市川喜一著作集 > 第4巻 マルコ福音書講解U > 第5講

64 イエスの権威  11章 27〜33節 

 27 一行はまたエルサレムに来た。イエスが神殿の中を歩いておられると、祭司長たち、律法学者たち、長老たちがやって来て、28 こう言った。「何の権威で、このようなことをするのか。それとも、誰がこのようなことをする権威をあなたに授けたのか」。 29 そこでイエスは彼らに言われた、「わたしも一つだけ尋ねよう。わたしに答えなさい。そうすれば、何の権威でこのようなことをするのか、あなたがたに話そう。 30 ヨハネのバプテスマは天からのものか、それとも人からのものか。わたしに答えなさい」。 31 すると、彼らは互いに論じて言った、「もし天からだと言えば、なぜ彼を信じなかったのかと言うだろう。 32 それとも、人からだと言おうか」。彼らは群衆を恐れていた。人々はみなほんとうに、ヨハネを預言者であると思っていたからである。 33 そこで、彼らはイエスに答えて、「わたしたちは知らない」と言った。すると、イエスは彼らに言われた、「では、何の権威でこのようなことをするのか、わたしも言うまい」。

宗教権威との対決

 エルサレムに入られてからのイエスの活動は神殿を舞台にしている。激しい神殿粛清の行為によって、祭司長たちや律法学者たちのイエスに対する敵意は一挙に高まり、イエスを殺そうとする謀議が進むのであるが(一一・一八)、それにもかかわらずイエスはあえて神殿に入って行かれる(二七節)。神殿はイスラエルの魂が表現される舞台である。この場所でイエスは彼らの宗教の代表者たちと対決される。イスラエルの歴史を成就する者は、最後にはどうしても、イスラエル宗教の権化ともいうべき神殿に現れ、神殿と対決しなければならない。このイエスの権威についての論争は、十二章のイエスとユダヤ教代表者たちとの論戦を導入する位置にある。この部分(一一・二七〜一二・四四)は「最後の論戦」という標題でまとめられるが、その内容は本来別々の独立した伝承であったかもしれない。しかし、マルコはそれらの伝承を素材として、その歴史の最後に神殿に現れて対決する預言者であり神の子である方の顕現の物語を書き記すのである。イスラエルは救済者が神殿に顕現することを待ち望んでいたが(マラキ三・一)、それはこのような対決の形で実現したのである。そして、この対決はイエスの神殿崩壊の予言(一三・一〜二)をもって締めくくられる。
 神殿でイエスのところにやって来て詰問した人々は、「祭司長たち、律法学者たち、長老たち」と表現されている(二七節)。この三つのグループは最高法院(サンヘドリン)を構成するグループである。「祭司長たち、律法学者たち、長老たち」がイエスの権威を問題にしたということは、ユダヤ教を公式に代表する最高法院がここでイエスと対決していることを意味している。彼らは「このようなことをする」イエスの権威とその出所を問題にして、「何の権威で、このようなことをするのか。それとも、誰がこのようなことをする権威をあなたに授けたのか」と詰問する(二八節)。「このようなことをする」というのは、直接にはイエスの神殿粛清の行為を指していると見ることができる。しかし、これがもともと独立の伝承であるならば、「このようなことをする」というのはイエスの宣教活動全体を指している可能性がある。さらに、この「最後の論戦」がイエスとユダヤ教の最終的な対決を描こうとしているのであれば、イエスの宣教活動全体が問題にされていると理解する方が適切であろう。(新共同訳は「このようなことをしているのか」と訳して、継続的な活動を示唆している。)
 事実、最高法院に代表されるユダヤ教側はずっとイエスの活動について、その権威を問題にしてきたのである。正式のラビでないイエスが、ユダヤ教の神聖な伝統である「昔の人の言伝え(ハラカ)」を否定したり(マルコ七・一〜二三)、モーセの律法を律法学者を超える解釈をして民衆に教えたりする(マタイ五・二一〜四八)ことは問題であった。さらに、最も聖なる律法である安息日の定めを破って行動したり、神だけのものである「罪を赦す権威」を行使される(マルコ二・一〜一二)にいたっては、もはや放置できない問題であった。また、イエスが悪霊を追い出し病人を癒される時、それを悪霊の頭の力によるものとし、神からの権威によるものとは認めなかった(マルコ三・二二)。言葉には出ていないが、彼らはこのような場面で、イエスに対していつも「何の権威で、このようなことをするのか。それとも、誰がこのようなことをする権威をあなたに授けたのか」と詰問していたのである。その問いが、神殿粛清をきっかけにして、決定的な形で(最後通牒として)神殿という公式の場で、民衆の前でイエスに突きつけられるのである。

