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第二節 物語福音書

宣教の二つの流れ

 わたしたちは孔子の語録集である「論語」や、釈迦の語録集から発展した仏典に親しんでいますので、イエスの信奉者たちがイエスの死後、まずイエスの語録集を生みだし、それを拠り所として新しい信仰運動を進めていったことは、自然な流れとしてよく理解できます。それに対して、マルコ福音書という「物語福音書」が成立したことは、福音宣教の歴史において、さらに宗教一般の歴史において、他に例を見ない新しい類型の信仰文書の誕生として、画期的な出来事であったというべきでしょう。
 マルコ福音書が成立したのはユダヤ戦争の時期で、エルサレム神殿が破壊される七十年前後であると見られます。その頃までの福音の進展を概観しますと、一方ではガリラヤからシリアに向かう地域で、ここで見ましたように、イエスの弟子たちや追随者たちによって「語録福音書Q」を生み出すような信仰運動が、ユダヤ人の間で展開していました。他方、おそらくエルサレムに成立した信徒集団から始まりアンティオキアなどに進んでいったものと考えられますが、イエスを復活によってキリストとされた方であるとし、その十字架の死の贖罪的意義を宣べ伝える宣教(いわゆる「ケリュグマ」の宣教)が進展していました。この運動の中心にはペトロがいました。この宣教活動はかなり初期から、ユダヤ人だけでなく異邦人に向かってもなされたようです。それは、この活動には初めからディアスポラ(離散)のユダヤ人が参加していたからです。彼らはヘレニズム世界に生きていたので、キリストの救済の告知をユダヤ教の枠を超えてヘレニズム世界の人々に大胆に宣べ伝えることができたのです。そのような異邦人への宣教活動の代表者がパウロです。パウロの活動によってキリストの宣教は小アジアからギリシアへと進展していきます。
 ところで、このようなキリストを宣べ伝える言葉は、語り伝えられる過程で定式化されて一定の形をとるようになります。これが「キリスト伝承」です。パウロも宣教にあたって自分も受けた「キリスト伝承」を用いています(コリントT一五・一〜五)。このキリスト宣教の流れの中で、キリストを宣べ伝える言葉が「福音」と呼ばれるようになります。
 このように、イエスが世を去られてから直後の弟子たちの信仰運動には、二つの大きな流れがあったことが分かります。一つは、生前のイエスの言葉に従って生き、イエスの言葉を宣べ伝えようとして「語録福音書」を生みだした流れであり、もう一つは十字架・復活の「キリスト伝承」を中心として「福音」を宣べ伝えた流れです。地理的に見ると、前者はガリラヤからシリアなど、北から東に向かう流れです。もう一つの語録福音書である「トマス福音書」もこの地域(シリア)で成立したと見られています。後者は、パウロの活動に代表されるように、おもに西に向かう流れで、パレスチナ・シリアから始まって小アジア、ギリシア、そしてローマに及びます。エジプトなど南に向かう流れもこれに属します。地理的に見て興味深いのは、シリア、とくにその中心都市であるアンティオキアの役割です。この地域は二つの流れが交差するからです。
 さて、この二つの流れの中で、マルコ福音書はどこに位置するのでしょうか。マルコ福音書が成立したと見られる七十年前後の時期までに、第一の流れでは、すでに「語録福音書Q」がほぼ現在の形で成立し流布していました(最終的な完結はユダヤ戦争以後であると学者は見ています)。第二の流れでは、五十年代にパウロ書簡が書かれ、この頃(七〇年前後)までにはパウロ系の諸教会にかなり広く知られていたと見られます。その後に成立したマルコ福音書は、この二つの流れのどちらに属し、これらの文書とどのように関わるのでしょうか。

