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73 終末の前兆について  13章 3〜13節

 3 イエスがオリーヴ山で、神殿をのぞむ所に座っておられた時、ペテロ、ヤコブ、ヨハネ、アンデレがひそかに尋ねた、4 「わたしたちには話してください。そのことはいつ起こるのでしょうか。また、そのようなことがすべて実現するときには、どのような前兆があるのでしょうか」。
 5 そこでイエスは話し始められた、「人に惑わされないように、気をつけていなさい。 6 多くの者がわたしの名を名乗って現れ、『わたしがそれである』と言って、多くの人を惑わすであろう。 7 戦場の叫びを聞き、戦争の噂を聞くときも、慌ててはいけない。そのようなことは必ず起こるが、まだ終りではない。 8 民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に地震が起こり、飢饉がある。これらは産みの苦しみの始まりである。
 9 あなたがたは自分のことに気をつけていなさい。あなたがたはわたしのために法廷に引き渡され、会堂で鞭打たれ、長官や王たちの前に立たせられ、彼らに証をすることになる。 10 こうして、まず福音がすべての民に宣べ伝えられねばならない。 11 人々があなたがたを連れて行って引き渡すとき、何を言おうかと、前もって心配するな。その時に与えられることを語るがよい。語る者はあなたがたではなく、聖霊だからである。 12 兄弟は兄弟を、父は子を死罪にするために引き渡し、子は親に逆らって立ち、死に至らせる。 13 あなたがたはわたしの名のために、すべての人に憎まれる。しかし、終りまで耐え忍ぶ者は救われる」。

前兆への問い

 神殿の崩壊を断言されたイエスは、その神殿に対面するオリーブ山で、神殿を見つめながら弟子たちに最後の教えを与えられる(三節)。このような状況を設定したマルコは、「その日、主は御足をもって、エルサレムの東にあるオリーブ山の上に立たれる」というゼカリヤ(一四・四)の預言を意識してのことかどうかは分からないが、やがて崩壊する古い神殿宗教体制と対照して、イエスを新しい時代をもたらす方として描くのである。エルサレムにおけるイエスの働きは最後まで神殿をめぐってなされる。
 ここで「ひそかに」尋ねたのは、ペトロ、ヤコブ、ヨハネ、アンデレの四人となっている(三節)。ペトロ、ヤコブ、ヨハネの三名が特別に身近に召されるという伝承が多いが(五・三七、九・二、一四・三三など)、この四人も召命の記事に見られるように、別の系列の伝承を形成していたのであろう。以下のイエスの言葉は、この四人に語られたことになっているが、その内容は決して少数のグループの者に与えられた秘密の教えではなく、イエスを信じるすべての者に向けられているのである。そのことは、この訓話の最後で「あなたがたに言うことは、すべての人に言うのだ」と明言されている(一三・三七)。
 エルサレム神殿の崩壊は、ユダヤ人にとっては天が落ち地が崩れるのと同じような衝撃である。彼らにとって神殿の崩壊は世の終りと同じである。神殿が崩壊する時、「この世」は終り、預言者が予言し、もろもろの(ユダヤ教)黙示録が描いていたように、宇宙的破局を経て「来るべき世」が来る。弟子たちは、そのような恐るべきことが「いつ起こるのか」ということと同時に、「どのような前兆があるのか」と尋ねる(四節)。彼らが「そのようなことがすべて実現するとき」と言うとき、それは典型的な黙示録であるダニエル書の中の句(七十人訳一二・七)そのままであり、彼らが黙示録的終末を心に描いてこの質問をしていることをうかがわせる。マタイ(二四・三)は、このことを当時の教団の黙示録的信仰の用語を用いて明確に表現している。「あなたのパルーシア(来臨)とアイオーン(世)の終りの前兆は何でしょうか」。

