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マルコ福音書 第三部 (十一章〜十六章)

       十字架を通って

                 ―― エルサレムでの受難 ――

論争の章




60 エルサレムに入る  11章 1〜11節

1 一行がエルサレムに近づき、オリーブ山のふもとにあるベテパゲとベタニヤに来た時、イエスは弟子二人を使いに出して、 2 言われた。「向こうの村へ入って行きなさい。そこに入るとすぐ、まだ誰も人が乗ったことのない子ろばがつないであるのが見つかるから、それを解いて連れてきなさい。 3 もし誰かがあなたがたに、『なぜそんなことをするのか』と言ったら、『その持ち主がお入り用なのです。またすぐに、ここにお返しになります』と言いなさい」。 4 そこで、二人は出かけて行って、戸の外の道端に子ろばがつないであるのを見つけ、それを解いた。 5 すると、そこに立っていた人たちが、「その子ろばを解いてどうするのか」と言った。 6 二人が、イエスの言われたとおり話すと、彼らは許してくれた。 7 二人が子ろばをイエスのところに引いてきて、自分たちの上着をその上にかけると、イエスはそれに乗られた。 8 大勢の者たちが自分の上着を道に敷き、他の者たちは野原から切ってきた木の枝を敷いた。 9 そして、前に行く者も後に従う者も叫びつづけた。  「ホサナ! 主の御名によって来られる方に祝福あれ。 10 今きたる、われらの父ダビデの国に祝福あれ。   いと高き所にホサナ!」  11 こうして、イエスはエルサレムに入り、神殿に入られた。そして、全部を見てまわられた後、時もすでにおそくなっていたので、十二人を連れてベタニヤに出て行かれた。。

受難物語

 マルコ福音書はここから、エルサレムでの受難を語る第三部に入る。もともとマルコは福音書を、何の区分も設けず、一連の物語として書いている。しかし内容から見ると、大きな三つの区分が認められる。すなわち、ガリラヤで広く民衆に「神の国」を宣べ伝える宣教活動の時期、エルサレムへ向かう旅の途上で弟子たちだけに「人の子」の奥義を教えられる時期、そして、エルサレムでの論争と十字架にいたる受難の一週間の時期の三つの区分である。この区分はかならずしもイエスの生涯の伝記的区分に基づくものではない。ヨハネ福音書はイエスのエルサレム上りを三回報告している。イエスの生涯の事実として、エルサレム上りは、マルコが語るように最後の一回だけであったのか、ヨハネが報告するように三回であったのか、確定することはできない。マルコがこのような構成で福音書を書いたのは、あくまでも福音を提示するさいのマルコの意図とか構想に基づくものである。
 では、マルコの意図はどのようなものであるのか。福音書の構成から見ると、マルコはイエスの十字架を福音の頂点ないし核心として、福音を提示しようとしていると言える。すでにマルコ以前の福音宣教において、イエスの死の意義が福音の基本的内容として告白されていた(コリントT一五・三〜五)。それに伴って、十字架にいたるイエスの受難の出来事は、事細かに語り伝えられて、「受難物語」が形成されていた。(この「受難物語」伝承がどの物語までを含んでいたのかという範囲の問題や、はたしてそれが文書になっていたのかどうかという問題は、いまだに争われていて決着していない。)
 マルコが、すでにある程度確立していた「受難物語」伝承を自分の福音書に用いたのは確かであるが、マルコの功績ないし独自性は、神の子の顕現としてのイエスの生涯を十字架に集中して語り、それを福音として世界に提示している点にある。わずか一週間のエルサレムでの受難の出来事を語る第三部が全体の三分の一を占めるという分量の問題だけでなく、福音書全体が、十字架を頂点として、十字架に向かって構成されている。すでに見たように、エルサレムに向かう旅を語る第二部においては、イエスが受難を予告されるという形で十字架の福音が語られ、この部分全体がイエスの受難の背景と意義を語っている。そして、ガリラヤでの宣教活動を語る第一部においてさえ、すでに十字架が指し示されているのである(三・六)。マルコ福音書を「詳しい序文つきの受難物語」とする見方は正当であると言える。たしかに、マルコはナザレのイエスを、復活された神の子キリストの顕現として示そうとしている。しかし、その顕現は深く隠された形での顕現である。マルコは、十字架の刑死という最も卑しい姿に隠されて、神の子がこの世界に来ておられることを語り、それを福音として提示するのである(一五・三九)。