ヨハネの権威とイエスの権威

 この詰問に対してイエスは一つの問いをもって答えられる。「わたしも一つだけ尋ねよう。わたしに答えなさい。そうすれば、何の権威でこのようなことをするのか、あなたがたに話そう。ヨハネのバプテスマは天からのものか、それとも人からのものか。わたしに答えなさい」(二九〜三〇節)。これは問題点をすり替えて逃げるための問いではなく、その問いが出て来る立場の矛盾を衝いて、彼らの詰問を無力なものにしてしまう逆襲の問いである。
 ヨハネのバプテスマ運動はこの時代のイスラエルにとって最大の衝撃であった。荒野で神の支配の切迫と罪の赦しを叫ぶヨハネの声に、イスラエルの民は長らく途絶えていた預言者の声が響きわたるのを聴いたのであった。エルサレムとユダヤ全土から、また、ヨルダン川沿いの地方一帯から、さらにガリラヤからもぞくぞくと人々はヨハネのもとに来て、ヨルダン川でバプテスマを受けた。イエスもヨハネの宣教に神の呼びかけの声を聞き、ガリラヤから出てきてヨハネからバプテスマを受け、彼の運動に身を投じられたのであった。ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤに戻り、ヨハネを超える独自の宣教活動を開始される。このようにイエスの福音はヨハネのバプテスマから始まると言うことができる。
 このヨハネのバプテスマ活動に対してサンヘドリンは批判的であった。使者を遣して、「あなたはメシアでも、エリヤでも、またあの預言者でもないのに、なぜバプテスマを授けるのか」と、彼の権威の出所を問題にしている(ヨハネ一・二五)。民衆はヨハネの宣教に神からの霊的権威を直感して、その呼び声に応えたのであるが、「祭司長たち、律法学者たち、長老たち」は自分たちの神学によってヨハネを判断し、自分たちの祭儀制や組織に基づく人間的権威を危うくする運動として危険視したのである。イエスの反対質問は、そのように判断した彼らの権威の拠り所そのものを衝くのである。
 彼らはイエスから「わたしに答えなさい」と迫られて、答えに窮してしまう。彼らは互いに論じて言った、「もし天からだと言えば、なぜ彼を信じなかったのかと言うだろう。それとも、人からだと言おうか」。彼らはヨハネを信じなかった。すなわち、彼のバプテスマ宣教を神から出たものと認めなかった。彼らはそれを、自分たちの権威に背くゆえに、人間的な誤りから出たものと判断していたのである。しかし、彼らは民衆の前でそれを公言することはできなかった。「彼らは群衆を恐れていた」からである。「人々はみなほんとうに、ヨハネを預言者であると思っていた」、すなわちヨハネの宣教を「天から」の呼び声であると認めていたのである。もし、彼らがヨハネのバプテスマを「人からのもの」と公言すれば、民衆の激しい反発を受けるのは必至である。そこで、彼らはイエスに答えて、「わたしたちは知らない」と言った。ヨハネのバプテスマを「天から」のものと信じていないのに、民衆の反発を恐れてそれを公言できない彼らの態度に、彼らの権威が「人から」のものであることが露呈している。
 すると、イエスは彼らに言われた、「では、何の権威でこのようなことをするのか、わたしも言うまい」。イエスの権威は、ヨハネの権威と同じく、直接神から与えられた霊的権威である。自分たちの神学と人間的権威に固執して、ヨハネの権威を認めることができない者たちに、イエスはご自分の権威について語ることを拒否される。イエスの権威は人間的な根拠に基づくものではないから、人間的な論理で説明できるものではない。ヨハネの権威を民衆は直感的に認めてバプテスマを受けたように、イエスの権威はその力ある言葉と業にひれ伏す者だけが認めうる霊的な質のものである。
民衆はそのようにイエスの権威を認めた。会堂でイエスの教えを聞いたとき、「人々はその教えに非常に驚いた。律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである」(マルコ一・二二)。悪霊が追い出されたとき、人々は皆驚いて、論じ合った。「これはいったいどういうことなのだ。権威ある新しい教えだ。この人が汚れた霊に命じると、その言うことを聴く」(マルコ一・二七)。イエスが「人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせ」るために、足の萎えた人を立ち上がらせたとき、「群衆はこれを見て恐ろしくなり、人間にこれほどの権威をゆだねられた神を賛美した」(マタイ九・六、八)。みずから権威の下にあって権威とは何かを知っていたローマの軍人は、イエスの言葉の神的権威を認めた(マタイ八・八〜一〇)。このようにイエスの権威を全存在をもってひれ伏して認めることが信仰である。信仰はイエスの権威の根拠を問うことはしない。不信仰がそれを問うのである。
 パウロも批判者たちから使徒としての権威ないし資格を問題にされたとき、「人々からでもなく、人を通してでもなく、イエス・キリストと、キリストを死者の中から復活させた父である神とによって使徒とされたパウロ」と言っている(ガラテヤ一・一)。師の権威でもなく、制度的教団から認可された資格でもなく、あのダマスコ体験において出会った復活のキリストから直接与えられた使命が、パウロの使徒としての権威の源泉である。
 イエスの場合も、ヨルダン川でヨハネからバプテスマを受けられたとき、イエスの上に降った聖霊が力の源泉であり、その聖霊によって啓示された父を世に示す使命が権威の源泉である。これは一切の人間的な資格と関わりなく神から直接与えられた権威であって、霊的体験によってのみ認めることができる霊的権威である。もし、現代神学が霊的な次元を無視して、ただ人間的な理解に基づいて聖書のテキストを分析することで、イエスの権威を理解しようとするならば、このような神学には「何の権威でこのようなことをするのか、わたしも言うまい」というイエスの言葉が返ってくるだけであろう。