市川喜一著作集 > 第4巻 マルコ福音書講解U > 第26講

85 大祭司の審問  14章 53〜65節

 53 それから、人々はイエスを大祭司のところに連れて行った。すると、祭司長、長老、律法学者たちがみな集まってきた。 54 ペテロは遠くからイエスについて行き、大祭司の屋敷の中庭まで入り込み、下役たちにまじって座り、火にあたっていた。  55 さて、祭司長たちと全最高法院はイエスを死刑にするために、イエスに不利な証言を捜したが、見つからなかった。 56 多くの者がイエスに不利な偽証をしたが、その証言が一致しなかったからである。57 すると、ある人たちが立ち上がり、イエスに不利な偽証をしてこう言った、 58 「わたしたちはこの男が、『わたしは手で造ったこの神殿を打ち壊し、手で造られない別の神殿を三日で建てる』と言うのを聞きました」。 59 しかし、彼らの証言も同じように一致しなかった。
 60 そこで、大祭司が立ち上がって、真ん中に進み出て、イエスに問いただして言った、「何も答えないのか。この者たちがおまえを告発しているのはなぜか」。61 ところが、イエスは黙っているだけで何もお答えにならなかった。大祭司は再びイエスに問いただして言った、「おまえは誉むべき方の子、メシアなのか」。62 イエスは言われた、「わたしである。あなたがたは人の子が神の右に座し、天の雲と共に来るのを見ることになる」。 63 大祭司は衣を裂いて言った、「どうして、これ以上の証人が必要であろうか。 64 あなたがたはこの神を汚す言葉を聞いた。あなたがたはどう判断するか」。すると、彼らは全員、イエスを死刑に相当すると判決した。
 65 それから、ある者はイエスに唾を吐きかけ、目隠しをしてこぶしで打ちたたき、「誰か当ててみよ」と言ったりしはじめた。また、下役の者たちはイエスを受け取って、平手うちをした。

最高法院

 ここから逮捕されたイエスの訴訟手続きが始まる。イエスの裁判については、法制史的問題、すなわち属州統治に関するローマの法制とある程度の自治権を持っていたユダヤの最高法院の権限や裁判手続き、とくに両者の関係など、複雑な問題がいまだに学者の間で議論されており未解決の問題が残っている。その上、イエスの裁判に関する福音書の記事は、裁判の公式記録とかそれに基づく報告ではなく、あくまでイエスに関する教団の信仰伝承を素材として福音を宣べ伝えるために書かれた物語である。このような事情から、イエスの裁判の過程を正確に復元することは不可能である。この講解の目的は歴史的事実の正確な記述ではなく、この裁判の物語の中に福音を聴き取ることであるから、歴史的な問題に触れることは必要最小限度にとどめて、福音の理解という本題に集中したいと思う。
 イエスの裁判で確かなことは、イエスはユダヤ最高法院とローマ総督ピラトの法廷との二つの裁判を受け、最終的にローマの法律によって死刑判決を受け、ローマ支配への反乱を企てる者として処刑されたことである。この二つの裁判の関係については後で触れることにして、イエスがまず最初に受けたユダヤ最高法院での審問についてマルコが語るところを聴こう。