ろばの子に乗る王

 さて、イエスはいよいよエルサレムに入られる。「一行がエルサレムに近づき、オリーブ山のふもとにあるベトファゲとベタニアに来た時」、イエスは都に入る準備をされる。ベタニアはエルサレムの東三キロほどのところにあり、ベトファゲはベタニアよりさらにエルサレムよりの位置にある。イエスの一行がエリコを通って東からエルサレムに近づいたのであれば、まずベタニアを通ってベトファゲに近づくことになる。ここでマルコがベトファゲを先にあげているのは、行程についての印象に混乱を招く。マタイ(二一・一)はベトファゲだけをあげて、そこで子ろばを準備させられたとしている。
 ここでイエスがエルサレム入りの準備としてなされたことは、意表外のことであった。イエスは弟子二人を使いに出して、「まだ誰も人が乗ったことのない子ろば」を連れてくるように言われる。子ろばに乗ってエルサレムに入ろうというのである。マタイは、これを預言者ゼカリヤの「見よ、お前の王がお前のところにおいでになる、柔和な方で、ろばに乗り、荷を負うろばの子、子ろばに乗って」(ゼカリヤ九・九)という言葉の成就であるとしている。マルコはこの預言について全然ふれていないが、イエスがこのような形の準備を無意味にされたのでない以上、イエスご自身がゼカリヤの預言を意識してこのような準備をされたことが十分考えられ(ろばがメシアとの関連で出てくるのは預言書中でここだけである)、マタイの解釈は的を射ていると言わなければならない。たしかにイエスは王としてイスラエルの民の都に入ろうとされている。
 「まだ誰も人が乗ったことのない」という描写は、王が乗るものとしてふさわしいという意味であろうが、確実には分からない。マタイはこの描写を省いている。しかし、その王は民が期待し、ユダヤ教の神学が描いていたような王ではない。民の上に立って権力をふるい、力をもって支配する者ではなく、「柔和な方」であり、「荷を負うろばの子」のようにみずから民の重荷を負って苦しみを受ける王である。マルコはゼカリヤの預言には触れず、ろばの子に乗って都に入られるイエスの行為だけを描いて、その意義の理解を読者に委ねている。
 ここでイエスは使いに出す弟子たちに、「もし誰かがあなたがたに、『なぜそんなことをするのか』と言ったら、『その持ち主がお入り用なのです。またすぐに、ここにお返しになります』と言いなさい」と命じておられる。ここで「持ち主」と訳した語の原語は《キュリオス》である。この語は、使徒たちの宣教において復活されたイエスの称号として用いられ、「主」と訳されている。福音は「主《キュリオス》イエス・キリスト」を宣べ伝える。たしかに新約聖書では、この《キュリオス》はほとんどみなこの意味で用いられている。しかし、この文脈で《キュリオス》をその意味に理解することはあまりにも不自然である。さらに、ここでは《キュリオス》に「それの」という所有格がついている(マタイではろばと子ろばの二頭であるから「それらの」と複数形になっている)ことからしても、この《キュリオス》は普通の(奴隷などに対する)「主人」とか「持ち主」の意味で用いられているとしなければならない。これは、いまイエスがエルサレムで苦しみを受けることによって神のご計画が最終的に成し遂げられようとしている時、その永遠のドラマの進展のために、神はいま子ろばを必要とされている。万物の主であり、その子ろばの所有者である方が、その御旨の実現のためにその子ろばを用いようとされる。「その持ち主がお入り用なのです」とはこの意味であろう。しかし、神は地上の所有者の立場を無視されるのではない。「またすぐに、ここにお返しになります」とイエスは言われる。
 そこで、二人は出かけて行って村に入ると、イエスが言われたとおり、戸の外の道端に子ろばがつないであった。彼らがそれを解いて連れていこうとすると、そこに立っていた人たちが、「その子ろばを解いてどうするのか」と言ったので、二人がイエスの言われたとおり話すと、彼らは子ろばを連れていくことを許してくれた。すべてイエスが語られた言葉どおりになっていった。その村にも隠れたイエスの同調者がいて、あらかじめ打ち合せがしてあったなどと、合理的な説明を加える必要はない。ろばの所有者が、信仰深いイスラエル人として、「その持ち主がお入り用なのです」という言葉の意味を理解したことは、十分可能である。さらに、イエスほどの霊的人物に、あらかじめ語った言葉がそのとおり成っていくという預言者的な側面があっても当然である。
 二人が子ろばをイエスのところに引いてきて、「自分たちの上着をその上にかけ」たのは、王として都に入られる自分たちの師に対する精いっぱいの敬意の表現であろう。さらに、「大勢の者たちが自分の上着を道に敷き、他の者たちは野原から切ってきた木の枝を敷いた」のは、自分たちの救済者である王の到来を迎える群衆の喜びと興奮の表現である。ヨハネ福音書(一二・一三)だけが、この「木の枝」がなつめやしの木であると伝えている。「なつめやし」というのは「しゅろの木」のことであるので、イエスのエルサレム入りの日が「しゅろの日曜日」と呼ばれることになる。しゅろの葉は仮庵の祭に救いと統一の象徴として用いられる四種の木の一つであり(レビ二三・四〇)、また、マカベヤ戦争でエルサレムの要塞が解放された時、人々はしゅろの枝をかざして歌い踊りつつ要塞に入ったと伝えられている(マカベヤ一一三・五一)。このような伝統から、ヨハネ黙示録(七・九)で、終わりの日に神の玉座の前に立つ群衆は、しゅろの枝を手に持って賛美を歌うという描写が出てくることになる。共観福音書のどれも、群衆がしゅろの枝をかざして迎えたとは言っていないが、このようなイスラエルの伝統を背景として、イエスのエルサレム入りのとき人々がしゅろの枝をかざして歓呼したという伝承が形成され、ヨハネがそれを用いたのであろう。しかし、しゅろの枝を用いなくても、群衆がイエスを自分たちの解放者として迎えた興奮は、彼らの「ホサナ」の叫びに十分表現されている。

