市川喜一著作集 > 第4巻 マルコ福音書講解U > 第7講

66 皇帝に納める税  12章 13〜17節


 13 それから、彼らはパリサイ派とヘロデ派の者たちを数人イエスのところに送りこんで、言葉じりをとらえて陥れようとした。 14 彼らは来て、イエスに言った、「先生、あなたが真実な方で、誰をもはばかられないことを、わたしたちは知っています。あなたは人を分け隔てせず、真実をもって神の道を教えておられるからです。ところで、皇帝に税を納めるのは、律法にかなっているでしょうか、それとも違反しているでしょうか。納めましょうか、それとも納めないでおきましょうか」。 15 イエスは彼らのたくらみを見抜いて言われた、「なぜ、わたしを試そうとするのか。デナリ銀貨をもってきて見せなさい」。 16 そこで彼らがそれをもってくると、「これは誰の肖像か、また誰の銘か」と言われた。彼らが「皇帝のです」と言うと、17 イエスは彼らに言われた、「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」。人々はイエスに驚嘆した。

 「祭司長たち、律法学者たち、長老たち」は、神殿でその壊滅を予言する激しい象徴行為をしたり、彼らに面と向かって殺意をあばくような譬を語られるイエスに対して、手を下すことができなかった。それは、群衆を恐れたからであった。群衆は洗礼者ヨハネやイエスを本当に神から遣わされた預言者であると信じていたので、群衆の面前でイエスを捕らえるようなことをすれば、騒乱は避けられない情勢であった。彼らが代表する最高法院は、群衆の騒乱を最も恐れていた。騒乱という事態になれば、ローマの支配下でかろうじて維持している彼らの権力も取り上げられる危険がある。群衆に支持されているイエスを除くには、ローマの力によるほかはない。彼らはローマの権力に訴えることができる口実を得るために、イエスの言葉じりをとらえる策略をめぐらせる。
 彼らはファリサイ派とヘロデ派の論客を数人イエスのところに送りこむ。送りこまれた論客は、あくまで律法の解釈をめぐる律法の教師たちの間の議論という形をとって、イエスの言葉を群衆の面前で引き出そうとする。彼らはまず、「先生」と丁寧に呼びかける。ここで用いられている「先生《ディダスカロス》」という用語は、ユダヤ教の律法の教師を指す「ラビ」に相当する(ヨハネ一・三八参照)。イエスはラビになるための正式の教育を受けておられないが、地上での働きの期間、その権威ある教えの質と、実際に弟子たちの集団を指導される立場から、弟子たちからはもちろん、周囲の人々からもラビとして扱われ、そう呼びかけられていた。ここでは、イエスのそういう立場を逆手にとって、イエスが群衆の面前で律法の解釈について明確な言葉で答えなければならないように仕向けるのである。
 彼らは「先生、あなたが真実な方で、誰をもはばかられないことを、わたしたちは知っています。あなたは人を分け隔てせず、真実をもって神の道を教えておられるからです」と言って、そのようなラビである以上、状況を顧慮しないではっきりと答えなければならないぞ、という圧力をかけているのである。
 彼らが持ち出す律法の問題は、「皇帝に税を納めるのは、律法にかなっているでしょうか、それとも違反しているでしょうか」という問題である。そして、これはたんに律法の解釈についての意見ではなく、きわめて実際的な問題であることを思い起こさせる問いが続く。実際問題として、わたしたちは税を「納めましょうか、それとも納めないでおきましょうか」という差し迫った問題である。