 「それから、人々はイエスを大祭司のところに連れて行った。すると、祭司長、長老、律法学者たちがみな集まってきた」(五三節)。

 逮捕されたイエスをまず大祭司のところに連れていったのは、先に見たように逮捕にあたってローマの軍隊が出動していたとしても、大祭司側からの要請によるものであるし、また、結局ローマの法廷に訴えるとしても、ユダヤ最高法院にも裁判の権限はあるのだから、その権限によってイエスをまずユダヤ律法による裁判にかけ、死に値する異端者と断定してユダヤの民に告知する必要があったからである。
 ここで「祭司長たち、長老たち、律法学者たち」とあるのは、最高法院を構成する三つの階層の正確な記述である(これまでもマルコはしばしば、この三つの階層の名をあるいは順序を変え、あるいはその中の二つまたは一つで代表させて語っている)。
「祭司長たち」というのは、在職の大祭司、その代理としての神殿守衛隊長(宮守頭)、いく人かの貴族祭司、若干の財政専門家の八人から一〇人で構成される常任の評議会で、ユダヤの最高権力機関であった。彼らは神殿祭儀を拠り所とする貴族階級で、神学的にはサドカイ派である。「長老たち」というのは大土地所有者の世襲貴族であって、エルサレムの議会に常時出席していたのではない。「律法学者たち」は神学と法学に関する専門家であって、議会が扱う律法問題が複雑になるに従って発言権を増してきた。その中でもファリサイ派の学者が優勢になっていた。このような階層の七一人の議員が、大祭司を議長として議会であり最高法廷である最高法院を構成し、ユダヤの宗教や政治や法律の重要問題を協議し、決定し、裁判したのである。
 逮捕されたイエスがまず連れてこられたのは、最高法院全員の公式議会(法廷)ではなく、大祭司による予審法廷である。最高法院の規定によれば、正式の法廷は夜間に開くことはできなかった。また、正式の最高法院法廷が異端審問を受け付けるには予審が必要であった。イエスはまず夜間の緊急の予審法廷に引き出され、大祭司からの審問を受けたのである。ヨハネ福音書はこの予審が、大祭司カイアファのしゅうとであり陰の実力者であったアンナスによって彼の屋敷で行われたと報告している(ヨハネ一八・一二〜二四)。マルコも予審と正式法廷の区別をしている。すなわち、ここではイエスは「大祭司のところに」連れて行かれたとされている。また、祭司長、長老、律法学者たちが「みな」集まってきたと言われているが、この「みな」はこの三つの階層の議員たちがつぎつぎと集まってきたというぐらいの意味であって、たとえ数の上で全員が揃ったとしても、一五章一節の夜が明けてからの正式法廷(そこで初めて「議決(判決)」が行われる)を指す「最高法院全体」と区別している。

 「ペトロは遠くからイエスについて行き、大祭司の屋敷の中庭まで入り込み、下役たちにまじって座り、火にあたっていた」。(五四節)

 この一節は本来、次のペトロの否認を語る物語に属するものであるが、それをこの予審法廷の物語と結び合わせるために、マルコによってここに入れられたのであろう。イエスの逮捕にさいして、ペトロはイエスを見捨てて逃げ去ってしまうのであるが、やはりイエスがどうなるのかを見届けたくて、見つからないように「遠くから」ついて行き、大祭司の屋敷の中庭まで入り込む。ヨハネ福音書(一八・一五以下)は、ペトロが中庭にまで入れたのは大祭司の知合いであった別の弟子の手引によると伝えている。

告発

 「さて、祭司長たちと全最高法院はイエスを死刑にするために、イエスに不利な証言を捜したが、見つからなかった。多くの者がイエスに不利な偽証をしたが、その証言が一致しなかったからである」。(五五〜五六節)

 祭司長たちははじめからイエスを死刑にしょうという意図をもってこの裁判を進めている。緊急の夜中の裁判であるにもかかわらず、イエスを告発する証人を予め捜して集めておいた。ここで「全最高法院」というという用語で、これが議員全員が集まった法廷であることがわざわざ説明されているが、これは夜間の予審法廷であるにもかかわらず、この場でイエスがなされる証言がイスラエルの正式の代表の面前で、したがって全イスラエルに対して行われたものであることを強調するマルコの説明句である。そもそも、この法廷が予審であるか、判決を言い渡す正式の法廷であるかの別は福音にとってはどちらでもよい問題であって、イエスの証言が全イスラエルを代表する最高法院という公式の場でなされたこと、それによってイエスが死に定められたことが重要なのである。
 「イエスに不利な証言」というのは、イエスを死刑にする根拠になるような証言である。個々の律法違反では死刑にすることはできない。民に律法に違反するように教唆し、背教に導くように教える教師、律法が神からのものでないと唱え、神と神殿を汚す言葉を語る教師は死に相当すると、当時の律法学者たちは定めていた。それで、彼らはイエスの宣教活動の中にそのような背教を扇動するような言動があったとする証言を求めたのである。その中でもとくに、律法学者たちが当時もっとも重視していた安息日律法に関する違反教唆が中心問題になったことは十分推察できる(三章六節参照)。
 最高法院で死刑の判決を下すには、厳密な訴訟手続きがあった。証人は二人以上別の部屋で調べられ、それが日時や場所まで正確に一致するのでなければ証言として採用されなかった。イエスの場合、「その証言が一致しなかった」のである。

