」で一応解説していますので、ここでは省略します。ただ、マタイ福音書(一〇・二〜三)だけペトロに「第一に」という序列がつき、マタイに「徴税人」という職業名がついていることを付記しておきます。

 この「十二人」の派遣の記事(一〇・一〜一五)は、その内容からして、イエスが地上におられたときの弟子たちの活動と、イエスの死の直後の弟子たちのガリラヤでの福音告知活動(いわゆるQ宗団)の姿を色濃く反映している見ることができます。その特色を数点あげておきます。
 まず第一に、弟子たちの活動は、悪霊を追い出し病人を癒すというカリスマ的な働きが前面に出ています。イエスは弟子を派遣するにあたり、「汚れた霊を追い出し、あらゆる病気や患いをいやすため」に「汚れた霊に対する権能をお授けに」なり(一〇・一)、「病人をいやし、死者を生き返らせ、らい病を患っている人を清くし、悪霊を追い払いなさい」と命じておられます(一〇・八)。これはまさにイエスがなしておられたことであり、弟子たちはイエスの名によって(イエスからの使者として)同じことをするように派遣されるのです。
 第二に、宣べ伝えるべき使信については、「行って、『天の国は近づいた』と宣べ伝えなさい」とだけ言われています(一〇・七)。イエスが派遣にさいして弟子たちに授けた権能については、汚れた霊に対する権能だけが言及されていて(一〇・一)、イエスの教えを伝えることについては触れられていないことが目立ちます。マタイは後にイエスの教えを「山上の説教」としてまとめ、その教えを守ることを復活の主の命令としている(二八・一八〜二〇)ことを考えると、イエスの時代とその直後では、弟子たちの福音告知は、洗礼者ヨハネと同じく、終末審判の切迫の使信であったという対照が目立ちます。イエスの福音は「恩恵の支配」の告知であるという点で洗礼者ヨハネとは違う面が出てきますが、同時に洗礼者ヨハネの継承者として終末審判の切迫を告知するという面も最後まで貫かれていたと見られます。弟子たちの使信が終末審判の切迫であったことは、この使者と使信を受け入れない者たちに対して「裁きの日にはこの町よりもソドムやゴモラの地の方が軽い罰で済む」(一〇・一五)と語られていることからもうかがうことができます。弟子たちはイエスと共に「神の支配(審判)が迫っている」と宣べ伝え、イエスの死と復活の後ではそれを「人の子」の来臨という形で宣べ伝えたのです。
 第三に、終末の切迫から、それを告知する使者の働きも急を要することになります。使者は一カ所に留まることなく、次から次へと町や村を急いで回らなければなりません。そのために、旅の準備が十分できたら出発しようというのではなく、何も持たないでも行動できる身軽さが求められます。そこで「帯の中に金貨も銀貨も銅貨も入れて行ってはならない。旅には袋も二枚の下着も、履物も杖も持って行ってはならない」と命じられ、「働く者が食べ物を受けるのは当然である」から、行き先で父が備えてくださるものだけを当てにして、先を急ぐように求められます(一〇・九〜一〇)。とどまるべき家に関する指示(一〇・一一〜一三)も、巡回する伝道者と定住する信徒とで構成された最初期の福音告知運動の姿をうかがわせます。
 第四に、弟子たちの働きはイスラエルに限定されています。イエスは派遣する弟子たちに、「異邦人の道に行ってはならない。また、サマリア人の町に入ってはならない。むしろ、イスラエルの家の失われた羊のところへ行きなさい」と命じておられます(一〇・五〜六)。復活のイエスは弟子たちを「すべての民」(異邦の諸民族)に派遣されますが(二八・一九)、地上のイエスは弟子たちをイスラエルだけに派遣されるのです。それは、イエス御自身がイスラエルを悔い改めに導くことを使命としておられたからです(一五・二四参照)。地上のイエスがイスラエルだけを視野に入れておられたことは、「一つの町で迫害されたときは、他の町へ逃げて行きなさい。はっきり言っておく。あなたがたがイスラエルの町を回り終わらないうちに、人の子は来る」と言っておられることからもうかがわれます(一〇・二三)。
 福音書執筆の時点で、マタイはユダヤ人会堂とは決裂して、これからは異邦人に福音を宣べ伝えていかなければならいと決意し、それを復活の主の命令として表現しています(二八・一九)。それにもかかわらず、福音告知をイスラエル(ユダヤ人)だけに限るようなイエスの命令を保存して伝えているのは、イエス伝承(とくに自分たちのルーツである語録伝承)に対するマタイの忠実な態度によります。そのおかげで、わたしたちが福音書という福音告知文書を透過して地上のイエスの実像に近づくことができるのです。
 十二人を派遣されるにさいしての説教(一〇・五〜一五)は、地上のイエスの実像(いわゆる「史的イエス」)を追求する上で重要です。イエスはここでご自分がしておられることを弟子たちに求めておられると考えられるからです。ここに描かれている弟子の姿は、まさに師イエスの姿でもあるのです。「弟子は師にまさるものではなく、僕は主人にまさるものではない。弟子は師のように、僕は主人のようになれば、それで十分である」(一〇・二四〜二五)という格言は、この事実を指す意味にも理解できます。この観点から見ると、もともとイエスとその弟子たちの運動は、ガリラヤのユダヤ人社会における、終末の切迫と悔い改めを訴える巡回のカリスマ的預言者運動であったと言えます(洗礼者ヨハネの運動との対比については後述)。

 「語録資料Q」の類型について(したがってそれを生み出した初期の福音告知運動の性格について)、それが「賢者の言葉」であるのか、預言の言葉であるのか、論争があります。ここでその議論に立ち入ることはできませんが、この「派遣の説教」はイエスとその弟子たちの運動の性格を理解する上で重要な根拠であることを指摘しておきたいと思います。