市川喜一著作集 > 第4巻 マルコ福音書講解U > 第24講

83 ゲツセマネの祈り  14章 32〜42節

 32 さて、一同はゲッセマネという名の場所に来た。そこでイエスは弟子たちに言われた、「わたしが祈りおえるまで、ここに座っていなさい」。 33 そして、ペテロとヤコブとヨハネを一緒に連れて行かれたが、恐れおののき苦悶しはじめ、 34 彼らに言われた、「わたしの魂は悲しみのあまり死ぬほどである。ここに留まり、目を覚ましていなさい」。 35 それから少し先へ行って、地にひれ伏し、できることならこの時を自分から過ぎ去らせてくださるようにと祈りつづけ、 36 こう言われた。「アッバ、父よ、あなたはどのようなことでもできる方です。この杯をわたしから取り去ってください。しかし、わたしが願うことではなく、あなたが欲したもうことを成し遂げてください」。
 37 それから、戻ってきて、弟子たちが眠っているのをごらんになり、ペテロに言われた、「シモンよ、眠っているのか。ひと時も目を覚ましていることができなかったのか。 38 試みに陥らないように、目を覚まして祈っていなさい。霊は欲していても肉は無力なのだから」。 39 そして、また離れて行って、同じ言葉で祈られた。 40 再び戻ってきてごらんになると、弟子たちは眠っていた。彼らの目は重くなってしまっていたのである。彼らはイエスにどうお答えしてよいのか分からなかった。 41 イエスは三度目に戻ってきて、彼らに言われた、「ずっと眠っているのか。休んでいるのか。もう決着したのだ。時が来た。見よ、人の子は罪びとらの手に引き渡されるのだ。 42 さあ、立て。行こう。見よ、わたしを引き渡す者が近づいてきた」。