熱心党と税

 ここで「税」と訳した《ケーンソス》は、紀元六年にユダヤがローマの直轄地になって以来、属州の民として課せられた直接税で、人頭税と土地税とがあった(税についてはマルコ福音書講解T 22「取税人レビが召される」を参照のこと)。この税を納めることは、ローマ皇帝に税を納めることになる。ローマ皇帝に税を納めるという行為は、皇帝の支配を認める行為である。普通これは政治問題である。しかし、ユダヤ人にとっては、これは信仰の問題、宗教問題なのである。
 この税に対して宗教上の理由からユダヤ人の中の一派が強い抵抗運動を起こした。それは律法の順守に熱心なファリサイ派の中から起こった。ファリサイ派は当時のユダヤ教諸派の中でも、律法を守ることに熱心な主流派であったが、イエスの時代には積極的な政治活動を否定していた。しかし、その中で特に律法に熱心な一部の者たちは、皇帝に税を納めることは、異教の皇帝を主《キュリオス》として、その支配の下に身を置くことであり、神のみを崇めることを命じている第一戒に背き、神の支配を否定することであると考えた。そして、未来のメシアによる救済を忍耐深く待ち望み、内面では異教徒の支配を嫌いながらも積極的な政治行動から遠ざかっているファリサイ派主流と訣別して、武力をもってでもローマの支配を覆し、神の支配を実現しようとした。彼らは「熱心党」《ゼーロータイ》と呼ばれた。
 彼らの律法への熱心は、異教徒のローマ人による支配に反発していた民衆の共感を呼び、多くの人々がこの運動に投じた。イエスが活動される少し前ころから、この運動の創始者ガリラヤのユダをはじめ、多くのメシア的預言者が現れ、「多数の民衆を率いて反乱を起こした」(使徒五・三六〜三七)。彼らはユダの山岳地帯にたてこもり、優勢なローマ軍に対して捨身のゲリラ戦を挑み、ローマ軍は彼らを反乱軍として容赦なく鎮圧した。しかし、彼らの反ローマ武力行動は次第に全国民を巻き込み、ついにローマ軍とユダヤ人との全面的な戦争に発展する(ユダヤ戦争)。そして、それはエルサレムの壊滅(七〇年)、全ユダヤ人の追放(一三五年)という悲劇的な結末を迎えることになる。
 「皇帝に税を納めるのは、律法にかなっているでしょうか、それとも違反しているでしょうか」という質問は、このような背景で見るとき、きわめて重大な意味があることが分かる。この質問はイエスに、民衆を指導する律法の教師として、ローマの支配に対してどういう立場をとるのか、態度表明を迫っているのである。もしイエスが、「皇帝に税を納めることは律法に違反している」と答えるならば、民衆にローマへの反乱を扇動する者として訴えることができる。もし、「律法にかなっている」という答えであれば、当時かなり熱心党の主張に傾斜している民衆の支持を失わせることができる。この質問にはこのような罠が仕掛けられている。
 ここで、この税についての論争にファリサイ派とヘロデ派の論客が送り込まれたことの意味が問題になる。ファリサイ派は政治的にはローマの支配に服すべきであるとして、「皇帝に税を納めることは律法にかなっている」としていた。「ヘロデ派」とはどのような性質の党派なのか正確には分かっていない。おそらく、イエスの時代のガリラヤの領主ヘロデ・アンテパスの政治的手先となった人々であろう。そうであれば、税を納めることは当然と考えている人々である。このヘロデは洗礼者ヨハネを捕らえて処刑し、イエスの活動にも疑惑の目を向けていた領主である。それは彼の領地ガリラヤが反ローマ的なメシア運動の舞台となり、政治的に不穏な動きが絶えなかったからである。
 もし反ローマ騒乱が起これば、ローマの承認によって成り立っている彼の権力は崩壊する危険がある。騒乱の芽はできるだけ早く摘みとらねばならない。ヨハネを処刑して一つの芽を摘みとったヘロデは、イエスの運動にもこの危険を感じて、その手先を通してはやくからファリサイ派の者たちと手を組み、イエスを殺そうと企んでいた(マルコ三・六)。イエスも、神の真理には無感覚で自己の権力保持だけを大切にするヘロデの姿勢を警戒するように戒めらておられる(マルコ八・一五)。
 最高法院が税の問題を論争させるのに、税の問題では熱心党に対立しているファリサイ派とヘロデ派の論客を送り込んだのは、普段この両派と厳しく対立しているイエスを熱心党よりの立場に追込み、「皇帝に税を納めることは律法に違反する」という発言を引き出すたくらみであったと考えられる。彼らがイエスからこの発言を引き出したいと願っていたことは、彼らがピラトの法廷で、根拠もないのに「この男はわが民族を惑わし、皇帝に税を納めるのを禁じ、また、自分が王たるメシアだと言っていることが分かりました」(ルカ二三・二)と訴えたと伝えられていることからも推察される。

