市川喜一著作集 > 第4巻 マルコ福音書講解U > 第32講

終 章




91 復活者の顕現

>  「恐れることはない。あなたがたは十字架につけられたナザレ人イエスを探しているのであろうが、彼はここにはおられない。復活されたのだ。見よ、ここがお納めした場所である。さあ、あなたがたは行って、弟子たちとペトロにこう言いなさい、『イエスはあなたがたに先だってガリラヤに行かれる。以前あなたがたに言われたように、あなたがたはそこでイエスにお会いすることになる』」。
                             (一六章六〜七節)

復活者イエスの登場

 ヨルダン川でのバプテスマから始められたマルコ福音書のイエスの物語は、イエスを葬った墓が空であった事実を報告して終わる。そして、その空の墓において、イエスが復活されたことと、復活されたイエスにガリラヤでお会いできることが告知される。われわれも、天使の指示に従って弟子たちと一緒にガリラヤに戻り、復活されたイエスにお会いしなければならない。
 ガリラヤで弟子たちがイエスに出会う出来事の最初の記事は、一章一六〜二〇節にある。それは、イエスがガリラヤ湖畔でシモンとその兄弟アンデレ、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネという四人の漁師を弟子として召された記事である。われわれは今この記事を、復活されたイエスとの出会いの記事として読み直してみなければならない。

 その前に、この福音書がイエスをどのような方として舞台に登場させているかを、改めて見てみよう。マルコ福音書はイエスの物語を、ヨルダン川におけるイエスのバプテスマから始めている(一章二〜一一節)。イエスは突然ヨルダン川の水の中から舞台に登場される。それまでのイエスについては何も語られていない。イエスがヨルダン川の水に身を浸し、その水の中から上がってこられると、天が裂けて神の霊が下り、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が天から聞こえる。この光景は、神の霊によって死の中から引き起こされ、神の子としての栄光をもって現れる復活のイエスの顕現を描くのにふさわしい。
 バプテスマにおいて水に浸されることは死を象徴し、水の中から引き上げられることは再生ないし復活を象徴する。それはキリスト信徒にはきわめて身近な象徴であり(ロマ六・三〜四)、ヘレニズム世界の宗教的常識でもあった。イエスが「聖なる霊によれば、死者の中からの復活によって力ある神の子と定められた」(ロマ六・四)という福音(ケリュグマ)の宣言を、マルコはヨルダン川でのバプテスマの出来事を描くことで成し遂げている。イエスは、神の霊によって、死を象徴する水の中から上げられて、神の子と宣言される。これは復活の福音(ケリュグマ)そのものではないか。
 イエスがヨルダン川でヨハネからバプテスマをお受けになったことは歴史的事実である。ヨハネの洗礼活動の地域や時期、またその預言の言葉や成果など、その歴史的事実の内容は断片的ながら他の三つの福音書に保存されて伝えられている。しかし、マルコはそういう歴史的事実に興味を示さないで、イエスが死の中から復活された方であることを象徴的に描くことだけに集中する。イエスの地上の出来事を語ることによって復活のイエスを告知するという、この福音書の二重構造は冒頭から明らかに見られる。
 マルコがヨルダン川でのバプテスマをイエスの復活の象徴として描いていることは、ヨハネがイエスについて語っている言葉からも読み取れる。マルコはヨハネが終末の切迫や神の審判について語ったことには何の興味も持たず、ただイエスについて言った「その方は聖霊でバプテスマをお授けになる」という言葉だけを伝えている。「聖霊によってバプテスマを授ける」ということは、明らかに復活された方の働きである。復活された方の働きを宣言する言葉だけを伝えることによって、マルコはヨルダン川の水の中から上がってこられるイエスを、死から復活される方として指し示しているのである。マルコにとってバプテスマのヨハネは、イスラエルに終末の接近を告知する預言者ではなく、復活のイエスを世に紹介する先駆者なのである。
 本講解の第一講(一章一節の講解)で述べたように、もともとマルコはこの福音書を初めから、復活して神の子とされたイエス・キリストを宣べ伝える書として書いている。ただそれを、直接言葉によって宣言するのではなく、地上のイエスの姿を描くことによってしようとするのである。その視点から見ると、マルコがイエスの物語をヨルダン川でのバプテスマから始めて、イエスの地上での働きの始点を報告すると同時に、神の霊によって死から復活して神の子と宣言されるという形でイエスを舞台に登場させることは、彼の意図を見事に実現していることが分かる。これが復活者イエスの登場であるとすれば、マルコがイエスの家族、誕生、教育、職業、風貌など、伝記的なデータに一切触れていないことも了解できる。物語の主役イエスは突然ヨルダン川の水の中から登場する、すなわち死からの復活者として登場するのである。