イエスの苦悶

 イエスと弟子の一行は最後の晩餐のあと、エルサレム市街を出てキドロンの谷を経てオリーブ山の方に向かう。キドロンの谷の向こう側、すなわちオリーブ山の西側斜面に一つの園があり、イエスは弟子たちと一緒にその中に入られた。イエスは、弟子たちと共に度々そこに集まっておられたのである(ヨハネ一八・一〜二)。ヨハネはたんに「園」と呼んでいるが、マルコは「ゲツセマネという名の場所」と言って名をあげている。「ゲツセマネ」という名は「油絞り器」という意味のヘブライ語に由来する名である。おそらくそこはオリーブの木が多く植えられており、オリーブ油を絞る作業が行われていた場所だったのであろう。
 ヨハネ福音書(一八・一〜二)には、イエスがそこで祈られたという記事はなく、イエスと弟子たちが秘かに集まるその場所をユダも知っていたので、そこがイエス逮捕の場所になったという事実だけが報告されている。それに対してマルコ福音書は「ゲツセマネ」という名をあげ、そこでイエスが祈られたことを報告している。マタイとルカはほぼマルコに従っている。イエスが逮捕される前、深い苦悩の表情を見せておられたこと、ひとり離れて祈られたこと、その間弟子たちは眠りこんでいたことは、その場にいた弟子たちの証言から出た伝承であることを疑う理由はない。しかし、イエスが祈られた内容は、離れた場所で眠りこんでいる弟子たちが知ることができるはずはないのであるから、それに関する記事は教団が形成したものであるという主張がある。はたしてそうであろうか。
 イエスは弟子たちに「わたしが祈りおえるまで、ここに座っていなさい」と言って、弟子たち一行を離れた場所に留め、ペトロとヤコブとヨハネだけを一緒に連れて、さらに園の奥へ入って行かれる。この三名の弟子は、イエスがヤイロの娘を生き返らされたときと山上でお姿が変わられたとき一緒に伴われた弟子であり(マルコ五・三七、九・二)、またイエスが人の子が現れるときの奥義を語られるのを直接聴いた弟子であった(マルコ一三・三、この場合はアンデレが加わって四名になっている)。このように、この三名の弟子はイエスの人格の秘義を示すために特別に選ばれた弟子であるから、いまゲツセマネでこの三名の弟子がイエスの祈りの場に伴われたのは、この祈りの場のイエスの姿が、山上の変容や栄光の中に現れる人の子と同じく、イエスの人格の秘義に属するものであることを示している。
 三名の弟子を伴って祈りの場所に来られたイエスは、「恐れおののき苦悶しはじめ」られる(三三節)。これは三名の弟子が目撃した事実である。いかなる弟子も師や宗祖の人間的弱点をことさらに語りはしない。触れないですましたり隠したりして師を美化するものである。まして、ありもしない出来事を造りあげて師の弱点を世にさらすようなことはしない。ソクラテスは死を前にして弟子たちに真理を説き泰然と毒杯をあおいだ。いま死を前にして恐れおののき苦悶するイエスの姿は、弟子として世に語るには辛いことである。しかし、それが目撃した事実であるから、また、それがイエスの人格の奥義に属する重大な意義をもつ事実であるから、彼らはありのままを語るのである。
 イエスは苦悶の心中を吐露して彼らに言われる、「わたしの魂は悲しみのあまり死ぬほどである。ここに留まり、目を覚ましていなさい」(三四節)。ここでのイエスの死ぬほどの悲しみとはいったい何であろうか。嵐に沈みそうになっている小舟の中でひとり泰然としておられたイエス、死の現実の前で嘆き悲しむ家族の中で「恐れるな。ただ信じなさい」と語ることができたイエス、権力者の脅しや律法学者たちの批判にいっさい動揺することなく活動されたイエス、何よりもみずからそれが神の御旨であると信じて、繰り返しご自分の死を予告して死地エルサレムに入られたイエス、そのイエスが死を前にして「恐れおののき苦悶しはじめ」、その魂が「悲しみのあまり死ぬほどである」と言われるのは、いったいどうしたことであろうか。このイエスが死ぬことを恐れて苦悶されたとは考えられない。ここでいったい何が起こっているのであろうか。これは永遠の神秘に属することがらであって、人間の理解の及ぶところではない。ただこの場でのイエスの祈りの言葉が、神秘の扉を僅かながら開いて、われわれに奥義の所在を指し示している。

怒りの杯

 「それから少し先へ行って、地にひれ伏し、できることならこの時を自分から過ぎ去らせてくださるようにと祈りつづけ、こう言われた。『アッバ、父よ、あなたはどのようなことでもできる方です。この杯をわたしから取り去ってください。しかし、わたしが願うことではなく、あなたが欲したもうことを成し遂げてください』」。(三五〜三六節)

