市川喜一著作集 > 第4巻 マルコ福音書講解U > 第20講

79 ベタニアでの油注ぎ  14章 3〜9節

 3 イエスがベタニアでらい病人シモンの家におられた時、食卓についておられると、ひとりの女が、非常に高価で純粋なナルドの香油が入っている石膏の壷をもって入って来て、その壷を割り、香油をイエスの頭に注いだ。 4 ところが、そこにいたある人たちが、憤って互いに言った、「なぜ、香油をこんなに無駄づかいするのか。 5 この香油は三百デナリ以上にも売れて、貧しい人々に施すことができたのに」。そして女を厳しくとがめた。 6 するとイエスは言われた、「するがままにさせなさい。なぜ女を困らせるのか。彼女はわたしによいことをしたのだ。 7 貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるのだから、したい時にはいつでも彼らによくしてあげることができる。だが、わたしはいつも一緒にいるのではない。 8 彼女はなしうる限りのことをしたのだ。埋葬に備えて、前もってわたしの体に油を注いでくれた。 9 あなたがたによく言っておくが、世界中どこでも福音が宣べ伝えられるところでは、この女のしたこともまた語り伝えられて、彼女を記念することになる」。

ナルドの香油

 石膏の壷を割って香油を注いだ女の話は、ルカ福音書(七・三六〜五〇)ではまったく別の場所で用いられ、別の意味を与えられている。この女の物語を受難物語の初めにもってきて、イエスの受難に関わる物語にしたのは、マルコの意図によるものであろう。祭司長たちや律法学者たちのイエス殺害の謀略(一〜二節)とそれに対応するユダの裏切り(一〇〜一一節)の記事は、元の受難物語伝承では続いていたのであろうが、マルコはその間にこの女の物語(三〜九節)を挿入して、イエスを殺す者とイエスを愛する者との対比を鮮やかに示す。
 イエスはエルサレムに入ってからは、夜はベタニアに退いて過ごされた(一一・一一)。ベタニアはエルサレムからエリコの方向に約三キロ離れたところにあり、マルタとマリアの姉妹、その兄弟ラザロのいる村である(ヨハネ一一・一)。激しい論争の地エルサレムとは違い、ベタニアはイエスを暖かく迎える支持者がいる村であった。この夜はイエスはらい病人シモンの家におられた。シモンはおそらくイエスによってらい病を癒され、らい病人にも近づいてくださるイエスの愛に感動して熱烈な支持者となり、自分の家をイエス一行の宿舎として提供していたと考えられる。この伝承を語り伝えた人々の間では「らい病人シモン」はよく知られた人物であったのであろう。特別の役割を果たしてはいないが、その名前だけがあげられている。

 イエスがシモンの家で「食卓についておられると、ひとりの女が、非常に高価で純粋なナルドの香油が入っている石膏の壷をもって入って来て、その壷を割り香油をイエスの頭に注いだ」。(三節)

男性の食事の席に女性が入ってくるということは、当時の習慣では異常な行為であった。さらに、石膏の壷を割って香油を注ぐという行為に、この女性の切迫した心情が見られる。
 「ナルドの香油」は東アジア原産の植物「甘松香」の根から調製される高価な香油で、ここでも「三百デナリオン以上」と評価されている。三百デナリオンといえば、一デナリオンが労働者の一日分の収入であるから、ほぼ一年分の収入に相当する額である。このような高価な香油を持っている女性は普通の主婦ではなく、売春婦のような職業の高収入の女性であったという推察がなされ、後にはマグダラのマリアだという推察がされるようになる。ルカ福音書七章の記事でこの女は「罪深い女」と言われており、そういう職業の女性であったとされていることも、この推察を根拠づけている。

「ところが、そこにいたある人たちが、憤って互いに言った」。(四節)

「ある人たち」とは誰であるのか、マルコは表に出さない。マタイは弟子たちとし、ヨハネはイスカリオテのユダだとして、それぞれこの出来事に対する著者の解釈を示している。マルコは香油を注いだ女性もつぶやいた人たちも誰であるかには関心を示さないで、ひたすらイエスだけに視線を集中し、その受難の意義だけを際だたせる。

 彼らは互いに言った、「なぜ、香油をこんなに無駄づかいするのか。この香油は三百デナリオン以上にも売れて、貧しい人々に施すことができたのに」。(四〜五節)

 彼らの目には、この女性のしたことは香油を無駄にすることに見えた。それは、弟子たちを含む周囲の人たちが、この時にいたってもなお、イエスが死に臨んでおられることを理解していなかったことを示している。もし敬愛する師が死に臨んでおられることを理解していたならば、その方に香油を注ぐことは無駄づかいには見えなかったはずである。すくなくともマルコはそのように描いている。マルコは、イエスが地上におられる間は周囲の人々や弟子たちがいかにイエスを理解することが少なかったかを強調する傾向があるが、この無理解のモティーフをイエスの死の直前までつづける。

埋葬の準備

 この女性を非難した「ある人たち」は男性たちであると考えられる。彼らはイエスが死に臨んでおられる事実もその死の意義も理解せず、香油を三百デナリオンに売って貧しい者たちに施すというような形で、これからもイエスと一緒に活動し、イエスを押し立てて自分たちの事業を押し進めていこうと考えている。それに対してこの女性は、イエスに対する愛から、イエスに自分の心を注ぎかける最後の機会であると直感して、自分のもっているいちばん大切なもの、自分のすべてを注ぎ出す。その結果がどうなるかは一切計算しない。一般に男性は成し遂げた事業に価値を見いだし、女性は愛の直感に生きるものである。この場合、すなわちイエスとの関わりにおいては、女性がもつ愛の直感が何よりも価値がある。効果や結果を計算することなく、自分の一切をイエスに注ぎ出す心が何よりも大切である。この女性の物語はこのことを教えている。イエスの十字架刑の場所に最後までついてきたのは女性だけであったことも思い起こされる(マルコ一五・四〇〜四一)。
 彼らは「女を厳しくとがめた」のであるが、それに対してイエスはこう言われた。

