市川喜一著作集 > 第4巻 マルコ福音書講解U > 第22講

81 最後の晩餐  14章 12〜25節

 12 除酵祭の第一日、すなわち過越の小羊をほふる日に、弟子たちがイエスに言った、「あなたが過越の食事をされるのに、わたしたちはどこへ行って用意をすればよいでしょうか」。 13 そこでイエスはこう言って、二人の弟子を使いに出された。「街に入って行きなさい。すると、水がめを運んでいる男があなたがたを出迎えるから、その人について行きなさい。 14 そして、その人が入って行く家の主人に、『弟子たちと一緒に食事をする部屋はどこか、と先生が言っておられます』と言いなさい。15 すると主人は、敷物をしき準備された大きな二階の広間を見せてくれるから、そこにわたしたちのための用意をしなさい」。 16 弟子たちは出かけて行って街に入ると、イエスが言われたとおりであったので、過越の食事の用意をした。
 17 夕方になって、イエスは十二人と一緒にそこへ行かれた。 18 一同が席について食事をしているとき、イエスは言われた、「よく言っておくが、あなたがたのうちの一人で、わたしと一緒に食事をしている者が、わたしを引き渡そうとしている」。 19 弟子たちは心を痛め、ひとりびとり「まさか、わたしのことでは」と言い始めた。 20 そこで、イエスは彼らに言われた、「十二人の内の一人、わたしと一緒に食べ物を鉢に浸している者だ。 21 たしかに、人の子は書いてあるとおりに去って行く。だが、人の子を引き渡すその人はわざわいだ。その人は生まれなかったほうが、自分のためによかったであろう」。
 22 一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福してそれを裂き、弟子たちに与えて言われた、「取りなさい。これはわたしの体である」。 23 また杯を取り、感謝の祈りを捧げ、弟子たちに与えられると、全員がその杯から飲んだ。 24 すると、イエスは言われた、「これはわたしの血、多くの人のために流される契約の血である。 25 よく言っておくが、神の国で新しいものを飲むかの日まで、わたしはもう決してぶどうの実から造ったものを飲むことはない」。