イエスの遺訓

 「そこでイエスは話し始められた」(五節)。弟子たちの問いに答える形で、イエスは終末に関する長い訓話を語り始められる。この十三章の終末に関する教えは、四章の「神の国」のたとえ集を別にすれば、マルコ福音書では唯一のイエスの言葉の大きなまとまりである。しかも、この終末訓話はイエスの地上の働きの最後に置かれて、イエスの「遺訓」となっている。
 「遺訓」というのは、傑出した人物が世を去るにあたって身近な者たちに残す教えという形で霊的な奥義を語る文学類型であって、旧約聖書でも創世記のヤコブ、申命記のモーセ、ヨシュア記のヨシュアの遺訓など多く用いられてきた。とくに初期ユダヤ教においては、「アブラハムの遺訓」をはじめ、「誰それの遺訓」という標題の書が多く書かれている。マルコがイエスの遺訓としてこの終末訓話を置いたことは、マルコ福音書が書かれた状況においては黙示録的終末待望がきわめて重要な意味をもっていたことを示している。
 このことは、同じ遺訓という形を用いているヨハネ福音書一四〜一七章と比べてみると、さらにはっきりする。ヨハネ福音書の遺訓では、黙示録的終末待望については語られることなく、教団の中における聖霊による主の働きだけが強調されている。この二つの遺訓は、状況が異なることによって福音書の関心が焦点を結ぶところがいかに違ってくるかをよく示している。ヨハネ福音書の遺訓もわれわれにとってまことに重要な意義をもっているが、いまはマルコ福音書におけるイエスの遺訓が現在のわれわれに語りかけるところを真剣に聞かなければならない。
 マルコ福音書十三章を一読してすぐ気づくのは、これが内容も用語も当時のユダヤ教黙示文学に非常によく似ているということである。それで、この章は一般に「マルコの小黙示録」と呼ばれている。問題は、このような黙示録的文書を現在のわれわれはどのように受け入れ理解すべきか、である。この問題を考えるために、まず、もともとイエスは来るべき終末をどのように宣べ伝えられたのかという問題を整理し、次に、本章の講解によって、福音書が書かれた状況でこの「小黙示録」が持つ意義を理解するように努めよう。その上で(本章全体の講解の後で)、現在のわれわれの信仰にとってこの「小黙示録」が占める位置を考えてみることにしよう。

稲妻がひらめくように

 イエスが宣べ伝えられた「神の国」は、その到来が差し迫っているという未来の面と、現在すでに来ているという両面があることを、この講解で見てきた。「神の国」が現在すでに来ているというのは、イエスの中に隠された形で来ているのであって、これは世の人々が見ることができない「奥義」である。しかし、「隠されているもので、現れないものはない」。いまイエスの中に到来している「神の国」は、必ずあらわな形で顕現する。その時が迫っている。イエスはその現れる時のことを、弟子たちには「人の子の顕現」という形で語られた。たとえば、「神に背いたこの罪深い時代に、わたしとわたしの言葉を恥じる者は、人の子もまた、父の栄光に輝いて聖なる天使たちと共に来るときに、その者を恥じる」(マルコ八・三八)と言っておられる。
 このマルコ福音書十三章とは別に、神の国はいつ来るのかという問題が正面から取り上げられているところが、共観福音書にもう一箇所ある。ルカ福音書の十七章(二〇節以下)で、ファリサイ派の人々が神の国はいつ来るのかと尋ねたとき、イエスは彼らにこう教えておられる。

「神の国は、見える形で来るのではない。『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ」。(ルカ一七・二〇〜二一)

それから弟子たちにはこう言われる、

「あなたがたが、人の子の日を一日だけでも見たいと望む時が来る。しかし、見ることはできないだろう。『見よ、あそこだ』『見よ、ここだ』と人々は言うだろうが、出て行ってはならない。また、その人々の後を追いかけてもいけない。稲妻がひらめいて、大空の端から端へと輝くように、人の子もその日に現れるからである」。(ルカ一七・二二〜二四)