 そこで、ある人たちが立ち上がり、イエスに不利な偽証をしてこう言った、「わたしたちはこの男が、『わたしは手で造ったこの神殿を打ち壊し、手で造られない別の神殿を三日で建てる』と言うのを聞きました」(五七〜五八節)。

 最高法院にとって、とくに中枢を占める祭司長たちにとって許せないのは、神殿に対するイエスの言動である。各地からの巡礼が大勢集まる過越祭の直前、エルサレムに入って神殿で暴力を振るい、祭儀に必要な動物を売る者を追い出し、神殿の崩壊を予言するような言辞を弄する人物を生かしておくことができなかった(一一章一八節参照)。
 神殿についてイエスが語られたとされる、「わたしは手で造ったこの神殿を打ち壊し、手で造られない別の神殿を三日で建てる」という五八節の言葉は、共観福音書にはどこにも伝えられていない。マルコはこれを「偽証」だとしている。たしかに、イエスは「わたしは神殿を打ち壊す」と言われたのではないであろう。しかし、ふつう「イエスの宮清め」と呼ばれているイエスの行為は、その箇所の講解で述べたように、たんなる堕落した神殿祭儀の回復というものではなく、神殿崩壊を予言する象徴行為である。イエスは弟子たちにははっきりと神殿の破壊を予告しておられる(一三・一〜二)。そうであれば、神殿粛清の行動のさいにそれを示唆する発言があった可能性は否定できない。
 事実、ヨハネ福音書(二・一三〜二二)は、イエスはご自分の死と復活を象徴的に語られたのだという注釈つきではあるが、イエスが神殿から商人を追い出すとき、「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる」と言われたと伝えている。また、弟子たちに語っておられた神殿崩壊の予言が何らかの形で(ユダの密告の可能性も含めて)洩れていた可能性もある。おそらく、この神殿冒?の罪が死刑判決の決め手になったと考えられる。
 マルコはここでも「彼らの証言も同じように一致しなかった」(五九節)と言っているが、祭司長たちの意を受けた者の偽証であれば事前に口裏を合わせることもできるはずであるから、かえってこの句は不自然で、次の決定的な場面を導入するためのマルコの構成であると見ることができる。

エゴー・エイミ

 「そこで、大祭司が立ち上がって、真ん中に進み出て、イエスに問いただして言った、『何も答えないのか。この者たちがおまえを告発しているのはなぜか』」。(六〇節)

 最高法院の法廷では、ふつう被告が中央に立ち、大祭司は正面に着座して裁判を行う。呼び集めておいた証人の告発がみな失敗に終ったのであるから、本来ならばここで被告は釈放され、証人が偽証で裁かれなければならない。しかし、イエスを釈放することはできない。いまや大祭司は自ら告発人となるべく異例の行動に出る。彼は裁判長席から立ち上がり、被告として中央に立つイエスのところまで進み出て真正面から向かいあう。大祭司は全イスラエルを代表する人物である。いまイスラエルはこの大祭司の人格において公式にイエスと向いあっている。いったいイエスとは誰なのか。イエスをどのような者として扱うのか。いまイスラエルは公式に決めなければならない。イスラエルの運命を決定するもっとも重大な瞬間である。
 被告は告発に対して弁明する機会が与えられている。大祭司はその機会を威嚇の機会とする。告発に対するイエスの弁明を強制して、イエス自身の言葉から判決の手がかりを得ようという魂胆である。

 ところが、イエスは黙っているだけで何もお答えにならなかった。大祭司は再びイエスに問いただして言った、「おまえは誉むべき方の子、メシアなのか」。(六一節)