マルコ福音書の性格

 前著『マルコ福音書講解』では、この福音書のテクストが現在のわたしたちに語りかける福音を聴き取ることに集中するために、成立の事情や伝承史的背景には触れず、著者についてはペトロの通訳であったマルコであるという教会の伝統的な説明を紹介するに止めましたが、今回はマルコ福音書の存在の意味をよりよく理解するために、もう少し詳しく成立事情を検討して、この福音書が二つの流れの中でどのような位置を占めるのかを確認したいと思います。
 マルコ福音書の成立事情を知るための資料は、マルコ福音書自身しかありません。外の資料はほとんどありません。そして、マルコ福音書の内容と構成を検討してみると、この福音書は第二の流れ、すなわち、十字架と復活を中心とする「キリスト伝承」に基づいて「福音」を宣べ伝える流れの中で成立したことが確認できます。その理由を、第一の流れの代表的文書である「語録福音書Q」と比較しながら見ていきましょう。
 第一の理由、そして最大の理由は、マルコ福音書がイエスの十字架の死の贖罪的・救済的意義を明らかにするために書かれているという事実です。前著『マルコ福音書講解』でも指摘したように、マルコ福音書はイエスの受難を主題として構成されています。マルコ福音書は、ガリラヤでの宣教活動、エルサレムへ向かう旅、エルサレムでの最後の一週間の三つの部分がほぼ同じ分量で書かれていて、直接イエスの受難を扱う部分だけでも全体の三分の一、さらに受難への準備の色彩の強い旅の部分も入れると、実に三分の二が、受難の物語に当てられていることになります。それだけでなく、ガリラヤでの活動のごく初期から受難の理由が説明されたり、旅の部分でも受難予告が三度も繰り返されたり、全体の構成が最後の十字架の死を目標にして叙述されていることが分かります。この福音書が「長い序文をつけた受難物語」と称せられるわけです。構成や分量だけではなく、著者自身が福音を要約してこう言っています。すなわち、「人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日の後に復活することになっている」(マルコ八・三一)ことこそ、イエスが語られた「ホ・ロゴス」である、すなわち福音そのものであると、著者は明言するのです。
 この点が「語録福音書Q」との最大の相違点です。「語録福音書Q」には受難物語がありません。生前のイエスの言葉だけが集められています。たしかに、現在Qの範囲とされている内容が実際の「語録福音書Q」の全部であるとは断言できません。マタイやルカが採用しなかった内容があったかもしれません。しかし、現在確認できる範囲内の語録も、イエスの受難の事実やその意義について全然関心を示していません。この語録福音書の担い手の人々は、イエスの死に神の救いの働きを認めるのではなく、生きておられた時のイエスの生き方に従おうとする人々であったのです。
 第二にイエスの復活に対する態度が違います。この点は先の受難に対する態度の違いほど明確ではありませんが、やはり違いが認められます。『マルコ福音書講解』の終章で見ましたように、マルコはあくまでイエスの復活から出発しています。地上のイエスの働きを物語るという形で、復活してキリストとされた方を告げ知らせているのでした。地上の人間イエスと復活者キリストという二つの次元の落差を埋めるために、マルコは、イエスがキリストであることを秘密にするように命じられたとする「メシアの秘密」や、弟子たちの無理解というような工夫を用いました。マルコが多くの奇跡物語を集めているのも、復活者の顕現を物語るためか、イエスが復活者キリストであることの「しるし」を示すためであったわけです。
 それに対して「語録福音書Q」は、あくまで生前のイエスの言葉に従って生きようとする人々の態度を反映しているだけで、イエスの復活を語ることはありません。とくに、「語録福音書Q」のオリジナルな内容は新しい生き方を教えるアフォリズム集であったとする学者たちは、Qの担い手たちはイエスの復活とか、イエスがメシア・キリストであることには何の関心も持たない人々であった、すなわち彼らはキリスト教徒ではなかったと言っています。たしかに、イエスが「人の子」として顕現するとの待望はイエスの復活を前提としているとも考えられます。しかし、語録福音書の「人の子」句は復活を前提にしないでも、生前のイエスが口にされた「人の子」句から派生したとの説明も可能です。いずれにしても、「語録福音書Q」は直接イエスの復活を話題にしたり、信仰の拠り所とすることはありません。このことの結果でしょうか、「語録福音書Q」はイエスの奇跡物語をほとんど含んでいません。
 第三に、マルコは自分の著作が「福音」を告げ知らせる書であることを主張しているのに対して、「語録福音書Q」には「福音」という名詞も概念もありません。新共同訳で見ますと、「語録福音書Q」には「福音」という語が洗礼者ヨハネに関する記事の中で二度出てきますが(ルカ七・二二、一六・一六)、これは「告げ知らせる」という意味で用いられている動詞です。
 マルコは著作の冒頭で、これは「イエス・キリストの福音」であることを明言しています。マルコ福音書には「福音」という語が七回出てきますが、それらはほとんどマルコの編集句に出てきます。すなわち、伝承された素材以外にマルコ自身が説明をする場合にこの表現が用いられているのです。たとえば、イエスがガリラヤで「神の福音」を宣べ伝え始め、「福音を信じなさい」と語られたというように、マルコがイエスの働きを描写する場合(一・一四〜一五)や、「わたしのために」命とか家や畑を失う者について語られている言葉に、「また福音のために」という説明をマルコが加筆している場合です(八・三五、一〇・二九)。この事実は、自分が書いているのは「福音」を告げ知らせるためであるという、マルコの意図を示しています。
 そして、「福音」という用語と観念は、パウロ書簡に示されているように、十字架・復活のキリストというケリュグマに基づいて宣教する流れの中で形成されたものですから、マルコが自分の著作を「福音」を語るものとしていたことは、マルコ福音書がパウロに代表される宣教の流れの中で、十字架・復活のケリュグマに基づいて書かれたことを示しています。しかし、マルコが直接パウロ書簡を知っていたかどうかは不明です。
 ですから、マルコの著作は「福音書」と呼ばれるのが自然ですが、「語録福音書Q」の方は自分を「福音」を告げ知らせる書であるとはしていないのですから、これを「福音書」と呼ぶことは、厳密に言えば適当ではありません。たんに「イエスの語録集」とすべきかもしれません。しかし、ある信仰運動の担い手たちにとって信仰の告白あるいは拠り所として、イエス伝承を用いて書かれた文書を広く「福音書」と呼ぶならば、この語録集も一種の「福音書」となります。ここでは、「トマス福音書」の例もありますので、このような広い意味で「福音書」と呼んで話を進めています。