イエスの最後の日

 イエスの物語はここで、イエスの地上の生涯の最後の日、もっとも重要な一日に達する。最後の晩餐、逮捕、裁判、処刑、埋葬という出来事がすべて起こった一日である。ユダヤ暦では日没から次の日没までが一日であるから、これらの出来事はすべて一日のうちに起こったことになる。この日が安息日の前日、すなわち金曜日であったことは四つの福音書すべてが一致している。ところが、この重要な日がユダヤ暦のどの日付になるのかについて問題が残っている。
 マルコはこの日を「除酵祭の第一日、すなわち過越の小羊をほふる日」としている。「除酵祭の第一日」というのはニサンの月の十五日である。これは日没から始まるのだから、その夜に行われる過越の食事の準備のために小羊がほふられるのは十四日の昼ということになる。したがって、「過越の小羊をほふる日」のことは、ユダヤ暦に厳密に従えば「除酵祭が始まる前日」としなければならない。マルコが除酵祭の第一日に行われる過越の食事と小羊がほふられる日を同じ日として扱ったのは、朝から一日が始まるギリシア人やローマ人の日の数え方(われわれも同じ)に従って、「除酵祭の第一日」を説明したのであろう。ここにもマルコが異邦人読者を考慮していることがうかがえる。ルカはほぼマルコに従っている。マタイは読者としておもにユダヤ人を意識しているので、この不正確さを避けて、「すなわち過越の小羊をほふる日」という説明を省略している。いづれにせよ共観福音書では、イエスは「除酵祭の第一日」、すなわちニサンの月の十五日の午後(最後の食事が行われた夜が明けた後の昼すぎ)に死なれたことになる。
 ところが、ヨハネ福音書ではイエスが死なれたのは、過越の小羊がほふられる「過越祭の準備の日」、すなわちニサンの月の十四日とされている(ヨハネ一八・二八、一九・一四)。ヨハネ福音書によれば、イエスはまさに神殿で過越の小羊がほふられている時に死なれたことになる。この一日の食い違いの問題はいまだに解決されていない。ヨハネ福音書が用いている伝承が歴史的に正確な場合が多いこと、逮捕、裁判、処刑が過越祭の第一日に行われたと考えにくいこと、また最後の食事に小羊が言及されていないので過越の食事とは見られない可能性があることなどの理由で、ヨハネ福音書が伝える「十四日」の方も広く受け入れられている。当時のユダヤ教の側にも、イエスは過越の準備の日に木に掛けられたとする伝承があるとされている。
 しかし、共観福音書伝承はあくまでも最後の晩餐を過越の食事として扱っている。そしてそれが歴史的にも正確であることを論証する有力な学説もある。たとえばJ・エレミアスの『イエスの聖餐のことば』は最後の晩餐が過越の食事であることを詳しく論証し、その議論は説得的である。食事の主役の小羊が言及されていないことや、祭の第一日には逮捕、裁判、処刑が行われないことなど、多くの異論も説得的に反駁されている。ここは、このような歴史的な事実に関して対立する学説のいずれかに軍配を上げる場ではない。これは歴史家には大問題であるが、信仰上はこの場でのイエスの言葉の理解に影響する限りにおいて意味のある問題である。ところが、もし最後の晩餐が「除酵祭の第一日」ではなく、その前夜であったとしても、その食事は過越の光の中にある事実は変わりはないのであるから、この場でのイエスの言葉の理解には影響はない。イエスの死が十四日であろうと十五日であろうと、イエスが「わたしたちの過越の小羊としてほふられた」(コリントT五・七)という意義には変わりはない。イエスご自身がこの過越をご自分の「時」と見定めて、エルサレムに入られたのである。すべては過越の場において起こっている。ここではあくまで福音書のテキストに従って、この食事を過越の食事として扱い、講解を進めてゆく。
 この段落はかなり独立した三つの伝承断片を用いているようである。

 第一は一二〜一六節の食事の準備についての断片
 第二は一七〜二一節の裏切り者の指摘についての断片
 第三は二二〜二五節の食事の席でのイエスの最後のお言葉の伝承

この三つの断片はそれぞれ独立の段落として扱われる場合(NTD)もあるが、たいていは第三の断片だけが独立の段落として扱われる。それは、この部分が「主の晩餐」を制定したイエスのお言葉として、聖餐式の場面で繰り返し用いられたペリコーペであるからである。しかし、マルコはこの三つの断片を同一の食事の場面を語る一連の物語としているのであるから、一つの段落として扱うのが自然であろう。