 ここでまず、弟子たちは離れた場所で眠りこんでいたのであるから、イエスの祈りの内容は聴こえるはずはなく、この祈りは教団が形成したものであるという主張を吟味しておこう。
 たしかに他の弟子たちは離れた場所に留まっていたのであるから、イエスの祈りを聴くことはできなかったであろう。けれどもペトロ、ヤコブ、ヨハネの三名について来るように求められたのは、当然彼らがイエスの祈りの場に居合わせるためであろう。そうであれば、「少し先へ行って」祈られたというのも、三名の弟子がイエスの姿を見、祈りの声を聴くことができる程度の距離であったとしなければならない。彼らとてイエスが「少し先へ行って」祈り始められたときすぐに眠りこんだのではない以上、彼らはイエスが「地にひれ伏して」祈られる姿を見、夜の静寂の中で切に祈られるイエスの祈りの言葉を聴いたはずである。
 このように、この段落が語る状況は事実である可能性は十分にある。そして、ただ可能性があるだけでなく、それが事実であることを示す積極的な証拠がテキストにある。それは「アッバ、父よ」という表現である。ギリシア語を話す初代の教団において、神への祈りに「父よ」というギリシア語に重ねて「アッバ」という耳なれないアラム語の呼びかけが用いられたことは、パウロの手紙が証明している(ガラテヤ四・六、ロマ八・一五)。どうしてこのような現象が起こったのか。それは弟子たちが聴いたイエスの祈りがいつも「アッバ」という呼びかけであったから、このアラム語は弟子たちの心に深く刻み込まれ、ギリシア語で宣教するさいにも翻訳して語ることができず、そのままの形で信徒たちに伝えられ、ギリシア語を話す信徒たちも「アッバ」と祈るようになったのである。
 ところが、そのイエスのことを語り伝える伝承において「アッバ」というアラム語の祈りが伝えられているのは、四福音書全体を通して、マルコ福音書のこの箇所(一四・三六)だけである。この事実は、ゲツセマネで聴いたイエスの「アッバ」の祈りが弟子たちに強烈な印象を残し、他の場合はともかくこの祈りだけは自分たちの耳で聴いたままで伝えようとしたことを示している。このことから、ゲツセマネのイエスの祈りは教団が形成したものでなく、弟子たちが直接その耳で聴いたイエスの祈りの報告であることが確かめられる。
 イエスは祈られる、「アッバ、父よ、あなたはどのようなことでもできる方です。この杯をわたしから取り去ってください」(三六節)。イエスは何を祈り求めておられるのであろうか。「わたしから取り去ってください」と願っておられる「この杯」とは何であるのか。イエスはすでにエルサレムへ上る途上で、栄光の座につかれるイエスの右と左に座らせてくださるように求めたゼベダイの子らに、「あなたがたはわたしが飲む杯を飲むことができるか」と言っておられる(マルコ一〇・三八)。その箇所の講解で触れたように、「杯」という象徴は、旧約聖書では神の救いや祝福を指し示す(詩編二三・五など詩編に多い)と同時に、神の審判の象徴として用いられることが多い(預言書では圧倒的に審判の象徴である。新約聖書ではヨハネ黙示録で「杯」が審判の象徴として用いられている)。その杯に盛られるのは神の怒りである。代表的な箇所を挙げておこう。

 「それゆえ、イスラエルの神、主はわたしにこう言われる。『わたしの手から怒りの酒の杯を取り、わたしがあなたを遣わすすべての国々にそれを飲ませよ。彼らは飲んでよろめき、わたしが彼らの中に剣を送るとき、恐怖にもだえる』」。(エレミヤ二五・一五〜一六)

「目覚めよ、目覚めよ、立ち上がれ、エルサレム。主の手から憤りの杯を飲み、よろめかす大杯を飲み干した都よ。・・・・それゆえ、これを聞くがよい、酒によらずに酔い、苦しむ者よ。あなたの主なる神、御自分の民の訴えを取り上げられる主はこう言われる。見よ、よろめかす杯をあなたの手から取り去ろう。わたしの憤りの大杯をあなたは再び飲むことはない」。(イザヤ五一・一七〜二二)

 イエスが「杯」という象徴を用いられるとき、それは当然旧約聖書の用法を前提にしている。しかもこの場合は「わたしから取り去ってください」と願われているのであるから、祝福の杯ではなく神の怒りを盛った審判の杯であることは明らかである。いまイエスの前に神の怒りの杯が突きつけられているのである。これは、子としてつねに父の慈愛の面を見つめ、父との親しい交わりに生きてこられたイエスにとって何よりもの苦悩である。イエスがこの時「恐れおののき苦悶しはじめ」、さらに「わたしの魂は悲しみのあまり死ぬほどである」とまで言われるのは、この苦しみの表現である。
 裁きというのは罪に対する神の怒りである。ここでイエスに罪に対する神の怒りが突きつけられているのである。イエスはここで罪ある人間が神の怒りの前に苦しむ苦悩を苦しんでおられるのである。それはイエスに罪があったからか。そうではない。イエスは復活によって罪なき方であることが神によって証明されている(福音書はイエスが復活された方であることを前提にして書かれている)。罪のない方がここで罪に対する神の怒りを受けて苦しんでおられるのである。どうしてこのようなことが起こったのか。これまでいかなる聖者、哲人、英雄も体験したことのない出来事である。それは人間の理解をはるかに超える神秘である。
 ここでイエスは人間の罪に対する神の裁きを体験しておられるのである。それは昔の預言者が「わたしたちの罪をすべて、主は彼に負わせられた」(イザヤ五三・六)と語り、聖霊によって奥義を示された使徒が「罪と何のかかわりもない方を、神はわたしたちのために罪とされた」(コリントU五・二一)と語ったことである。罪のないイエスが人間の罪を負って罪とされ、神の裁きを一身に受けておられるのである。使徒たちが宣べ伝えた福音(ケリュグマ)はこれを明確に「キリストが聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと」(コリントT一五・三)と告知しているが、イエスの生涯を物語ることによって福音を伝えようとするマルコ福音書は、ゲツセマネの祈りを伝えることによってこの奥義を指し示すのである。