「するがままにさせなさい。なぜ女を困らせるのか。彼女はわたしによいことをしたのだ」。(六節)

 イエスに対する計算抜きの献身は、計算高いこの世の精神からすればまことに愚かな行為であり、冷笑や非難を招くものである。しかし、イエスはご自分に為された行為が神の前に価値あるものであることを見ておられる。世の非難をたしなめ、彼女の行為を称揚される。しかし、貧しい人々を顧みるという行為そのものを無用だとされるのではない。すぐにこう続けられる。

「貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるのだから、したい時にはいつでも彼らによくしてあげることができる。だが、わたしはいつも一緒にいるのではない」。(七節)

 地上の歴史の中では貧困は絶えることがない。貧困に苦しむ人々を助けることはよい行為であり、イエスの弟子の義務ですらある。イエスの弟子は地上に生きるかぎり、貧困に苦しむ人々を助けようとするとき、もう助ける対象がないということはない。ところが、イエスはいつまでも地上に彼らと一緒におられるのではない。いや、すぐに彼らのもとから去ろうとしておられる。今はイエスのために何かをなしうる最後の時である。この今の時の性格が、この女性の行為を貧しい人々を助けるという善行に優るだけでなく、福音が語られるかぎり語り伝えられるべき価値ある行為とするのである。そして、イエスご自身がこの時における女性の行為の意義を明白に語られる。

「彼女はなしうる限りのことをしたのだ。埋葬に備えて、前もってわたしの体に油を注いでくれた」。(八節)

 マルコはこの女性の行為を伝えるだけで、その動機については何も語らない。それで彼女の動機についてさまざまな推測が行われることになる。ルカ福音書七章の物語が伝えるように、罪深い者をありのまま受け入れてくださる神の恩恵への大きな感謝を、その恩恵を与えるイエスに対して表したという動機も、この行為の背景として十分考えられる。また、イエスを油注がれたメシアとして告白するという動機も考えられる。さらに、彼女自身はイエスの死の予告を聞いてはいなかったが(イエスの受難予告は内輪の弟子たちだけにされた)、エルサレムに入られてからの状況やイエスの態度からイエスの死が近いことを直感して、愛するイエスのために「なしうる限りのことをした」ことも十分推測できる。彼女の動機が何であれ、ここで意味があるのは彼女の行為の意味を語られるイエスの言葉である。
 イエスは彼女が香油を注いだ行為を、「埋葬に備えて、前もってわたしの体に油を注いでくれた」行為とされる。当時の習慣として、ユダヤ人は埋葬するとき遺体に香油を塗った。実際、イエスが十字架から降ろされたのは夕方であって安息日が始まろうとしていたので、遺体はすぐに埋葬され、香油を塗る機会がなかった。それでイエスに身近な女性たちが安息日が終わるのを待って香油を買い、週の初めの日の早朝に墓に行って、改めて遺体に香油を塗ろうとしたことが報告されている(一六・一〜二)。しかし、墓はすでに空であったので遺体に香油を塗ることはできなかったのである。このような事の成行きから見ると、この女性の行為はまさに「前もって」、すなわちイエスがまだ生きておられる時にイエスの体を遺体として扱い、油を注いで埋葬の準備をしたことになる。イエスはご自分をすでに死んだ者とされているのである。このように、この女性の行為を意味づけた上で、イエスはこの行為の重要性を印象深い言葉で語られる。

「あなたがたによく言っておくが、世界中どこでも福音が宣べ伝えられるところでは、この女のしたこともまた語り伝えられて、彼女を記念することになる」。(九節)

 このように言われるほど重要な意味がある行為をした女性であるのに、その名は伝えられていない。これは、その女性個人の名誉が重要なのではなく、そのような行為をした人間の姿が重要とされていることを示している。では、彼女は何をしたのか。それはイエスが明確に語られたように、イエスを愛して、死にゆくイエスになしうる限りのことをした、すなわち自分のすべてをそそぎ込んだのである。彼女はイエスの死に自分を投げ入れ、イエスの死に合わせられている。彼女はまだイエスの死の後にどのような事態がくるのかを知らないのであろう。しかし、それは問題ではない。イエスの死に合わせられることによって自分がどうなるのか、その結果はまったく度外視して、彼女は死にゆくイエスに自分を投げ入れるのである。
 イエスは先にご自分の受難と死を予告されたとき、弟子たちと群衆に向かって(ということは、やがて福音を聞く人々すべてに向かって)、イエスに従い命に達しようとする者は、イエスの苦しみを共に負い、イエスと共に自分が死ななければならないことを教えられた(マルコ八・三四以下)。そこにマルコの信仰論が表現されていることを見た(その箇所の講解を参照のこと)。今この女性の姿に、マルコのいう信仰、すなわちイエスの死に合わせられるという信仰の姿が典型的に表現されているのである。福音はこのような信仰によって受け取られるのでなければ、空虚な言葉にすぎない。福音が宣べ伝えられるところでは、この女性の姿も語り伝えられて、十字架の福音を受け取る人間の姿が指し示されなければならない。福音が語られると同時に、この福音の言葉をまことの命の道とする信仰の質が教えられなければならない。そのために、「世界中どこでも福音が宣べ伝えられるところでは、この女のしたこともまた語り伝えられ」なければならないのである。