 大祭司の策略に対してイエスは沈黙をもって答えられる。この法廷ではイエスは初めからずっと黙っておられる。イエスは民衆の前でその教えをすべて公に語ってこられた。その教えを知っている者たちが、イエスを死に定めようと決意して開いている法廷である。彼らが定めた死が自分に対する神の定めであると、イエスは受け止めておられる。ゲツセマネの祈りにおいて、神の裁きの杯を受けることについて、イエスの心は決着している(一四・四一)。いまイエスは黙ってその定めを受け入れられる。この沈黙のイエスの姿を描くとき、福音書記者は直接引用はしていないが、「屠り場に引かれる小羊のように、毛を切る者の前に物を言わない羊のように、彼は口を開かなかった」(イザヤ五三・七)という、「主の僕」に関する予言が成就していることを語ろうとしたのであろう。
 イエスが何も言わないのであれば、判決を下す根拠がない。大祭司は最後の切札を出す。大祭司は真正面からイエスに問う、「おまえは誉むべき方の子、メシアなのか」。大祭司の人格においてイスラエルがその全歴史をかけて問いかけているのである。この問いにはイエスは答えなければならない。
 ここの「メシア」に相当するギリシア語の原文は「クリストス」である。これを今までの多くの翻訳(協会訳、RSVなど)のように、「おまえは誉むべき方の子、キリストなのか」と訳すと、イエスを神の子キリストと告白する教団の信仰告白を語る場面と重なってくる。事実、この場面は長年そのように理解され、そのように用いられたきた。しかし、ペトロの告白の箇所(八章二九節)の講解でも触れたように、最近の公式の翻訳では歴史的な状況に即して、当時のユダヤ人が用いた概念の枠内で理解するために、ヘブライ語に遡って「メシア」と訳す場合が多くなっている(新共同訳、NEB、NRSVなど)。福音書の性格からしてどちらにも意義があるわけで、一方が正しく他方が間違っているということではないが、それぞれの訳が持っている意義は理解しておく必要があろう。ここでは歴史的状況に即して「メシア」という訳を用いる。
 ここでの大祭司の問いを歴史的状況に即して、「おまえはメシアなのか」と理解すると、「誉むべき方の子、メシア」という表現が問題になる。「誉むべき方」というのは、直接神の名を口にすることを避けた用法で、神を指している。したがって大祭司の問いは、「おまえは神の子、メシアなのか」という意味になる。ところが、当時のパレスチナ・ユダヤ教にはメシアの称号として「神の子」という表現は全然知られていなかったので、大祭司がこのような形で問いかけることはありえないという説もある。だいたい、ユダヤ教では「メシア」と「神の子」とは全然別の内容である。「メシア」とは神から「油を注がれ」て特別の能力と地位を与えられイスラエルを解放する使命を果たす人物である。したがって、ある人が自分がメシアであると主張しても、それが直ちに自分を神と等しくする冒?になるわけではない。事実、ラビ・アキバはバルコクバをメシアと告知している。それに対して「神の子」という表現は、(旧約聖書には他の意味で用いられている箇所も多くあるが当時のユダヤ教では)神的存在ないし神と同等の栄位にある者を指す用語であり、地上の人間が自分を「神の子」とすることは、自分を神と等しくする冒?であって、死罪に相当する行為であるとされた(ヨハネ一〇・三六参照)。
 したがって、もし大祭司がこの通りの言葉でイエスに問いかけたのであれば、この問いには罠があることになる。故意に「メシア」と「神の子」を結びつけることによって、民衆のメシア期待を否定できない立場のイエスから、自分を神の子とするような発言を引き出して、冒?の罪に問う手がかりを得ようという仕掛である。時の大祭司は本名ヨセフ、カイアファは別名である。その別名は「審問官」という意味の語で、彼が大祭司に任命される前から予審判事として辣腕を振るっていたことを示している。いまやこの「審問官」は本領を発揮して、イエスを陥れる最後の切札として実に巧妙な誘導尋問を仕掛ける。
 それが誘導尋問であろうと、いまイスラエルを代表する大祭司から公の場でイエスが何者であるかが問われているのである。それまで一言も発しないで黙っておられたイエスは、この問いに対しては明確に答えられる。

 「わたしである。あなたがたは人の子が神の右に座し、天の雲と共に来るのを見ることになる」。(六二節)