食事の準備

 第一段の食事の準備を語る部分(一二〜一六節)を見ると、まず、イエスがこれから起こることを先に見通しておられるという予見のモティーフが強調されているように見える。たしかに、エルサレムに入られる前のろばの件やユダの裏切りなど、イエスが出来事を予見しておられたことを福音書記者は強調している。これは、イエスの受難と死という出来事が偶発的なことでなく神の定めによるものであり、イエスはそれを予め見定めてその道を歩んでおられることを強調する受難物語の語り方の一部分である。
 しかし、この食事の準備の場面は、予めエルサレム市内の支持者の一人と打ち合せがしてあり、その打ち合せに従ってイエスが弟子たちに指示を与えておられると読むこともできる。事実、マタイ(二六・一八)はそのように語っている。そこでは、イエスが「都のあの人」と言われれば、それが誰であるかは弟子たちに分かることが前提とされている。マルコの記事においても、「水がめを運ぶ男」というのは、普通は女が皮袋で水を運ぶのであるから、打ち合せの上での目印と理解できる。さらに、すでに二階に敷物までしかれた広間が用意されている事実も、事前の打ち合せを前提としている。
 このように、この場面でのイエスの言葉を予見としてではなく、事前の打ち合せに基づく指示と理解することは、イエスがご自身の死を神の定めによるものと受け止めて歩まれたという事実をいささかも損なうものでなく、むしろイエスの死の覚悟を強調することになる。イエスはこの過越をご自分の死の時と覚悟しておられたからこそ、その前に弟子たちと過越の食事をして、過越の光の中でご自身の死の意義を語ることを切に願われたのである。イエスのその願いはルカ(二二・一五)が伝えている。イエスはその食事の席でこう言っておられる。「苦しみを受ける前に、あなたがたと共にこの過越の食事をしたいと、わたしは切に願っていた」。
 自分を狙っている当局者に見つけられることなく、この食事をすることができるために、イエスは周到な準備をされたと考えられる。そして、目立たないように「夕方になって」から(この場合は日没後に)、十二人と一緒にその家に行かれた(一七節)。この食事はあくまでイエスが願われ、周到に用意され、主宰された食事である。その意味で、弟子たちが「(わたしたちが、ではなく)あなたが過越の食事をされるのに、わたしたちはどこへ行って用意をすればよいでしょうか」と尋ねたとマルコが書いているのも理解できる。

裏切りの予告

 食事の席でイエスはまず、十二人のうちの一人が裏切るという、弟子たちにとって衝撃的なことを語り出される(第二段、一七〜二一節)。これは、第一の杯(キドゥシュの杯と呼ばれる聖別の杯)に続く前菜の時に語られたのであろう。前菜の時には、青菜が鉢の中のソースに浸されて食されたのである。

 「よく言っておくが、あなたがたのうちの一人で、わたしと一緒に食事をしている者が、わたしを引き渡そうとしている」。(一八節)

「一緒に食事をしている者」というのは、もっとも信頼する親しい仲間のことである。その一人がイエスを裏切ろうとしている。「引き渡す」という表現は、受難予告の中に用いられている表現で、いつも人の子の受難と死を指している。
 驚き悲しんで、「まさか、わたしのことでは」と言う弟子たちに、イエスは言われた。「十二人の内の一人、わたしと一緒に食べ物を鉢に浸している者だ」(二〇節)。この言葉は、いま目の前で食べ物を鉢に浸している者が裏切り者だと指し示す意味ではなく、それほど親しい間柄の者が裏切るのだという一般的な意味であろう。たしかに「わたしと一緒に食べ物を鉢に浸している者」は単数形で、一人の人物を特定する意味にも取れるが(新共同訳)、これは直前の「一人」に一致しているだけで、ここでしたように一般的な意味に取ることを妨げない。もし一同の前で裏切り者を名指してしまえば、彼はもはや後戻りできなくなってしまう。イエスは最後の瞬間まで悔い改めの場を残されたと考えるべきであろう。ヨハネ福音書(一三・二一〜三〇)は鉢に浸したパンを与えることによってユダを指されたとしているが、それも他の者には分からないようにひそかにされたのであるから、この席ではイエスは裏切り者を明示されなかったことが前提とされている。イエスは裏切り者が誰であるかを知っておられるのであるが、それを席上では特定しないで、そのように親しい者の中から裏切り者が出ることだけを、おそらく深い悲しみの表情をもって語り出されたのであろう。
 ユダの裏切りをイエスが予め知っておられ、明確に語っておられたとすることは、イエスの死が神の定めによるものであり、イエスがその定めに従って受難の道を歩まれたことを強調する福音の受難物語の一部である。先に見たように、ユダの裏切りは、その動機が人間の魂の暗闇の中に隠された不可解な出来事である。人間の目には不可解であるが、福音はそれを神の定めの一部とすることによって、イエスの死を神の計画に基づく救済の業であることを際だたせるのである。
 イエスの死が神の定めによるものであることは、「人の子は(聖書に)書いてあるとおりに去って行く」(二一節)という句で明言されている。これは、聖書全体が救済者の受難を予言していることを語るものであって、個々の聖句を指すものではない。しかし、教団は詩編四一編一〇節の「わたしの信頼していた仲間、わたしのパンを食べる者が、威張ってわたしを足げにします」という句にユダの裏切りの予言を見いだし、ヨハネ福音書(一三・一八)は明白にこの句を引用してユダの裏切りを語るにいたる。
 イエスの死が神の定めの中の出来事であることは、イエスを裏切った者の責任がなくなることではない。裏切ることによってイエスとの関わりをみずから断ち切ったユダは、自分を救い主から決定的に切り離してしまったのである。それがユダの不幸であり、動機が何であれ主を引き渡した責任を問われる立場に陥ったことは「生まれなかったほうがよかった」ほどの悲劇である。主を裏切った者として、ユダは教団の伝承の中でますます悪者にされ、永遠に地獄に定められた者とされているが、イエスの愛を思うとき、また三度までイエスを否定したペトロが赦されたことを思うとき、ユダは赦されることはないと誰が断定できようか。人間の立場で神の裁きを先取りすることはできない。むしろ、自分もユダと同じように矛盾と危機の中にある存在として、「まさかわたしのことでは」とおののきつつ問う立場でイエスに従うべきであろう。