ガリラヤ湖畔での顕現

 さて、ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行って神の国を宣べ伝え始められる。そして、ガリラヤでの最初の出来事としての記事が、先に述べたように、四人の弟子の召命の記事(一章一六〜二〇節)である。この記事は、イエスの地上の働きの報告としては、やや奇異な感じを受ける。イエスはまだ何もしておられない。四人の漁師たちはまだイエスの教えを聞いていないし、力ある業も何一つ見ていない。ところが、イエスが彼らに「わたしについて来なさい」と言われると、彼らは網を捨て、家族を残してイエスの後について行くのである。
 しかし、この記事を、イエスの逮捕と処刑にさいし恐れてガリラヤに逃げ帰り、漁師の仕事に戻っていた弟子たちが、復活されたイエスの顕現に接し、宣教に召されるという出来事の核心部分を要約した記事として読むと、ごく自然に理解できる。
 復活されたイエスがガリラヤ湖のほとりで弟子たちに現れたということが初期の教団の中で語り伝えられていたことは、ヨハネ福音書二一章の記事からもうかがえる。注目すべきことに、この伝承ときわめてよく似た伝承がルカ福音書五章(一〜一一節)にも用いられている。夜通し漁をしたが何もとれなかったのに、イエスが指示されるところに網を降ろすと、網が破れるばかりの魚がとれたこと、それを見てシモン・ペトロがひれ伏した(あるいは水に飛び込んだ)ことなど、ほとんど同じ内容のことが語られている。ヨハネ福音書では復活後の出来事であるのに対し、ルカ福音書では地上での働きの時期の出来事になっている。内容がきわめてよく似ていることから、これは別の二つの出来事の記事ではなく、同一の出来事の伝承がヨハネとルカによって別々に用いられたと考えるべきであろう。そうであれば、復活後のイエスの顕現の伝承が、ルカによって地上の働きの時期の出来事として語られたと見る方が、その逆を想定するよりも自然である。ルカにはそうする動機があるからである。
 ルカは福音をエルサレムから始まって全世界に広がって行くものとして描いている。ルカにおいては、復活の主は弟子たちにエルサレムとその近郊で現れ、上からの力を受けるまでエルサレムに止まるように命じておられる。ガリラヤでの顕現を入れる場所はない。それで、復活されたイエスがガリラヤ湖畔でシモン・ペトロに現れて宣教に召されたという貴重な伝承を自分の福音書に組み入れるにあたって、イエスがガリラヤで宣教の働きをしておられた時にもってこなければならなかったと考えられる。そのさい、復活のイエスのガリラヤ湖畔での顕現を地上のイエスの働きとして描いているマルコに倣った可能性は多分にある。ルカの記事がもともと復活後の出来事の伝承に基づいているのであれば、ペトロがイエスの足下にひれ伏して、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者です」と言ったこともよく理解できる。ペトロは直前イエスを三度までも否認して裏切っていたからである。
 マルコ福音書一章とルカ福音書五章の召命の記事が、もともと復活者イエスの顕現の伝承によるものであることは、両者に共通のイエスの召命のお言葉と、直ちにそれに従った弟子たちの行動が示唆している。イエスはペトロたちに言っておられる、「わたしに従ってきなさい。そうすれば、わたしはあなたがたを人間をとる漁師になるようにしよう」。証人への召しは、いつも復活者との出会いの体験の一部である。復活された方にお会いした者は、もはや以前のままではありえない。その現実を証言するために、家業を捨て、家族を後に残して出て行くほどの、自己の変革を体験する。地上の教師との出会いにおいては、このような劇的な召命と行動は、おそらくありえないであろう。イエスの場合でも、イエスが地上におられる間は、弟子たちは最後までイエスを理解することも従うこともできなかった者として描かれている。復活されたイエスとの出会いにおいてこそ、ここに描かれているような、明確な召しの言葉と直ちに従う弟子の行動が可能になる。
 ガリラヤ湖畔での召命の記事が復活者イエスの顕現の伝承に基づくものであると理解することは、地上でイエスがペトロたちを弟子として招かれたという出来事を否定するものではない。たしかにペトロたちは地上のイエスに出会い、召され、従って行ったのである。ただ、彼らが実際にイエスの弟子として従って行くようになるのは、このように単純で劇的な光景で描けるようなものではなかったと言える。ヨハネ福音書の伝えるところによると、弟子たちはヨハネのバプテスマ運動の中でイエスと出会い、イエスと一緒にバプテスマ運動に従事し、だんだんとヨハネとは別のグループを形成したことが分かる。また、他の福音書にも、弟子たちはイエスのガリラヤでの宣教活動の初期には、在宅のままでイエスの活動に接し協力していることを示唆する記事もある。このような実際の出来事の経過にはいっさい触れることなく、マルコはイエスに出会うという出来事の意義を端的に語るのである。そのさい、イエスとの出会いの究極の姿である復活者との出会いの光景を用いる。しかも、ルカやヨハネが伝えるような細部はいっさい切り捨てて、ぎりぎりまで凝縮した形で核心部分だけを語るのである。これがイエスに出会うということである、と。