 ここでイエスがファリサイ派の者たちに「神の国はあなたがたの間にある」と言われたのは、彼らの間におられるイエスの中にすでに神の国の現実が来ていることを指されたと受け取ることができるが、その他にも実に多くの解釈があり決定は困難である。しかし、この言葉をどのような意味で理解するにせよ、ファリサイ派の者たちに対する答えと弟子たちに対する教えとを一貫して、イエスがここで言おうとしておられるところは明らかである。それは、神の国とか人の子の日という事態は、「ここにある」とか「あそこにある」というように、見える形で来るものではない、すなわち、場所や日付を問題にすることができるような歴史的出来事ではない、という点である。神の国が来るとか、人の子が現れるというのは、「稲妻がひらめいて、大空の端から端へと輝くよう」な性質の事柄であり、「いつ」起こるのかは、誰も知ることはできないし、そもそも問題にすることもできない性質のものである。それはノアの時代の洪水やロトの時代の天からの火のように、思いがけないとき突如われわれに臨むのだということを自覚して、現在を生きることが求められているのである。
 このようなイエスご自身の終末理解と態度を確認した上で、次にマルコ福音書十三章の終末訓話を見よう。この終末予言においても、「人の子の顕現」が中心に立っており(二六節)、「その日、その時は、だれも知らない」(三二節)のだから、「気をつけて、目を覚ましていなさい」と求められるという形で、イエスの終末観は基本的には保持されている。しかし、ここでは「そのようなことがすべて実現するときには、どのような前兆があるのでしょうか」という、前兆についての問いが主要な関心事となっている。それは、この福音書が書かれた状況においては、「前兆」の問題をめぐって人の子の顕現を待ち望む教団の終末信仰が大きな試練にさらされていたからである。以下、福音書が書かれた当時の状況において、この十三章がどのような意味をもっていたのかを見てみよう。

時代の状況

 マルコ福音書が書かれたのは、エルサレム神殿がローマの軍勢によって破壊された紀元七十年のすこし前と考えられる(その直後である可能性もある)。当時パレスチナはユダヤ戦争の戦場になっており、騒然とした状況であった。この戦争は、神の支配の下に生きる神の民として、ローマの支配を打ち破って政治的独立を達成しなければならないとする「ゼーロータイ」(熱心党)の運動が全国民を巻き込んで引き起こしたローマに対する全面戦争であった。
 先に見てきたように、イエスがガリラヤで活動された時すでに、ローマへの武力反乱を訴える「ゼーロータイ」の主張は一般のユダヤ人たちの間に広く浸透していた。イエスの後も、「多くの者がわたしの名を名乗って現れ、『わたしがそれである』と言って、多くの人を惑わすであろう」と言われているように、ガリラヤのユダ、ザドク、チゥダ、ある「エジプト人」など、多くの自称預言者や自称メシア(中にはイエスの再来であると称する者もいたのかもしれない)が現れて、ローマへの反乱に立ち上がるように民衆に呼びかけ、各地で反乱鋒起があり、ローマ軍との衝突が起こっていた。人々はあちこちの「戦争の噂を聞く」ことが多かったであろう。
 ところが、当時のユダヤ人歴史家ヨセフスの伝えるところによると、六六年にカイサリアで起こったユダヤ人会堂をめぐるささいな事件から、ユダヤ人とギリシア人の感情的対立が爆発して紛争が起こり、それがローマ総督フロルスの介入を招き、多くのユダヤ人が虐殺されるに至った。これが全面的なユダヤ戦争の発端となった。緒戦でシリアの総督ケスティウスの軍を破って意気盛んな反乱軍を鎮圧するため、皇帝ネロは老錬の将軍ヴェスパシアヌスを派遣し、彼はガリラヤで激しい戦いの後ユダヤ人反乱軍を打ち破った(六七年)。ガリラヤの人々は文字どおり身近に「戦場の叫びを聞いた」のである。ネロの死(六八年)の後、皇帝と宣言されてローマに帰ったヴェスパシアヌスに代わって、その子ティトゥスがエルサレムを攻め、七十年にエルサレムは陥落、神殿は炎上するにいたるのである。
 また、当時は飢饉や地震などの災害が多く報告されている。とくにクラウディウス帝の時代の大飢饉(四八年)は有名で、世界的な規模のものになり、ローマの歴史家たちによっても記録されている。パレスチナもこの飢饉で悲惨な状況に陥った(使徒行伝一一・二八参照)。地震も多い時期であったようである(この時期よりすこし後のことになるが、七九年には有名なヴェスヴィウス火山の噴火があり、ポンペイ市が埋没している。)
 終りの日が近いことを確信し、旧約の預言書やユダヤ教の黙示文書を熱心に読んでいた信徒たちは、このような偽メシアによる宗教的動揺、内乱や戦争という社会の混乱、飢饉や地震などの自然災害の多い時期に遭遇して、時代の状況が予言どおりになっていると感じ、いよいよその日が迫っていると考えたことであろう。預言者は「わたしは剣と、飢饉と、疫病によって、彼らを滅ぼし尽くす」(エレミヤ二一・七ほか)と語り、黙示家は「戦いを免れた者はみな地震で死ぬであろう。地震を免れた者は火で焼かれるであろう。火を免れた者は飢餓で命を落とすであろう」(シリア語バルク書七〇・八)と語っているではないか。今その通りに、偽メシアが現われ、剣が民を追い、飢饉や地震が地を満たし、義人は迫害者の手に引き渡され、人の世は荒廃している。これらの出来事は終りの日の前兆ではないか。これらのことが起こっている以上、イエスが語られた「人の子が現われる日」はすぐに来るはずである。

