市川喜一著作集 > 第7巻 マタイによるメシア・イエスの物語 > 第13講

第二節 弟子の道

弟子の覚悟(8・18〜22)

 悪霊を追い出し病気を癒しながらガリラヤを巡回されるイエスの働きを物語るブロック(八〜九章)の中に、イエスにつき従っている弟子たちに関する物語が挿入されます。これはおそらく、やがてイエスと同じ癒しの業を行うために派遣されるようになる弟子たちに対する「派遣の言葉」(一〇章)を準備するためでしょう。
 イエスはカファルナウムで百人隊長の子やペトロのしゅうとめをいやし、多くの病人をいやす働きを続けられます(八・五〜一七)。イエスの評判が高まり、群衆がイエスを取り囲むようになったとき、イエスはカファルナウムを去ってガリラヤ湖対岸の地方へ行こうとされます(八・一八)。ガリラヤ湖西岸のカファルナウムはイエスの住まいがあった町である(四・一三)ことを考えますと、イエスの行動は、御国の福音を宣べ伝えるために定住の地を捨てて巡回または放浪の旅に出ることを意味します。イエスに従っていく願いを表明した律法学者に、イエスが「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない」と言われた(八・一九〜二〇)のは、この時のイエスの決意を示しています。あるいは、イエスがご自分の生涯について漏らされた述懐を、マタイがここに用いたのかもしれません。いずれにせよ、イエスの弟子としてイエスに従っていこうと願う者は、イエスと同じように枕する所のない生涯を覚悟すべきであると、マタイは求めているのです。地上に枕する所のない生涯とは、自分の故郷(弟子たちの場合はイスラエル共同体)から追い出されて、この世が提供する保証に安住しないで、ただ父が養ってくださることだけを頼りにして、ひたすら神の国を求めて生きる生涯です(六・二五〜三四)。
 さらに、他の弟子が「主よ、まず、父を葬りに行かせてください」と言ったとき、イエスは「わたしに従いなさい。死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせなさい」と言っておられます(八・二一〜二二)。父を葬ることは息子の義務です。その肉親の義務でさえ、イエスは「死んでいる者たち」の世界、この世に埋没して神の命に関わりない者たちの世界のこととして、それを放棄することを求められます。その世界に関わる事柄はその世界の人たちに任せておき、イエスの弟子は神の国に生きることに専心しなければならないのです。イエスに従うというのは、それほどこの世から徹底的に離脱することです。神の国を宣べ伝えるとは、それほど切迫した義務なのです。ルカの並行箇所(ルカ九・六〇)では、この言葉に「あなた(強調)は出て行って、神の国を言い広めなさい」という言葉が続いています。「死んでいる者たちに関わる世界のことはその世界の者たちに任せ、死んでいる者ではないあなたはそこから出て行って、神の命の世界を言い広めよ」ということです。

 ルカの並行記事(ルカ九・五七〜六二)には、この二つの対話の他に、まず家族に別れを告げることを許してくださいと求めた者に、イエスが「鍬に手をかけてから後ろを顧みる者は、神の国にふさわしくない」と言われたという第三の対話が伝えられています。Qの研究者(たとえばクロッペンボルグ)は、もともとQにあったこの語録をマタイが省略したと見ています。