最後の晩餐

 第三段(二二〜二五節)で、イエスが食事のときに語り出されたきわめて重いお言葉が伝えられる。ここに伝えられているイエスのお言葉は、イエスが死に臨んで語られた最後のお言葉、いわば遺言である。人が死に臨んで語る言葉は重く、その人の生涯の意義を決定する。それは、その人の生涯の中でもっとも重要な言葉である。
 一八節で一同が食事をしていることが明言されているのに、ここ(二二節)で「一同が食事をしているとき」という句が繰り返されているのは、この一段(二二〜二五節)が独立して用いられたペリコーペであることを示している。この一段は、教団にとって集会ごとに聖餐の場で繰り返し唱えられるもっとも重要な言葉である。
 ふつう過越の食事では、前菜の後の第二の杯のときに、この食事が普段の食事と違う由縁が説明される。すなわち、この食事が普段の食事と違うことの意味を尋ねる子供役の者の質問に対して、家長が出エジプトの出来事を語って、この食事がそれを記念するものであること、小羊、種入れぬパン、苦菜を食べる意義を説明する(このようにしてイスラエルは世代から世代へと出エジプトという根源的な出来事を語り伝え、自分たちをその出来事に与る民と同一視したのである)。そのさい、種入れぬパン(マッツァー)については「見よ、これはわれわれの先祖がエジプトから脱出したとき食べた悩みのパンである」というような言葉で、その意義が語られた。
 それから食事の主要部が始まる。それは小羊、種入れぬパン、苦菜による食事である。普通それにジャムとぶどう酒が添えられる。家長がパンを取り、祝福の祈りを唱えてそれを裂き、列席の者に与えて、食事が始まる。そして食事の後、感謝の祈りをもって「祝福の杯」と呼ばれる第三の杯があげられる。
 この食事の始めにパンを裂いて与えられる時と、食事の後の祝福の杯の時に、イエスは不思議な言葉を語られる。まず食事の始めにあたって、「イエスはパンを取り、祝福してそれを裂き、弟子たちに与えて」言われる。

 「これはわたしの体である」。

裂かれたパンを指して、「これはわたしの体である」という謎の言葉を語られるのである。そして、食事の後、「杯を取り、感謝の祈りを捧げ、弟子たちに与えられると、全員がその杯から飲んだ」のであるが、その時イエスは再び不思議な言葉を語られる。