決定的な時

 「この杯をわたしから取り去ってください」と祈られたのは、父と一つの交わりに生きておられるイエスにとっては必然的な祈りである。これがいかに切なる祈りであったかをマルコは(おそらくその祈りを目撃した三名の弟子の証言の伝承に基づいて)、「できることならこの時を自分から過ぎ去らせてくださるようにと祈りつづけ」(三五節)と間接話法で描写している。ここで用いられている《ヘー・ホーラ》(定冠詞つきの「時」)という語は、マルコではこことすぐ後の四一節で「時が来た」と用いられている箇所で出てくるだけであるが、イエスご自身が用いられた表現に基づく可能性が十分にある(ここを新共同訳のように「苦しみの時」と意訳するのは意味を小さく限定してしまうことになる)。
 これは本来ユダヤ教黙示文学の用語で、神が決定的な業をなされる終りの時を意味した。イエスはご自分の生涯の中で神が決定的な業を成し遂げられる時のことをこの語で語っておられたようである。ヨハネ福音書ではこの時のことは「イエスの時」と表現され、イエスもそれを「わたしの時」と言って、その「時」を目指して歩まれるのである。ゲツセマネの祈りに相当するヨハネ福音書の箇所でイエスはこう言っておられる。「今、わたしは心騒ぐ。何と言おうか。父よ、わたしをこの時から救ってください。しかし、わたしはまさにこの時のために来たのだ」(ヨハネ一二・二七ーNEBによる私訳)。
 イエスがご自分の生涯の使命が全うされる時として目指してこられたまさにその「時」が、どうしても過ぎ去らせていただきたいと祈らないではおれない「時」であるという矛盾、この矛盾からくる苦悩をイエスはさらに深い祈りで突破される。「しかし、わたしが願うことではなく、あなたが欲したもうことを成し遂げてください』」(三六節)。
 この祈りの後半はイエスが弟子たちに教えられた祈り、「主の祈り」の一つである「父よ、あなたの御心が行われますように」(マタイ六・一〇)と同じである。イエスはこの祈りをもって生涯を貫かれた方である。そして、いま生涯のもっとも決定的な瞬間、子としてもっとも恐ろしい父の怒りに直面したこの瞬間、この祈りをもって自分の全存在を父の御心に委ねてしまわれる。自分が父の怒りの下に死ぬことが父の欲したもうところであれば、それ以外に父の人間救済の方法がないのであれば、それがどのように恐ろしく耐えがたい暗闇であろうと、そこに自分を投げ込まれる。この時、イエスの内面で起こっている壮絶なドラマはいかなる人間も理解することはできない質のものである。注解者の筆はこれ以上進むことはできない。

目を覚ましていなさい

「それから、戻ってきて、弟子たちが眠っているのをごらんになり、ペトロに言われた、『シモンよ、眠っているのか。ひと時も目を覚ましていることができなかったのか』」。(三七節)