まだ終わりではない

 ところが、この段落の構造をよく見ると、マルコはこのような終末待望をいましめるような書き方をしている。まず、偽メシアの出現や戦争のことを取り上げ、「そのようなことは必ず起こる」と言っているが、すぐに続けて「まだ終りではない」と断言している(七節)。このような出来事は起こるにきまっているが、それを前兆としてただちに終りの日に結びつけることはしてはいけない、というのである。
 続いて、「民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に地震が起こり、飢饉がある」と、騒乱や災害の苦しみを挙げた後、「これらは産みの苦しみの始まりである」と言っている(八節)。「産みの苦しみ」というのは黙示録の世界の用語で、新しい世界やそれをもたらすメシアを産み落とす前に神の民や世界が体験する苦悩を意味していた(ミカ四・九〜一〇、黙示録一二・二参照)。世の騒乱や災害はその「産みの苦しみ」であって、それが満ちたいま、月満ちた女が子を産むように、「人の子の日」が世に臨むのだと考える人々に対して、マルコは、たしかにそれは「産みの苦しみ」ではあるが、その日が満ちたのではない、始まりなのだ、これから世界は「産みの苦しみ」の時期に入るのだ、と言うのである。
 さらに、終りの日が迫ると義人がこの世の支配者から迫害されるという黙示文書の予言が取り上げられる(第四エズラ一六・七一〜七三など)。「あなたがたは自分のことに気をつけていなさい。あなたがたはわたしのために法院に引き渡され、会堂で鞭打たれ、長官や王たちの前に立たせられ、彼らに証しをすることになる」(九節)。法院と会堂はユダヤ教の用語であり、長官と王はローマの支配体制を指している。したがってこの節は、イエスを信じる者がユダヤ教とローマ支配権力の両方から迫害されることを語っていることになる。ここの「法院」は複数形で、小事件を扱う地方の裁判所を指す。「会堂」は地域の宗教生活の中心であるだけでなく裁判権も持っており、律法に違反する者や異端の疑いのある者は会堂で裁かれ、鞭打ちなどの刑を受けた。「長官」は属州のローマ総督を指し、「王」はヘロデ・アンティパスのようなローマの威光で支配権を与えられている王を指す。イエスご自身もユダヤ教の最高法院で裁かれ、ローマ総督の法廷で死刑を宣告された。終りの時に臨む信徒たちも、ユダヤ教側からは神の律法を冒?する者として、ローマの支配体制からは反乱の危険のあるメシア主義者として、法廷に「連れて行って引き渡される」であろう。
 そこがイエスがキリストであるという真理を身をもって証言する場となる。時にはその証しのために命を捨てることにもなる。それで、「証しをする」というギリシア語は、後には「殉教する」という意味で用いられるようになる。イエスはご自身に起こったことから、従う者にも起こらざるをえないことを予見して、弟子たちを励まされる。「人々があなたがたを連れて行って引き渡すとき、何を言おうかと、前もって心配するな。その時に与えられることを語るがよい。語る者はあなたがたではなく、聖霊だからである」(一一節)。
 イエスの言葉の伝承では、この一一節は本来九節に直接続いていたはずである。そのことは、マタイ(一〇・一九〜二〇)とルカ(一二・一一〜一二)が用いている共通の語録資料からも明らかである。しかもマタイとルカでは、このお言葉が別の場面で用いられている。たとえばマタイでは、「引き渡されたときは、何をどう言おうかと心配してはならない。そのときには、言うべきことは教えられる。実は、話すのはあなたがたではなく、あなたがたの中で語ってくださる、父の霊である」というお言葉が、弟子たちを宣教に派遣する場面で用いられている。
 ところが、マルコはこのお言葉を終りの日についてのイエスの遺訓の中に用いて、その中に「こうして、まず福音がすべての民に宣べ伝えられねばならない」(一〇節)という句を入れる。それによってマルコはこう言おうとしているのである。たしかに終りの日が来る前に、このように法廷で身をもって「証しをする」ことが起こるであろうが、そのことをもって直ちに終りの日の前兆としてはならない。人の子が現れる日の前に、「まず」そのような形での証しによって福音が全世界に宣べ伝えられる期間が来なければならない、というのである。ここでも、このような迫害という出来事を直ちに終りの日の前兆とする態度がいましめられていることが分かる。
 最後に、終りの日には親子兄弟というような基本的な人倫関係が崩れるという黙示思想が取り上げられる。黙示文書には終りの時について、「その時代には子が父や年長者たちを・・・・糾弾するであろう」(ヨベル書二三・一六)とか、「人はわが子、わが孫ですら平気であやめ、罪人は敬愛する自分の兄弟をすら平気であやめ、明け方から日暮れ時まで殺しあいがつづくであろう」(エチオピア語エノク書一〇〇・二)というような予言がしばしば語られていた。イエスも預言書(ミカ七・六)を引用して、「自分の家族の者が敵となる」と言っておられる(マタイ一〇・三六)。このお言葉は本来イエスに従う者の十字架を指し示すものであるが、これが黙示思想的な背景の中で、終りの時の信徒の迫害に関連して理解されるようになり、ここに引用される。「兄弟は兄弟を、父は子を死罪にするために引き渡し、子は親に逆らって立ち、死に至らせる」(一二節)。こうして「あなたがたはわたしの名のために、すべての人に憎まれる」ことになる。けれども、このような現象を直ちに終りの日の前兆として、その日の到来を今日明日に期待してはならない。「しかし、終りまで耐え忍ぶ者は救われる」(一三節)。
 「しかし」という小辞が、終りの日が何時であろうとも、その日までどのように長い期間があろうとも、という含意を示唆している。その時を耐え忍ぶ者が救われるのである。これが、前兆を問題にするこの段落の結論である。(なお、一三節の「終りまで」を「苦難の最後の段階、すなわち殉教の死にいたるまで」と理解する解釈もあるが、この段落全体の主張からすると、「どのように長い期間であろうとも最後まで」と時間的な意味で理解する方が適切であろう。もちろん「殉教の死にいたるまで」という意味を排除するものではない。)