 「これはわたしの血、多くの人のために流される契約の血である」。

過越の食事には赤ぶどう酒が用いられるのであるが、いま一同が飲んでいるその赤いぶどう酒を指して、「これはわたしの血である」という衝撃的な言葉を語られる。ユダヤ人にとって血を飲むことは戦慄すべき行為なのである。
 たしかに、「わたしの血」という言葉には、「契約の」と「多くの人のために流される」という説明の句がついている。しかし、この二つの句はギリシア語原文では(おそらくヘブライ語・アラム語に復元しても)「わたしの血」の後に付け加えられているのであるから、弟子たちが「これはわたしの血」という言葉までを耳にしたときの衝撃は強烈であったにちがいない(「これは、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である」という新共同訳は、この衝撃の強さを比較的よく伝えている)。
 「これはわたしの体」、「これはわたしの血」という、謎に満ちた強烈なこの二つの言葉が弟子たちを捉え、この言葉を核として最後の食事の席におけるイエスの言葉が語り伝えられるようになったと考えられる。

最後の晩餐の伝承

 最後の食事のさいのイエスの言葉は、新約聖書では次の四箇所に伝えられている。

  一、コリントT 一一章二三〜二五節
  二、マルコ   一四章二二〜二五節
  三、マタイ   二六章二六〜二九節
  四、ルカ    二二章一五〜二〇節

この四箇所は微妙な違いを見せている。元は一つのイエスの言葉がこのように僅かづつながら違った形に書かれるにいたった伝承の過程については、実に精密な議論がなされている。ここでその議論の細部に入ることはできないが、イエスがパンとぶどう酒について語られた言葉、しかも「これはわたしの体」、「これはわたしの血」という衝撃的な形の言葉が核心にあることは間違いない。
 この四箇所は大別するとマルコ・マタイ型の伝承系列とパウロ・ルカ型の伝承系列に分けられる。両者の大きな違いは、杯についての言葉がマルコ・マタイ型では「これはわたしの血である」という形をとっているのに対して、パウロ・ルカ型では「これは新しい契約である」という構造をとっていること、「〜のために」の句がパウロ・ルカ型ではパンについて用いられているのに対してマルコ・マタイ型では用いられていないこと、およびパウロ・ルカ型にある「わたしの記念としてこれを行え」という言葉が、マルコ・マタイ型にはないことである。
 杯についての言葉を比べると、伝承を担ったユダヤ人信徒にとって、「これは血である」という言葉は理解しにくい言葉、むしろ戦慄すべき言葉であるのに対して、「これは契約である」という言葉は理解しやすい言葉である。伝承は理解しにくい形から理解しやすい形に変えられるという鉄則からすると、マルコ・マタイ型の方が古い形を保っていると判断される。また、パウロ・ルカ型の方が典礼で用いられた影響を多く示していることや、マルコ・マタイ型のギリシア語がセム語的であることも、この判断を補強する。その中でも、マタイの形にはマタイ独自の用語法や附加が見られるので、マルコの形が最古のテキスト、すなわちイエスの言葉にもっとも近い形であると見てよい。
 裂かれたパンを指して「これはわたしの体」と語られ、一同が回して飲む杯のぶどう酒を指して「これはわたしの血」と語られるイエスの言葉は、弟子たちにとって驚きであり、謎(マーシャール)であったにちがいない。たしかにイエスはここで「マーシャール」を語っておられるのである。《マーシャール》というヘブライ語は、謎、象徴、比喩(直喩、隠喩、寓喩を含む広い意味)、格言などきわめて広い意味の語である。このような広い意味で理解するならば、イエスが「神の国」について語られることはほとんどみな「マーシャール」であると言ってよい。福音書記者もこのようなイエスの語り方に強い印象を受けて次のように言っている。「イエスはこれらのことをみな、マーシャールを用いて群衆に語られ、マーシャールを用いないでは何も語られなかった」(マタイ一三・三四)。イエスはここで弟子たちにも、遺言ともいうべき最後の大切な言葉をマーシャールの形で語られるのである。ご自分の死を象徴あるいは隠喩を用いて語られるのである(厳密に言えば象徴と隠喩とは違うが、ここでは両者とも《マーシャール》というヘブライ語の解説的な訳語として用いる)。