来るべきダビデの子

 イエスを迎えた人々は「ホサナ」を叫びつづけた。「ホサナ」というのは、イスラエルの民がエルサレムへ巡礼するときに用いられたハレル歌集(詩編一一三〜一一八編)の最後の詩編一一八編の二五節に出てくる《ホーシーアンナー》(主よ、わたしたちをお救いください)が転化して、「ホーサンナ」、「ホサナ」になったもので、もともと神の最終的な救いの業を求める終末的な響きのある叫びであった。しかし、マルコがこの語を用いた時代では、日本語の「ばんざい!」のように、神の前で喜びを表す、ほとんど意味のない喚声になっていたようである。人々は「ばんざい!」を叫び続けたのである。
 さらに、彼らは「主の御名によって来られる方に祝福あれ」と叫んでいる。これも先の《ホーシーアンナ》の次の節(詩編一一八・二六)の言葉である。「主の御名によって来られる方」という表現が、そのままの形で来るべきメシアを指す句として用いられている例は預言書の中にはない。しかし、イスラエルでは約束されたメシアを《ホ・エルコメノス》(来るべき方)という名で指していたことを背景として考慮すると(マタイ一一・三参照)、詩編一一八・二六(七十人訳)の《ホ・エルコメノス》(来るべき方)を用いて叫んでいる民衆は、ここでイエスをイスラエルに約束されていたメシアの到来として歓呼して迎えていると言える。
 さらに、彼らは「今きたる、われらの父ダビデの国に祝福あれ」と続けている。「ダビデの国」の復興はイスラエルの長年の悲願であった(ソロモンの詩編一七〜一八編、とくに一七・二一、使徒行伝一・六参照)。神の民イスラエルが、ダビデに約束されていたように、彼の子孫(ダビデの子)によって異教徒の支配から解放され、その本来の栄光に達する時を、彼らは待ち望んでいた。今その時が来たのである。イスラエルの民の興奮は頂点に達していた。
 「こうして、イエスはエルサレムに入り、神殿に入られた。そして、全部を見てまわられた後、時もすでにおそくなっていたので、十二人を連れてベタニアに出て行かれた」。このように、エルサレムに入られた後の様子を、マルコはきわめて簡単に報告している。イエスは妨げられることなく神殿と都の様子を見てまわり、夕暮れになって僅かの弟子たちを連れて静かに都を出ていかれるだけである。
 これは、都に入れる前の民衆の興奮からすると、不自然に見える。マタイはこの不自然さを避けるためであろうか、マルコの記事を改訂して、こう書いている。「イエスがエルサレムに入られると、都中の者が、『いったい、これはどういう人だ』と言って騒いだ。そこで群衆は、『この方は、ガリラヤのナザレから出た預言者イエスだ』と言った」(マタイ二一・一〇〜一一)。この方が話としては自然である。しかし、自然な方が事実に近いとは限らない。むしろ、話の辻妻を合わせるために書き換えた可能性が高くなる。イエスのエルサレム入りは、「都中の者が騒いだ」というほど大げさなものではなかったのであろう(もしそうであれば、この時点でのローマ軍の介入もありえたと考えられる)。マタイがここで「群衆」と呼んでいる人々は、ガリラヤから来た巡礼者の一団で、イエスのガリラヤでの活動をよく知っていて、イエスを「ガリラヤのナザレから出た預言者」と仰いでいる人々であろう。イエスはこの比較的小規模の「群衆」に囲まれて、あまり目だたないで都に入られたと考えられる。
 いずれにせよ、イエスのエルサレム入りでもっとも印象深いのは、イエスが子ろばに乗って都に入られたという点である。これは四福音書すべてが報告している事実である。これは、むかし預言者たちが神の使信を告げるのに、壷を投げて割ったり、自分に軛をかけて歩き回ったりしたのと同じく、一つの象徴行為である。この象徴行為が何を意味しているかは、マタイが(そしてヨハネも)正当に指摘しているように、ゼカリヤの預言から理解できる。この象徴行為は、イエスは王としてご自分の都に入られるのであること、しかも力をもって支配するこの世の王とは反対に、人々の重荷を負う「柔和な方」として民のところに来てくださることを語っている。そして、この時のイエスの姿を語るだけでなく、いま復活されたキリストの真理を運ぶ者は、この子ろばのように、自分を無とする柔和な者でなければならないことを語っている。