 イエスの口から驚くべき言葉が発せられる、「わたしである」。ギリシア語で書かれている福音書では、《エゴー・エイミ》となっている。英語でいえば、「アイ・アム」に相当するギリシア語である。これは決して、(英語の「イエス・アイ・アム」のような)質問に答えるさいに述語補語を略した短い応答形ではない。このギリシア語表現の背後には、イスラエルの歴史の中で用いられてきた実に重い啓示表現がある。
 マルコはすでに六章五〇節で、水の上を歩いて弟子たちの舟に近づいて来られたイエスがこの《エゴー・エイミ》を語られたことを伝えている。その箇所の講解で述べたように、このギリシア語は本来「わたしはある」としか訳しようのない表現であって、その背後には神がご自身を啓示されるときに決って用いられるヘブライ語の表現がある。
 まず、神は名を尋ねるモーセに燃える柴の中から、「わたしはある。わたしはあるという者だ」と言われ、また、「イスラエルの人々にこう言うがよい。『わたしはある』という方がわたしをあなたたちに遣わされたのだと」と言っておられる(出エジプト記三・一四新共同訳)。預言者イザヤを通してイスラエルにご自身を現される神は繰り返し《アニー》(強調のわたし)を用い、《アニー・フー》(わたしこそそれだ)と語られる(イザヤ四三・一〜一五)。この《アニー・フー》が七十人訳ギリシア語聖書では《エゴー・エイミ》と訳されているのである(四三・一〇)。
 イエスの時代のユダヤ教団では、神の顕現祭である過越と仮庵の祭にこの《アニー・フー》が祭司によって唱えられていた。その背景から見るとき、イエスが先に仮庵の祭のとき神殿で《エゴー・エイミ》(わたしはある)という表現を口にされたとき、それを自分を神とする冒?の言葉だとして、ユダヤ人がイエスを石で打ち殺そうとしたことも理解できる(ヨハネ八・五八〜五九)。《エゴー・エイミ》というギリシア語表現の背後には「わたしはある」というイスラエルの神の顕現定式がある。いま大祭司の面前でイエスはこの重大な言葉を口にされる。この言葉だけで大祭司が衣を裂くのに十分である。イエスはさらに念を押すように、「人の子」称号を用いた句で、それが何を意味するのかを確認される。
 「あなたがたは人の子が神の右に座し、天の雲と共に来るのを見ることになる」。これまで弟子たちだけに秘かに語っておられた「人の子」の秘密を、いま大祭司の前で公然と宣言される。この言葉でイエスは、《エゴー・エイミ》という謎めいた表現で語られた内容を明確にされるのである。この言葉がダニエル書七章の「人の子」の幻から取られていることは明らかである。たしかに、「天の雲と共に来る」という表現は、ダニエル書のような黙示文学に親しみ、間近いパルーシアを待ち望んでいた初代教団が伝承の過程で付け加えた可能性がある。しかし少なくとも、ルカが伝えている、「しかし、今から後、人の子は全能の神の右に座る」(ルカ二二・六九)という短い形は、この場でのイエスの発言と受け取ることができる(コルペ)。そしてこの場面で、すなわち「おまえは誰か」という全イスラエルの公式の問いかけに命がけで答える場面で、イエスは自分以外の「人の子」の到来を期待しておられたというような説は問題にならない。イエスはご自分が「今から後、全能の神の右に座る」と宣言されるのである。

死刑の判決

 大祭司は衣を裂いて言った、「どうして、これ以上の証人が必要であろうか。あなたがたはこの神を汚す言葉を聞いた。あなたがたはどう判断するか」。すると、彼らは全員、イエスを死刑に相当すると判決した。(六三〜六四節)

 「エゴー・エイミ」という言葉にしろ、「神の右に座る」という宣言にしろ、それを地上の人間が口にすることは、自分を神と等しい者とする行為であって、それだけで「神を汚す言葉」、すなわち「冒?」の罪を構成する。イエスの言葉を耳にしたとき、大祭司はただちに衣を裂いた。「衣を裂く」という行為は、本来悲嘆の心や神の前に罪を悔いる心を表現するための象徴行為である。この時代には、イスラエルにあってはならぬ大罪に直面したとき、大祭司が行う法的行為になっていたようである。大祭司は衣を裂くことによって、イエスの言葉を涜神の大罪と決めつけたのである。
 大祭司と一緒に、全最高法院の議員がイエスの言葉を聞いたのである。彼ら全員が証人である。大祭司はただちに全員の判断を求める。議員たちは全員、神への敬虔では誰にも遅れをとるまいと、つぎつぎに死刑に相当すると判決する。予審法廷であれば正式の判決を下す場ではないはずであるが、マルコはここで「判決する」という語を用いている。先にも述べたように、福音書記者にとって法律的な手続きの正確な記述ではなく、イスラエルを代表する最高法院が正式にイエスを死に定めたという宗教的意義が重要なのである。イエスは神の民イスラエルによって死に定められたのである。