パルーシア遅延の問題

 こうして見てくると、この段落はたしかに終りの日の前兆のことを扱っているが、それはこのような歴史上の出来事や自然界の災害を前兆として挙げて終末が近いことを強調するためではなく、むしろ、そのような現象を前兆として直ちに終りの日の到来に結びつける態度をいましめるためであることが分かる。
 マルコがこのような形でイエスの言葉をまとめたのは、当時の教団が「パルーシア(来臨)の遅延」という問題に直面していたことが背景にあると考えられる。当時の信徒たちが熱心に待ち望んでいたキリストのパルーシアはなかなか実現せず、状況はますます困難になるばかりであった。そこで、預言書や黙示文書に親しんでいる教団の中から、ここで見たような騒乱や戦争、地震や飢饉、迫害や裁判などの出来事をパルーシアの前兆として受け取り、人の子が現れる日がいよいよ近いことを唱える人々が出てきたのであろう。そのような受け取り方を、マルコは真の終末待望を危険に陥れる誤った態度としていましめるのである。
 そのような個々の外の出来事を前兆として直接パルーシアに結びつけることは、パルーシアの場所や日付を特定しようとする態度であって、「神の国は、見える形で来るのではない。『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない」とか、「稲妻がひらめいて、大空の端から端へと輝くように、人の子もその日に現れる」とか、「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない」と言われたイエスの基本的な態度に反するものである。この誤りは初代から現代までの教会史で数えられないほど繰り返され、その度に挫折してきたものである。
 マルコは、新しい世が到来する前に世界は苦難の時代を迎えるという黙示録的信仰そのものは否定していない。世界の苦難について「そのようなことは必ず起こる」と言い、それを「産みの苦しみ」であるとしている。ただ、個々の出来事を前兆としてパルーシアの日付を問題にする人間の焦りをいましめるのである。