 この段落が伝える二つ(ルカでは三つ)のイエスの言葉は、「語録資料Q」を形成した初期の福音告知運動の状況に置いてみると、その意義が明瞭に浮かび上がります。その福音告知運動の担い手は、定住せず各地を巡回してイエスの言葉を教える伝道者または預言者でした。このような「イエスの弟子」である巡回伝道者の働きによって、各地に定住者たちの信徒集団が形成されていったと見られます。このような巡回の生涯を送る「弟子たち」にとって、この段落のイエスの言葉は、あの「空の鳥、野の花」の言葉などと共に、自分たちの生き方を根拠づける重要な言葉であったのです。
 しかし、今はイエスの弟子たちの状況は異なります。わたしたちの大部分は都会に定住し、家族を持ち、永続的な職業に従事して給料を貰っています。このような状況のわたしたちにとって、イエスがご自身と同じように巡回伝道に生きる弟子たちに語られた言葉はどう受け取ればよいのでしょうか。どのような意義があるのでしょうか。
 その鍵はこれらの物語に繰り返し現れる「まず」という言葉が示唆しています。弟子たちはイエスに従う意志を示しています。しかし、「まず」父を葬りに行かせてくださいとか、「まず」家族に別れを告げに行かせてくださいとか言っています。まず老いた父が亡くなって父を葬るという家族の義務を果たした後で、神の国を宣べ伝えるという使命に献身しましょうとか、まず家族と話し合って諒解を得た上で従って参りますという弟子に、イエスはそれよりも先にまず従ってくることを求めておられるのです。まず生活の目途が立ってからイエスの弟子としての生涯を始めますという者に、「空の鳥、野の花」の姿を示して、「まず」神の国を求めよと言われるのです。どちらを先にするか、どちらを第一にするか、心構えの問題です。
 置かれている状況と与えられている使命(賜物)は一人ひとり違います。それぞれの状況で、イエスに従う生き方、神の国を追求する歩みを第一にするのです。その態度がなければ、わたしたちの生き方は「神の国にふさわしくなく」、いずれ「死んでいる者たち」の世界に埋没していくことになります。そして、その態度は人間の決意で貫くことができるものではなく、御霊の助けと迫りで可能になるものです。長いキリスト教の歴史の中で、多くの弟子たちが御霊に迫られて、このイエスの言葉に従い、家族や家業を捨てて神の国を宣べ伝える使命に献身しました。わたしも若い時に、「死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせなさい」という御言に迫られて、就職を断念し、独立伝道を決意した経緯があります。

湖上の嵐(8・23〜27)

 続く湖上の嵐の物語(八・二三〜二七)は、このブロックに集められている奇跡物語の一つに数えられることが多いようですが、状況と内容からすると、前段に続いて弟子の在り方に関わる物語と見ることができます。前段では、イエスが向こう岸へ渡ろうとされる状況で(一八節)、イエスに従うということが話題になっていました。ここでは、イエスがいよいよ船に乗り込み、弟子たちも「イエスに従って」船に乗り、向こう岸へ渡って行く状況になっています(二三節)。イエスに「従う」という主題によって、二つの段落は弟子の道についての一つの物語を形成しています。
 ペトロをはじめ最初に召された弟子たちはガリラヤ湖の漁師たちでした。彼らは職業柄ガリラヤ湖の気象条件はよく知っていたはずです。それでも突如襲ってくる嵐の時には、生きた心地がしないほど怖れることはあったことでしょう。この時にも、「湖に激しい嵐が起こり、船は波にのまれそうになった」(二四節)のです。ところが、イエスは眠っておられるのです。弟子たちはイエスを呼び起こして、「主よ、助けてください。おぼれそうです」と叫びます(二五節)。
 このような状況は実際にあったことでしょう。しかし、マタイはこの文脈に置くことで、この出来事を別の意味をもつ物語にしています。すなわち、イエスに従う弟子たちの小さい群は世界の中で、嵐の中の小舟のように行き悩まなければならない。しかし、イエスが共におられるかぎり、怖れることはない。主《キュリオス》として世界を支配されるイエスに呼び求め、一切を委ねることで嵐を突き抜け勝利するのだという信仰を励ます物語にしているのです。
 マタイの時代(福音書の執筆はおそらく八〇年代)は、ユダヤ民族全体が歴史の動乱の渦中にありました。それは、第一次ユダヤ戦争で神殿を破壊された後(七〇年)、第二次ユダヤ戦争でエルサレムから追われ全世界に散らされることになる(一三五年)までの激動の時代です。マタイの共同体は、このユダヤ戦争の惨禍を避けて、北方シリアに逃れてきたユダヤ人たちの集会である可能性が高いと考えられます。しかも、マタイがその一員であるイエスの弟子たちの小さい群は、今やその故郷であるユダヤ人会堂に帰属することを断念し、異邦諸民族の大海に乗り出そうとしています。弟子たちの心は前途を思い、不安におののいていたことも十分想像できます。
 そのような弟子たちに、マタイは復活の主が共にいてくださること、一言葉で嵐を静め、荒れ狂う世界を支配する方が自分たちと一緒にいてくださることを思い起こさせ、それにもかかわらず怖れる弟子たちを「信仰の薄い者たち」と叱責して、励ますのです。この「信仰の薄い」という表現はマタイに多く見られる独自の表現です(他に六・三〇、一四・三一、一六・八、一七・二〇。新約聖書の他の文書ではルカ一二・二八に用いられているだけで、Qの用語をマタイがとくに好んで用いたと見られます)。弟子たちはたしかにイエスを信じて従ってきたのです。イエスにならって父に信頼することを学んできたのです。彼らは「信仰のない者」ではないのです。しかし、その信仰は嵐の中でも父の懐に憩って眠るというイエスの信仰にはほど遠いのです。
 弟子たちは「主よ、助けてください」と叫びます。この「主《キュリオス》よ」という称号には、マタイの時代の復活の主に対する祈りが反映していると見られます。マタイの集会はイエスが主《キュリオス》であることを知っています。マタイの集会は、この方が「風と湖とをお叱りになるとすっかり凪になった」ことを知っています。しかし、物語の始めにあたって、マタイは「いったい、この方はどういう方なのだろう。風や湖さえも従うではないか」という驚きと問いの形で、このイエスこそ主《キュリオス》であるという主題を提示するのです。マタイの物語はこれから「この方はどういう方なのか」という問いをめぐって進んでいきます。