終末の光の下で

 この「マーシャール」に取り組むことは後に回して、すぐに続くもう一つの不思議な言葉を先に聞こう。イエスは杯の言葉に続けてこう言われる。

 「よく言っておくが、神の国で新しいものを飲むかの日まで、わたしはもう決してぶどうの実から造ったものを飲むことはない」。(二五節)

 イエスがここで、「地上であなたがたと一緒に食事をするのはこれが最後だ」と言っておられることは、すぐに理解できる。これは、イエスの死が目前であることを宣言する言葉として重要である。しかし、それ以上に大切なことは、イエスが神の国の到来を目前にして語っておられること、ご自身の死を神の国到来の光の中で見ておられることである。ぶどう酒を飲むことは食卓の交わりを象徴する。地上での交わりはこれで終る。しかし、すぐに神の国での交わりが始まる。それはまったく新しくされた世界での交わりである。それがどのような質の交わりであるかは説明されない。「新しい」という言葉で、ただ別次元の終末的な質のものであることが示唆される。しかし、それが始まることは確かである。このイエスの言葉によって、最後の晩餐はイエスの死を超えて、終末の神の国の栄光を望み見る場となる。
 ルカ福音書では、この言葉はさらに詳しい形で食事の始めに置かれている。イエスは食事を始める前にこう言われる。

 「苦しみを受ける前に、あなたがたと一緒にこの過越(の小羊)を食べたいと、わたしは切に願っていた。言っておくが、神の国で成就するまで、わたしは決してそれを食べることはない」。(ルカ二二・一五〜一六 私訳)

ここで用いられている《ト・パスカ・ファゲィン》という表現は過越の小羊を食べることであって、イエスは神の国でその成就を祝う時まで、地上でそれを食べる願いを断念すると言っておられるのである(「切に願う」という動詞はルカにおいては実現しなかった願望を表す)。神の国で完全な交わりが成就するまで、この時からイエスは過越の羊を食べることをしないと宣言される。同じように、「神の国が来るまで」ぶどう酒を飲むことをしないと宣言される(一八節)。イエスはこの食事の席で断食しておられるのである(パンもイエスご自身は食べられなかったことが推定されている)。この地上での断食によって、かえって強烈に神の国での食事(交わり)を指し示しておられるのである。
 この言葉が食事の前(ルカ)であったか食事の後(マルコ)であったかにかかわらず、この言葉によって、最後の食事が強烈な終末の光の中に置かれたことは変わりない。この終末の光の中で改めて「これはわたしの体」、「これはわたしの血」というイエスの最後の、そして最大の「マーシャール」を受け止めてみよう。