なお、前出の佐藤研「Q文書」は、「福音書」という呼称は、マルコ福音書のように、イエスの登場から死および復活までを扱う神学的・宣教的物語という形態的原則を保持したものに限るとして、「トマス福音書」のような語録福音書は「福音書」という類型名を僭称したものであるとしています。しかし、この見方は、後に福音書を現在の正典四福音書に限定した正統派教会の立場から初期の文書を選別格付けするもので、まだ正典が確定せず流動的であった一世紀の文書に適用すべきではないと考えられます。Q文書の担い手集団にとっては福音書であったことを認めるべきであると思います。

 第四に、マルコ福音書は初めから異邦人読者を想定しています。異邦人への宣教の姿勢は、ペトロやパウロによって代表される「福音」宣教活動の特色です。それに対して、「語録福音書Q」の方はあくまでユダヤ人の間の信仰運動であって、異邦人への伝道は問題になっていません。この違いはマタイ福音書の成立を考察するさいに、重要な意味をもつことになります。

マルコ福音書の成立

 以上、主要な点だけを取り上げて、マルコ福音書と「語録福音書Q」を比較し、マルコ福音書が十字架・復活を内容とするキリスト伝承に基づく福音宣教の流れの中で成立した書であることを示しました。マルコ福音書成立の大きな意義は、この流れの中でマルコが初めて、イエスの地上の生涯を物語るという形で「キリストの福音」を書いたという点です。ここに「語録福音書」とは性格が異なる「物語福音書」が誕生したのです。
 イエスの地上の生涯を物語るという形をとるためには、素材として地上のイエスの働きや言葉を伝える伝承が必要です。このような伝承を「イエス伝承」と呼んでいます。一口に「イエス伝承」と言っても、その中にはイエスの言葉を伝える語録伝承もあれば、イエスの力ある働きを伝える奇跡物語、さらにイエスの受難の出来事を語り伝える受難物語伝承など、多様な種類の伝承があるわけです。先に見たように、ある人々はイエスの語録伝承を集めて「語録福音書Q」を形成し、独自の信仰運動を展開していきました。しかし語録伝承は「イエス伝承」の一部ですから、この運動だけから初期のイエス運動の性格一般を判断することは誤りです。
 マルコは、イエス伝承の中から語録伝承だけでなく奇跡物語と受難物語を素材として取り上げ、十字架・復活の福音を枠組みとし、その観点からイエスの生涯を物語る著作を構成したことになります。では、そのさいマルコは「語録福音書Q」を知っていて用いたのでしょうか。
 マルコ福音書が書かれるころ(七十年前後)には、「語録福音書Q」はほぼ現在の形で成立し流布していたと見られますので、マルコがそれを知っていて資料として用いた可能性はあります。事実、マルコ福音書の記事の中に「語録福音書Q」と重なる部分があることが認められています。しかし、別の経路で伝えられた伝承(たとえば口頭伝承)を用いていることも考えられるので、マルコはQを知っていたと断定することはできません。むしろ、もしマルコがQを知っていたとすれば、この「語録福音書Q」に対するマルコの扱い方とか態度がマタイやルカと際だって違うことが目につきます。いずれにしても、マルコ福音書は「語録福音書Q」とは異質な種類の福音書であることを確認させます。
 マルコ福音書がどこで成立したかについては、ローマ説、アレキサンドリア説、アンティオキア説などがあって決定していません。この福音書が実際どこで執筆されたにせよ、この福音書を生み出す背景となる宣教運動は、やはりシリアに求めるのが順当な推定でしょう。それは、パウロに代表されるような、そしてペトロの権威によって保証される十字架・復活の福音が展開している地域で、しかも豊富なイエス伝承が利用できる地域となれば、やはりシリアということになるからです。そして、マルコ福音書に見られるガリラヤ重視の姿勢から見て、何らかのつながり(たとえばユダヤ戦争の危険をさけてシリアに移住してきたガリラヤのユダヤ人がいたなど)をもつガリラヤ・シリア地域がこの福音書の背景として推測されます。
 もしこの推測が正しいとすると、「物語福音書マルコ」と「語録福音書Q」という異なった系統の福音書が、同じガリラヤ・シリア地域で並行して成立していたことになります。これはマタイ福音書の成立の背景として興味深い見方を提供することになります。