 イエスがひとり祈りの苦闘を続けておられるとき、目を覚まして一緒にいるように求められた三名の弟子たちは眠りこんでしまっていたのである。その祈りから立ち上がり戻ってこられたイエスは、弟子たちが眠っているのをごらんになり、ペトロに声をかけられる。弟子団の代表者としての「ペトロ」ではなく、本名の「シモンよ」という呼びかけに、この場のイエスの言葉が教団の作文ではなく、ペトロの心に深く刻み込まれたイエスの生の声であること、またそれが非難ではなく、人間の弱さに対するイエスの思いやりがこめられていることが感じられる。
 眠ってしまっていた弟子たちにイエスは言われる。

 「試みに陥らないように、目を覚まして祈っていなさい。霊は欲していても肉は無力なのだから」。(三八節)

 「試み」とか「誘惑」は本来終末を待ち望む者を信仰から引き離して栄光から引きずり降ろそうとする試練であり誘惑である。「主の祈り」の中の「わたしたちが試みに陥ることがないようにしてください」という祈りもこの意味であった。試みが来るのは避けられない。それが来たとき、誘惑に負けて不信仰に陥ってしまわないためには、時をわきまえている必要、すなわち、いま自分がどのような状況にいるのかをしっかり自覚している必要がある。祈りの中でしっかりと神に結びついている必要がある。それが「目を覚ましている」ことである。それで、この警告は終末に関して用いられることが多い(たとえばマルコ一三・三二〜三七)。しかし、いま決定的な時が始まっているのにぜんぜん気づかないで眠りこんでしまった弟子たちにこそ、この警告はふさわしい。
 目を覚まして祈っている必要がある理由として、「霊は欲していても肉は無力なのだから」という言葉が続く。この言葉は「心は熱していても、肉体は弱い」と訳されることが多い。しかし、ここで用いられている《プニューマ》は心ではなく「霊」であり、《サルクス》は肉体ではなく、心身全体を含む生まれながらの人間性そのものを指し、新約聖書の他の箇所では「肉」と訳される語である。「霊と肉」という対立はパウロがよく用いるところであり、初代の信徒たちにとって馴染み深い語であった。ところが、イエスが「霊と肉」という用語を一対にして語られているところは他にないので、この言葉はイエスの言葉ではなく、信徒に対する教団の祈りの勧めの言葉に属すると考える人が多い。たしかに、イエスの言葉が伝承される過程で、教団が親しんでいる用語が選ばれ用いられるようになった可能性は否定できない。しかし、ここで語られている事柄自体はイエスご自身がもっとも深刻に体験されたことであり、そこから出た弟子への訓戒であることは間違いない。
 生まれながらの人間は、身体も精神も含めてその全体が「肉」と呼ばれる。それに対して「霊」は生まれながらの人間固有の持ち物ではなく、神の言葉と神の霊によって人間の中に形成されるものであり、神に属する。人間は霊によって神と交わり、神に生きるのである。肉は神との関わりにおいては何もすることができず、全く無力である。いや、むしろ敵対するのである。
 イエスも現実の人間として、わたしたちすべての人間と同じく肉の形をとり、肉の中で生きられた。霊においては完全に神との交わりの中にあり、神の御心を受け止めて行われたのであるが、そのさい生まれながらの人間性がいかに強くそれを妨げようとするかを深刻に体験された。その肉の働きを、イエスはご自分の内にある誘惑あるいは試みとして、激しく戦われたのである。おそらくイエスご自身が内面の戦いを弟子たちに漏らされたこともあったのであろう。イエスのこの戦いは「荒野の誘惑」物語としてまとめられて伝承されたのである。とくに、受難をあからさまに語り始められたとき、イエスを諌めたペトロに対してイエスが、「サタンよ、わたしから離れよ。おまえは神のことを思わず、人間のことを思っている」と激しい言葉で叱責されたことが伝えられている(マルコ八・三三)。その箇所の講解で触れたように、この言葉の激しさはペトロの無理解に対する憤りの激しさというより、イエスの内面の戦いの激しさを示している。そこで語られた「神のことを思う」ことと「人間のことを思う」こととの対立が、ここでの「霊と肉」の対立なのである。イエスの生涯を貫いたこの内面の誘惑との戦いが、いまこのゲツセマネの祈りで頂点に達し、最後の決戦が行われるのである。イエスはこの戦いを、「わたしが願うことではなく、あなたが欲したもうことを成し遂げてください」というただ一つの祈りによって乗り切られるのである。
 このように霊と肉の戦いを身をもって体験しておられるイエスは、眠りこんでいる弟子たちを見て、彼らの将来のために戒められる。彼らはこれから、霊によって神との交わりを与えられ、神の国を慕い、神の命にあずかることを切に願って生きるようになるであろう。しかし、そのように生きるには多くの試練や誘惑が避けられない。その戦いにおいて肉は何の役にも立たず、まったく無力である。この現実をしっかりと自覚して、ひたすら神に祈ることによって、神からの力を受けて歩まなければ、この試みに打ち勝つことはできないのである。