湖上の顕現

 弟子たちがガリラヤで復活のイエスにお会いした出来事を示唆する次の記事は、弟子たちが湖の上を歩いて近づいてこられたイエスにお会いした記事(六章四五〜五二節)である。この記事は、出会いがまったく予期できない状況で起こっていること、また、初めはその人物が誰であるか分からなかったが、語りかける言葉によってイエスだと分かったという顕現の出来事の共通の構造を示している。それで、この段落の講解で述べたように、この記事は、弟子たちが復活のイエスに出会った体験を語り伝える伝承を、マルコが地上の働きの時期に置いたものと理解することができる。
 弟子たちは逆風のために夜通し漕いでも向こう岸に着くことができないでいたが、夜明けころ誰かが湖の上を歩いて近づいてくるのを見る。弟子たちは幽霊を見ているのだと思い、おびえて大声を上げる。するとその方が語りかける。「しっかりせよ。わたしである。恐れることはない」。この語りかけの言葉で、弟子たちはそれがイエスであることを知り、安心する。イエスが舟に乗り込まれると風は静まり、弟子たちはこの出来事に大いに驚く。
 この記事は、地上の人間が水の上を歩くというようなことはありえないことであるので、どう解釈し理解するかについて際限のない議論が繰り返されている。しかし、これを復活されたイエスが弟子たちに現れた出来事として読めば、ごく自然に理解できる。イエスの十字架刑の後ガリラヤに逃げ帰った弟子たちは、ガリラヤ湖での漁師の仕事に戻ったようなので(ヨハネ福音書二一章)、このような場面が起こる機会は十分にある。
 この記事を復活者イエスの顕現の伝承に基づくものとして受け取ると、イエスが言われた「しっかりせよ。わたしである。恐れることはない」という言葉の適切さと重大さが理解できる。この「わたしである」は、たんに「わたしだ」というだけではなく、神がご自身を現されるときに名のられる「わたしはある」という宣言である。ギリシア語の原語では《エゴー・エイミ》という句で、旧約の預言者やユダヤ教で用いられる「わたしはそれである」という神の自己宣言の句に相当する(この点についての詳細は当該段落の講解を参照のこと)。イエスがこの句を口にされたのは、マルコ福音書では最高法院の裁判で大祭司の問に答えられた時(一四・六二)と、この箇所だけである。これは、十字架刑に処せられて死ぬイエスと、復活して現れるイエスとにおいて、神が決定的にご自身を現しておられることを語っているのである。
 このような形でイエスに出会った弟子たちは、マルコ福音書によると、「内心ただ呆然とするばかりであった」。ここで用いられている動詞は「大いに驚く」よりも強く、「呆然自失する」という意味の動詞(英語のエクスタシーの語源となっている動詞)であって、超自然的な現象に出会った人間の状態を描くのにふさわしい動詞である。マタイ(一四・三三)はさらに明確に、「舟の中にいた人たちは、『本当に、あなたは神の子です』と言ってイエスを拝んだ」と書いているが、これはマタイがマルコの記事を復活者の顕現の記事として理解していることを示している(「拝む」という同じ動詞が復活者の顕現を語る二八・一七にも用いられている)。