過越の子羊

 ここで日常の食事に用いられるパンとぶどう酒が象徴として用いられている。象徴とは別次元の事柄を指し示す「しるし」である。パンがイエスの体を象徴し、赤いぶどう酒が流されるイエスの血を象徴していることは、イエスの言葉が明言しているところであって、問題はない。しかも、それが裂かれたパンであるから、それはイエスの体が引き裂かれるような暴虐による死であることを象徴している。また、血が流されること自体、その死が安らかな死ではなく暴力による不自然な死であることを指し示している。裂かれたパンと赤いぶどう酒によって、イエスは目前に迫ったご自分の死を暴虐による死、「打ち砕かれる」(イザヤ五三・五)ような死であることを語っておられるのである。
 イエスは十字架にかけられて処刑された。十字架刑は、車裂きのように文字通り体を引き裂く刑ではないし、斬首のように血を流す刑でもない。むしろ無血の処刑法である。イエスの手と足に打ち込まれた釘によって肉は裂かれ骨は砕かれたし、わき腹に刺された槍によって血が流されたのであるから、パンとぶどう酒をもってなされたイエスの「予言」は文字通り成就したと、無理に解釈する必要はない。イエスはここで処刑法を予言しておられるのではなく、その死が暴虐による死、イザヤが予言したような「打ち砕かれる」死であることを、「象徴」をもって指し示しておられるのである。
 ここまでは、象徴が指している事柄を比較的容易に理解できる。問題は、そのようなイエスの死が何を意味するのか、そこでいったい何が起こっているのか、その死は神の国とどのような関わりがあるのか、また、その死はわたしたちとどのような関わりがあるのかということである。そこにこそ真の「マーシャール」(謎)がある。
 その「マーシャール」を解く鍵は、まず第一にそれが過越の場で語られた言葉であるという事実である。過越の食事の主役は「過越の小羊」である。イスラエルがエジプトから出た夜、家ごとに小羊がほふられ、その血が入口の柱と鴨居に塗られた。その夜、エジプトのすべての家の長子を撃ち殺した死の使いは、その血を見てイスラエルの民の家を過ぎ越したという(出エジプト記一二章)。その出エジプトを記念する過越の食事において、イエスがパンとぶどう酒を用いてご自身の裂かれる体と流される血を指されたとき、イエスがご自身をほふられる「過越の小羊」とされていることは、イスラエル人には明らかなことである。
 後にパウロはイエスの死について「わたしたちの過越の小羊としてほふられた」(コリントT五・七)と言っているが、これは文脈から見ても、パウロ個人の理解を表現したものではなく、「あなたがたもみなよく知っているように」という気持ちを込めて、最初期の教団の共通の理解を引用していると見るべきである。そしてこのような理解は、最後の晩餐の席でイエスの言葉を聞いた者たちから出たものであると考えるのがもっとも自然であろう。
 イエスはいまや食卓の上の過越の小羊を食べようとはされず、ご自分を過越の小羊として差し出しておられるのである。過越の小羊がほふられるのは何のためか。それはイスラエルがエジプトの全地に臨む神の死の裁きを免れて、エジプトの支配から逃れ神に仕えるようになるためであった。いまイエスはその過越を成就する者として、新しい神の民が神の赦しによって人間に普遍的な罪と死の支配から逃れ、生ける神との真実の交わりに入ることができるようになるために、ご自身の命を差し出されるのである。
 このように、過越は「あがない」の二面をよく表現している。一つは神の裁きを免れること、すなわ罪の赦しである。もう一つは神に敵対する力からの解放である。かの時、ほふられた過越の小羊はイスラエルに赦しと解放をもたらした。いまイエスの犠牲の死(血は犠牲を象徴する)によって、終末的な赦しと解放が世にもたらされるのである。この赦しと解放という二面を「あがない」という一語で表現すれば、イエスは世の「あがない」のために死なれたと言うことができる。初代の教団はこのような理解を「イエスの血によるあがない」と表現したのである。
 パンとぶどう酒のマーシャールは、それが過越の場において語られたものであることによってすでに、このような内容を指し示しているのであるが、その内容は「わたしの血」に加えられたイエスの言葉によってさらに詳しく、また確かなものにされる。