マタイの召命(9・9〜13)

 マタイの物語の舞台は再びカファルナウムに戻ります。「向こう岸のガラダ人の地方」で悪霊を追い出すなどの働きをされた後(八・二八〜三四)、「イエスは舟に乗って湖を渡り、自分の町(カファルナウム)に帰って来られた」(九・一)のです。そこで中風の人(脚の萎えた人)を癒すことで「人の子が地上で罪を赦す権威を持っている」ことを示されます(九・二〜八)。おそらくカファルナウムで多くの病人を癒す働きをされた後、ふたたび「そこをたち」、次の町に出かけられます。そして、「通りがかりに、一人の人が収税所に座っているのを見かけて、『わたしに従いなさい』と言われた」(九・九直訳)のです。
 この収税所に座っていた「一人の人」を弟子として召された記事はマルコ福音書(二・一三〜一七)と同じですが、その人の名前が違います。マルコ福音書では「アルファイの子レビ」ですが、マタイ福音書ではその「一人の人」のすぐ後に「マタイと呼ばれている」という説明がつきます。この違いには様々な説明がされてきましたが、マルコ福音書の「レビ」をマタイ福音書の著者が「マタイ」に変えたと見るのが順当でしょう。ルカ(五・二七)は「レビ」という名を保持しています。
 「マタイ」という名は、新約聖書の中の四つの「十二人」のリストにいつも含まれています(マルコ三・一八、マタイ一〇・三、ルカ六・一五、使徒一・一三)。マタイ福音書の著者は、この重要な召命物語の中心人物を、「十二人」に含まれていない徴税人「レビ」から同じ徴税人でありかつ使徒の一人として読者によく知られている「マタイ」に変えて、イエスが徴税人や罪人と一緒に食事をされた記事をさらに重要なものにしたのでしょう。さらに、この福音書の著者とその共同体にとって、使徒「マタイ」はイエスの語録などの伝承者として重要視されていたという事情がこの変更を促したのかもしれません。