食卓での顕現

 この湖上の顕現の記事を囲むように、大勢の群衆に奇跡的に食物を与えられた二つの記事(六章三〇〜四四節と八章一〜一〇節)が置かれている。その段落の講解で述べたように、人里離れた所へ退いたイエスの一行を追いかけて集まってきた大勢の群衆に、イエスが教えを語られたことは、実際にあった事実である。そしてこれは、おそらく当時ローマの支配を覆そうとする反ローマメシア運動が盛んであった状況からして、また集まった者は「男五千人」(六・四四)という事実からして、ヨハネ福音書(六・一五)が示唆するように、驚くべき神の力を現すイエスをメシアとして仰いでイスラエルを糾合し、反ローマの戦いに立ち上がろうとする群衆の集会であったと考えられる。
 このような群衆に対して、イエスは食事を共にし、「神の国」のことやご自分が民に与えようとしているものについて、長時間にわたって懇々と語り教えられる。ところが、イエスが与えようとしておられるものと、群衆がイエスに求めているものがあまりにもかけ離れており、イエスは群衆が期待しているようなメシアとして立ち上がろうとはされないので、多くの弟子と群衆は失望してイエスから離れて行く(ヨハネ六・六六)。
 このような出来事を、マルコは食卓における復活者の現臨を語る物語にする。初期の信徒たちは、主イエスの名によって集まり、パンをさいて食事を共にした。この主イエスの名による共同の食事(主の食卓)が信仰生活の中心で、そこに復活者イエスが現臨され、その食卓にあずかることが復活者イエスとの交わりにあずかることであった。このような主の食卓における弟子たちの復活者との交わりの体験を、マルコはガリラヤでイエスが男五千人と食事を共にされた集会に重ね合わせる。この物語の中の「イエスは・・・・パンを手にとり、天を仰いで賛美の祈りを捧げ、パンを裂いて弟子たちに渡し、・・・・」(六・四一)という表現が、主の食卓で唱えられる最後の晩餐の時のイエスのお言葉(マルコ一四・二二)と同じであるのも偶然ではない。
 この記事を主の食卓における復活者イエスの現臨を語る記事として読むとき、そこで裂かれて分配されているのは、もはやパンと魚ではなくイエスご自身であることが分かる。イエスはすべての民のためにご自身を捧げ、あがないのための死という神のみ旨にご自分を渡される。こうして民の罪のために十字架の上に血を流されたイエスは、使徒たちの宣教の言葉を通して、限りなくすべての民に分かち与えられ、それをいただく者に復活されたイエスの命が満ち溢れるのである。復活のイエスの命の波及には限度はない。こうして、地上のイエスを語ることによって復活のイエスを告知するというこの福音書の構造は、この記事においては、イエスと民衆との悲劇的な決裂という歴史的出来事が、主の食卓における復活者の現臨という福音の中心主題の中に呑み込まれているという形で示されていることになる。
 そうすると、湖上の顕現の記事の最後で、弟子たちが呆然としたのは「彼らはパンのことを悟らず、その心がかたくなになっていたからである」と、マルコが解説している(六・五二)のも理解できる。マルコはこう言おうとしているのではなかろうか。もしわれわれが主の食卓において復活者イエスとの交わりにあずかり、その命の現実に生きているのであれば、パンの出来事が復活者の現臨の現実を語る記事であることが理解できるはずである。それが理解できておれば、水の上を歩いてこられるイエスの記事が復活者の顕現の記事であることが分かるはずである。水の上を歩くイエスの記事に接して、どう理解してよいか分からず呆然としているのは、主の食卓において復活者イエスとの交わりがなく、したがってパンの出来事を理解していないからではないか、と。
 復活されたイエスが弟子たちに現れて食事を共にされたという伝承があったことは、福音書の記事から十分うかがえる。この伝承はとくにルカが多く伝えている。ルカはエマオ途上の二人の弟子への食卓での顕現(ルカ二四・三〇〜三一)や、復活されたイエスが十一人の弟子に現れ、彼らの前で魚を食べられたこと(ルカ二四・四二〜四三)を伝えている。そして、コルネリオたちへの福音宣教にさいして、ペトロはこう言ったとされている。

 「神はこのイエスを三日目に復活させ、人々の前に現してくださいました。しかし、それは民全体に対してではなく、前もって神に選ばれた証人、つまり、わたしたちに対してです。わたしたちはイエスが死者の中から復活された後、イエスと一緒に食べ、一緒に飲んだのです」。
(使徒言行録一〇・四〇〜四一私訳)