皇帝のものと神のもの

 彼らのたくらみを見抜かれたイエスは、当時のローマ帝国の通貨であるデナリオン銀貨をもってこさせて、「これは誰の肖像か、また誰の銘か」と尋ねられる。古代の通貨には支配者の肖像や名が刻まれているのが普通であった。通貨の肖像や銘は支配権の象徴であった。このデナリオン銀貨には皇帝の像と、「神的アウグストゥスの子、皇帝にして大祭司なるティベリウス」という銘が刻まれていた。
 彼らが「皇帝のです」と答えると、イエスはすかさず「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」と喝破される。それを聞いた民衆は、イエスの見事な答えに驚嘆し、イエスへの共感と支持を表明した。民衆の前での論戦には勝負がついた。それ以上のことは福音書の記事には何も報告されていないが、最高法院から送りこまれた論客たちは、イエスからローマ当局に訴える口実も引き出せず、ますますイエスへの支持を高める民衆の前から退散したのであろう。
 この場面における「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」というイエスの言葉は、政治権力の支配下に生きる世々の神の民にとって基本的な指針となった。政治権力の支配下にない時代はないのであるから、いつの時代にも「神の支配」の下にある神の民は、地上の政治的支配に対してどういう態度で生きるかが問題となる。
 あらゆる政治的世界の行為、たとえばある政党に投票するという行為や税を納めるというような行為を、それが「律法にかなっているかどうか」という観点から判断しようとすると、律法(宗教)に対する立場や解釈の相違から、さまざまな異なった判断が生じ、しかもそれが宗教的確信によって絶対化されるため、解消しえない対立と争いが出て来る。イエスの時代に、異教の皇帝に税を納めることを「律法にかなっているかどうか」という形で問題にしたことは、律法順守がすべてになっていた当時のユダヤ教においては当然のことであったが、そのような問いの立てかた自体が根本的に間違っているのである。これまでも他の問題について、すべてを「律法にかなっているかどうか」という観点から見るユダヤ教を、イエスが厳しく批判し、乗り越えておられることを見てきた。
 この場合も、イエスは「それは律法にかなっている」とか「それは律法に違反している」というような答えはされない。そういう答えをすることは、自ら質問者と同じ律法の立場に立つことになる。イエスは全然別の立場、観点から問題を捉えて答えられる。それは人間の現実という観点である。イエスがデナリオン銀貨を持ってこさせられたのも、現在人々が生きている現実を指し示すためである。
 その銀貨に刻まれている肖像と銘は、それが皇帝のものであることを示している。当時の人々がその銀貨を使って生活しているという事実は、ローマ皇帝の支配によって維持されている秩序の中で生活が成り立っているということである。その意味で、この銀貨は皇帝のものであると言える。その皇帝が銀貨の一部を税として要求したときは、税を納めるという形で皇帝に返すのは当然である。それが人間の現実である。それはある特定の宗教の規定(ここではユダヤ教の律法)で肯定したり否定したりする性質の事柄ではない。イエスはこの立場から、「皇帝のものは皇帝に返しなさい」と言われるのである。
 しかし、人間には政治的世界に生きているという現実よりさらに重要な現実がある。それは神との関わりの中に生きているという現実である。人間は神によって存在を与えられている被造者であり、その全生涯のあり方について神に答えなければならない責任をもつ存在である。その意味で、人間の全存在が神のものである。わたしが所有しているものの一部が神のものであるというのではなく、わたしの存在そのものが神のものである。銀貨にその所有者である皇帝の像が刻まれているように、人間には神の像が刻まれている。「神のものは神に返しなさい」というのは、自分の持ち物の一部を供儀として神に捧げることではなく、自分自身を神に捧げ、自分の全存在を神の御心に委ねることである。そうすると、「皇帝のもの」というのは自分の持ち物の一部であるのに対して、「神のもの」というのは自分自身であるから、両者は次元の異なる領域であることが分かる。「神のものは神に返す」という人間の根源的な在り方の中で、人間生活の一部の領域として「皇帝のものは皇帝に返す」ことが求められているのである。

 こういうわけで、イエスの言葉は、人間の生活の中に「皇帝のもの」(政治や経済)と「神のもの」(宗教)という、全然別の対等な二つの領域があることを認めて、それぞれの領域でそれぞれの支配者に従うことを求めているのではない。そのように理解して、この言葉が信徒や教団が直視しなければならない地上の問題から逃避するための口実にされるということが、教会史においてしばしば起こったのも事実である。イエスの言葉は、人間が神に従い、神と共に生きるという根源的な在り方の中で、政治や経済、学問や芸術というそれぞれの領域で、その領域の現実と法則に従うように求めているのである。熱心党の人々(ゼーロータイ)は、神に従うとはあらゆる領域で律法を徹底的に守ることだとして、律法という一種の理念によって政治的領域の現実を無視したため、破滅したのである。宗教的熱心はともすればこのような誤りに陥りやすい。初代教団がその霊的高揚の中で、宗教的動機から発する反ローマの政治的動乱(ユダヤ戦争)に巻き込まれることなく存続することができたのは、イエスのこの言葉があったからである。また、使徒パウロも教団に対して、キリストに全存在を捧げて従うことを求める中で、地上の権力者に従うことを勧めている(ロマ一三・一〜七)。これもイエスの言葉の線に沿うものである。
 しかし、皇帝が「皇帝のもの」以上のものを求めた時には、「神のものは神に返す」という信仰の原理から、その要求をきっぱり拒まなければならないことがある。たとえば、皇帝が自分を神として拝むことを求めた時、信徒はこの要求に屈することはできない。どこまでが「皇帝のもの」かについては、意見の相違がありうる。そのため国家と教会の関係は実に複雑な歴史をたどることになる。国家と教会の関係について、ここでその歴史や思想を概観することもできないが、その源泉にイエスのこの言葉があることは指摘しておくことが必要であろう。「皇帝のものは皇帝に返せ」だけでは、国家権力の専制に対する歯止めがなく、国家権力の絶対化、神格化に陥るであろう。「神のものは神に返せ」だけでは、熱心党の誤りや神政政治(祭政一致)の誤りに陥るであろう。両者が同時に語られねばならない。「神のものは神に返す」ことが、「皇帝のものは皇帝に返す」という現実を包み込み、また、「皇帝のものは皇帝に返す」ことが、「神のものは神に返す」という原理で根拠づけられると同時に限界づけられるような関係、これが民主的な国家形態を成立させる根底ではなかろうか。