 「そして、また離れて行って、同じ言葉で祈られた。再び戻ってきてごらんになると、弟子たちは眠っていた。彼らの目は重くなってしまっていたのである。彼らはイエスにどうお答えしてよいのか分からなかった」。(三九〜四〇節)

 イエスの戦いは続く。世の人々が何もわきまえないで安逸の中に寝静まり、弟子たちはひと時も誘惑に抗することができずに眠りこんでしまっている時、イエスはただひとり、すべての人の罪のために神の怒りに直面し、苦悩の祈りを続けられる。その祈りから立ち上がって戻ってこられると、弟子たちは眠っている。彼らの精神は、この一日の極度の緊張と、いまイエスの苦悶と悲しみに直面してどうしてよいか分からない悲しみのため、それ以上耐えられなくなっていたのであろう。「目は重くなり」、どう抵抗しても眠気に勝てず、眠りに陥ってしまう。突然イエスから声をかけられても「どうお答えしてよいのか分からなかった」のである。ここでもイエスは先と同じように、「シモンよ、眠っているのか。ひと時も目を覚ましていることができなかったのか」と声をかけられたのであろう。

時が来た

 「イエスは三度目に戻ってきて、彼らに言われた、『ずっと眠っているのか。休んでいるのか。もう決着したのだ。時が来た。見よ、人の子は罪びとらの手に引き渡されるのだ。さあ、立て。行こう。見よ、わたしを引き渡す者が近づいてきた』」。(四一〜四二節)

 イエスはこの祈りを三度繰り返された。パウロも身に与えられているとげを取り去っていただくように三度主に祈っている(コリントU一二・八)。「三度」というのは願いの切実さを象徴する数であろう。その切実な願いにもかかわらず、神の怒りの杯はイエスに突きつけられたままであった。
 三度目に戻ってこられたイエスは、「もう決着したのだ」と言われる。ここの原語《アペケイ》の意味については議論が多く、定訳はない。口語訳や新共同訳のように、先行する「眠っているのか」に関係づけて、「もうそれで十分だ」の意味にとるものが多い。しかし、この私訳ではイエスの祈りに関係する表現として、また後続の「時が来た」と一体の表現と理解して、「決着した」と訳した(NEB欄外参照)。この語は新約聖書ではふつう「受け取った」の意味で用いられる(マタイ六・二、五、一六など)。ここではイエスが父の御心を受け止めて苦悶の祈りが決着したこと、それでついに定めの時が到来したことを表現された語と理解する。
 ついに「時が来た」のである。神が定められた決定的な業を成し遂げられる時、イエスがそのために世にこられた時が来たのである。その時は子であるイエスには耐えがたいものであるので、過ぎ去らせてくださるように切に願われたその時が、ついに現実になるのである。イエスが「人の子は人々に引き渡される」(マルコ九・三一)と繰り返し予告しておられたことが、いま現実になるのである。イエスをその命を狙う者たちに引き渡そうとしているユダが近づいてきた。イエスは立ち上がって、その現実に向かって行かれる。そして、弟子たちにイエスと一緒に立ち上がって、その現実に入って行くように呼びかけられる。「さあ、立て。行こう」。