 ヨハネ福音書二一章が伝えるガリラヤ湖畔での顕現にも、弟子たちが復活されたイエスと食事を共にしたという伝承が伝えられている(一二〜一三節)。そこでの「イエスは来て、パンを取って弟子たちに与えられた。魚も同じようにされた」(一三節)という描写は、荒野で群衆にパンと魚を与えられた物語との関連を推測させる。
 ところで、パウロがコリントの信徒への手紙Tの一五章であげている復活者の顕現のリストの中に、「五百人以上の兄弟たちに同時に現れました」(六節)と言っているところがある。この「五百人への顕現」とはどのような出来事であるのか、他に推定する手がかりもないので、確定するのは不可能である。しかし、ガリラヤには生前のイエスの弟子たちが大勢いたのであるから、ペトロたちのイエスは復活されたという証言によって、「五百人以上の兄弟たち」が間近な「人の子」の来臨を待ち望んで集まっていたところへ、復活のイエスが顕現されたという出来事があったという推測が成り立たないこともない。それが語り伝えられる過程で誇張され「男五千人」となったとすれば、「五百人への顕現」という伝承と、イエスが五千人に食べ物を与えたという物語は接点をもつことになる。

山上での顕現

 地上のイエスを語ることによって復活者イエスを告知するというこの福音書の二重構造の視点から、もう一つ、山の上でイエスの姿が変わったという「山上の変容」の記事(九・二〜八)を検討してみよう。
 その箇所の講解で述べたように、この伝承には歴史的な核があることは十分推定できる。おそらくそれは、イエスが最後にエルサレムに上られる途上、仮庵の祭のころの出来事であろう。エルサレムでの受難を前にして、イエスは人里離れた山の中で祈りに没入される。その時、イエスと一緒にいたペトロ、ヤコブ、ヨハネの三人の弟子が、イエスの姿が神的な栄光に輝くのを目撃する。さらに、イエスの側に二人の人物がいるのを見る。突然このような霊的超自然界に触れて弟子たちはおびえ、ペトロはどう言ってよいか分からず、「ここに仮小屋を三つ建てましょう」などと言っている。彼らはその時、この出来事の意味を全然悟っていなかったわけである。
 ところが、この出来事はイエスの復活後の宣教において、復活されたイエスの栄光の顕現を示す重要な出来事として、繰り返し語られたと考えられる。それは、イエスが弟子たちに「人の子が死者の中から復活するまでは、見たことを誰にも語ってはならない」と命じられた(九・九)とされていることから、逆に推定できるからである。復活するまでは語るな、ということは、この出来事はイエスの復活後、復活の光の中で語られなければならない、ということを意味している。したがって、弟子たちが体験した実際の出来事がどういうものであれ、現在の記事の内容は復活の光の中で語られている、すなわち、復活者イエスの栄光を告知する性質のものになっている。
 そのことは、雲の中から声があって、「これはわたしの愛する子である。彼に聴け」と聞こえたとされていることにも明らかに示されている。この声は、ヨルダン川でイエスがバプテスマを受けたときに聞こえた声と、実質的に同じである。その時と同様ここでも、死者の中からの復活によって神の子として立てられたという、復活のケリュグマが響きわたっている。ここでは真っ白に輝く衣を着た姿に変わられたイエス、すなわち復活の栄光体をまとわれたイエスの上に、「これはわたしの子である」という神の声が響きわたるのである。
 マタイ福音書はマルコ福音書と同じく、空の墓で天使がガリラヤで復活されたイエスとお会いできると告げたとしている。ところが、マルコと違ってマタイは、弟子たちがガリラヤに行き、イエスが指示しておかれた山に登って、そこで復活されたイエスとお会いしたという報告を続けている(マタイ二八・一六〜二〇)。では、マタイが報告するように、山上での復活者イエスの顕現が実際にあったのであろうか。それとも、マタイの記事は、マルコの場合ここで見たように、弟子たちが目撃した「山上の変容」の出来事が復活者イエスの顕現として語り伝えられ、それがガリラヤでの顕現を予告する天使の言葉に合わせて、福音書の最後に置かれたものであろうか。どちらであるか決めることはきわめて難しい。しかし、どちらの場合でもマタイの記事は、復活後の使徒たちの宣教においては、弟子たちはガリラヤの山で復活されたイエスにお会いし、その栄光を目撃したという伝承があったことを示している。ずっと後期の文書であるが「ペトロの手紙二」(一・一六〜一八)にも、このような伝承が反響している。

 「わたしたちの主イエス・キリストの力に満ちた来臨を知らせるのに、わたしたちは巧みな作り話を用いたわけではありません。わたしたちは、キリストの威光を目撃したのです。荘厳な栄光の中から、『これはわたしの愛する子。わたしの心に適う者』というような声があって、主イエスは父である神から誉れと栄光をお受けになりました。わたしたちは、聖なる山にイエスといたとき、天から響いてきたこの声を聞いたのです」。