 それから、ある者はイエスに唾を吐きかけ、目隠しをしてこぶしで打ちたたき、「誰か当ててみよ」と言ったりしはじめた。また、下役の者たちはイエスを受け取って、平手うちをした。(六五節)

 判決までは一応形式的には守られてきた法的手続きはここにきて無視され、縛られたままのイエスは私的な暴力に委ねられる。「唾を吐きかける」のは最大の侮辱である。「目隠しをしてこぶしで打ちたたき、『誰か当ててみよ』と言ったり」するのは偽預言者に対する嘲笑である。また「下役の者たち」、すなわち囚人を警備する役目の神殿守衛隊の隊員は囚人の「イエスを受け取って、平手うちをした」りして、次の法廷までの退屈を紛らせる。そのような侮辱や暴力を黙って受けておられるイエスの姿を描くとき、マルコは預言者イザヤによって語られた「主の僕」の予言の成就を見ていたのであろう。イザヤはこう語っている、

 「わたしは逆らわず、退かなかった。打とうとする者には背中をまかせ、ひげを抜こうとする者には頬をまかせた。顔を隠さずに、嘲りと唾を受けた」(イザヤ五〇・五〜六、他に五三・三〜五)。  この「大祭司の審問」の場面は、受難物語の重要な部分として福音書記者マルコによって構成されたという面がたしかにある。しかし、最高法院の議員の中にもアリマタヤのヨセフ(マルコ一五・四三〜四六)やニコデモのようにイエスの運動に理解を示す者もいたのであるから、この場面を伝える伝承は、すくなくともその核心部分において、法廷に出席していた者の証言に基づく確かなものであると受け取ることができる。
 ここに語られているイエスと大祭司の対面は、イスラエルの歴史の中で最も重要で決定的な瞬間である。大祭司は全イスラエルを代表している。彼が「おまえは誉むべき方の子、メシアなのか」と問いかけるとき、イスラエルがこの問いをもってイエスに対面しているのである。それに対してイエスが語る言葉は、イスラエルに対する神の最終的な啓示行為がそこにあることを響かせている。
 《エゴー・エイミ》、このギリシア語の背後にある《アニー・フー》(わたしこそ、それである)、イエスがこの言葉を口にされるとき、モーセ以来イスラエルに現れ、語りかけてこられた方ご自身が、今ここに臨在して語っているという場が生じている。これは、当時のイスラエルが「メシア」という称号で考えていたような地上の人物と対面しているのとは次元が違う。イエスのこの宣言の前では、「おまえはメシアなのか」という問いは吹き飛んでいる。
 「わたしこそ、それである」。この言葉によってイエスはこう宣言しておられるのである。「わたしがいるところに神がおられる。神は、そこで生き、そこで語り、そこで行為し、そこで愛し、そこで苦しみ、そこで死なれる」。これは世界に対するイエスの究極の自己宣言である。
 このイエスをイスラエルは拒み、投げ捨て、殺した。大祭司と最高法院は初めからイエスを生かしておくことのできない人物として命を狙い、逮捕し、裁判にかけ、死に定めた。父祖のゆえに選ばれ、モーセによって律法を授けられ、預言者たちを通して語りかけられてきた民が、このイエスと共に天を戴けない体質になってしまっていたのである。ここにイスラエルの、いや人間の悲劇があり、罪がある。
 イエスはこの裁判で死に定められることを知っておられる。そして、殺される自分が神の右に座する者であると宣言される。「しかし、今から後(すなわち、殺された後)、人の子は全能の神の右に座る」。イスラエルがその歴史の最終段階で待ち望むようになっていたあの謎に満ちた人格、終末的な神の支配をもたらすあの「人の子」が、死に定められているわたしにおいて、いまここにいると宣言される。これは「メシア」をはるかに超えている。
 いまイスラエルは大祭司の人格においてこのイエスと対面している。そして、このイエスを死に定めることによって、イスラエルは啓示の歴史を閉じることになる。