 この講解では、古代教会以来の伝承と慣例に従って、この福音書を「マタイによる福音書」と呼び、この福音書および著者を「マタイ」と略称してきました。これはあくまで便宜的な呼称であって、この福音書の著者が使徒マタイでないことは現在広く認められています。著者を使徒マタイとする古代教会の伝承は、二世紀初頭の教父パピアスの著作の一節(の誤解?)から出ています。パピアスはこう書いています。「マタイはヘブライ語の方言(アラム語?)で主の語録を集めた。そして各自がそれぞれの能力に応じて解釈した(あるいは翻訳した)」。この記事に基づいて、古代教会はイエスの語録を中心とするこの福音書を使徒マタイの著作としたわけですが、これは次の事実から成立しません。まず、この福音書はヘブライ語で書かれてからギリシャ語に翻訳されたものではなく、はじめからギリシャ語で書かれていることが明らかであること。さらに、イエスの生涯の直接の目撃者である使徒マタイが、そうでないマルコの著作に依存することは矛盾していることなどです。序章「マタイ福音書の成立と構成」に書いたように、この福音書は八十年代にシリアのどこかで、ギリシャ語を用いるユダヤ人キリスト信者学者(ユダヤ教律法に詳しい学者的人物)によって書かれたと見られます。ただ、著者とその共同体は「語録資料Q」の伝統の中に生きる人たちでしたので、語録伝承の源に立つ者として使徒マタイを尊重していたことは十分可能性があります。そして、古代の習慣では、一つの著作が伝承の主要な担い手の名で呼ばれることは普通のことであるとされています。

 ここで弟子として召された徴税人の名がレビであろうとマタイであろうと、この記事の重要性は変わりません。この記事は、イエスの「神の国」告知の内容が「恩恵の支配」の告知であることを、イエスの行動で示している重要な記事です。食事を共にすることは、その人たちの仲間であることを示す行動です。ファリサイ派の人たちは、律法を順守する自分たちは「義人」であるとして、律法を知らないか守らない異邦人やイスラエルの中の「罪人」たちとは決して食卓を共にしませんでした。彼らと交わることは、彼らの汚れを身に受けることになるからです。その中で徴税人は遊女と並んで典型的な「罪人(つみびと)」であったのです。そこで、ファリサイ派の人々はイエスが徴税人と食事をされるのを見て、弟子たちに、「なぜ、あなたたちの先生は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」と言うことになるのです(一一節)。これは厳しい詰問であり非難の言葉です。
 この非難に対してイエスは言われます、「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人(義人)を招くためではなく、罪人を招くためである」(マルコとルカ)。この言葉こそ、受ける者の資格を問わないで無条件に救いとか命を与えてくださる父の恩恵を示す典型的な言葉です。イエスが来られたのは、「恩恵の支配」という、「律法の支配」とはまったく異なる原理による神との関わりを地上にもたらすためであるのです。
 マタイはこのマルコの伝える語録に、預言者ホセア(六・六)の言葉を挿入して、イエスの言葉が(旧約)聖書の真意を実現するものであることを主張します。「『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい」という形式はユダヤ教ラビの教え方に従っており、マタイがユダヤ教会堂を相手に論争していることを改めて示唆しています。
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 この重要な段落も、すでに『マルコ福音書講解』の当該箇所で詳しく講解しているので、ここではマタイ福音書に特有の内容だけにしておきます。
 また、マタイはここではマルコの順序に従って、徴税人との会食につづいて断食に関する記事(九・一四〜一七)を置いています。この順序は、徴税人と食事をされるイエスの宗教がそれまでのユダヤ教とは原理的に違う「新しい」ものであることを示すためであると見られます。この断食についても『マルコ福音書講解』の当該箇所で詳しく論じていますので、ここでは省略します。断食に関するマタイの記事がマルコの記事と微妙に違うことについては、拙著『「マタイによる御国の福音――「山上の説教」講解』の六章一六〜一八節の段落についての講解(244頁)を見てください。