贖罪と契約の血

 イエスはその血を「多くの人のために流される血」であると言われる。この句はイザヤ書五三章に繰り返される「多くの人」と「のために」を思い起こさせる。この句は、一〇章四五節の「多くの人のために身代金として自分の命を与える」という句と共に、イエスがご自分の死をイザヤ書五三章の「主の僕」の贖罪の死とされていたことを示している。
 モーセのとき過越の小羊の血はイスラエルの民のために流された。いまやイエスの血は「多くの人」のために流される。「多くの人」という表現はセム語的表現法による包括的な意味(多くの人を包含する全体)であって、「すべての人」、「世界の諸々の国民」を意味する。「のために《ヒュペル》」は「に代わって」という意味にもなる前置詞であって、イザヤ書五三章全体の内容からすれば、その意味に理解する方が自然である。一〇章四五節で用いられている《アンティ》という前置詞は明らかに「に代わって」の意である。犠牲には「代わりの死」という意義が基本的に含まれている。イエスはここでご自分の死を、世界の諸々の国民の贖罪のために、すべての人に代わって死ぬ犠牲の死であると語っておられるのである。
 マルコの伝承では「多くの人のために」は血についてだけ言われている。しかし、裂かれた体と血は一体のものとしてイエスの死を指しているのであるから、この「多くの人のため」という句はイエスの体についても言われることである。この句がパウロ・ルカ型の伝承においてはパンについても用いられるようになったのは自然なことである。
 さらに、イエスは流されるご自分の血を「契約の血」であるとされる。「契約」とは神と人との関わりを人間社会の契約行為を比喩として用いて表現したものである。古代において契約は当事者または代わりの動物の血を用いて結ばれた(日本でも朱肉は血の代わりだとされる)。イスラエルの歴史において、ヤハウェとイスラエルの関係はつねに契約と考えられ、その契約は血を用いて結ばれた。もっとも基本的な契約であるシナイ契約も血をもって結ばれている(出エジプト記二四章)。イスラエルの契約の歴史において用いられたのは動物の血であるが、いまやイエスはご自分の血によって別の契約が立てられることを宣言される。
 マルコの伝承には「新しい」という語はないが、イエスの血によって立てられる契約は当然、それまでの動物の血による契約とは別の、まったく新しい契約となる。そのことをパウロ・ルカ型の伝承は「この杯はわたしの血によって立てられる新しい契約である」と明白に語っている。イエスの死によって、まったく新しい神と人との関わりが始まることになるのである。ここではその内容については語られていないが、イエスが復活されてこの契約が発効した後に注がれる聖霊によって、新しい神と人との関わりが現実に始まり、使徒たちの書簡においてその内容が展開されるようになるのである。
 さきに見たように、イエスはこの最後の晩餐において、「よく言っておくが、神の国で新しいものを飲むかの日まで、わたしはもう決してぶどうの実から造ったものを飲むことはない」と語り、ご自分の死の向こう側に神の国があることを見ておられた。この神の国における「新しい」神と人との関わりが、イエスの死によって立てられる契約によって地上に到来するのである。その意味において、イエスの血によって立てられる契約は、さらに新しいものによって更新されることのない最終的な契約、終末的な神と人との結びつきである。

 イエスはパンを裂き弟子たちに与えるさいに、「取りなさい」と言った上で(マタイは「取って食べなさい」としている)、「これはわたしの体」と語っておられる。また、「全員がその杯から飲んだ」ときに、「これはわたしの血」と語っておられる。弟子たちが現実に食べているパン、飲んでいるぶどう酒をさして、「これはわたしの体、わたしの血である」と語っておられるのである。この言葉は棚の上に飾られているパンやぶどう酒の杯について語られた言葉ではなく、わたしたちが現実に食べるパン、現実に飲むぶどう酒について語られた言葉である。ということは、もしわたしたちがこのパンを食べず、このぶどう酒を飲まなければ、イエスのこの言葉は何の現実的な内容もない言葉、わたしたちの外に額に入れられて飾られている言葉にすぎないものになる。わたしたちがこのパンを食べ、このぶどう酒を飲むときはじめて、すなわち、わたしたちがパンとぶどう酒が象徴として指し示しているイエスの贖罪の死を身をもって受け取るときはじめて、神との新しい契約、聖霊による終末的な神との交わりの世界に入ってゆくことができるのである。ヨハネ福音書はこの点を強調して、「人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない」(六・五三)と言うのである。
 このように最後の晩餐の席上、イエスはご自身を過越の小羊、またそれと重なるようにイザヤ書五三章の犠牲の小羊として差し出しておられる。まさに十字架にかけられたイエスは、神が全世界に最終的に与えられた贖罪そのものである。