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まえがき

 新約聖書には四つの福音書があります。四番目に置かれている「ヨハネ福音書」は、その性格が特異ですので別に扱われますが、初めの三つ、すなわち、マタイ、マルコ、ルカの三福音書は内容に並行記事が多く、性格も共通していますので、「共観福音書」と呼ばれています。その三つの福音書の中で、最初に書かれたのは「マルコ福音書」で、「マタイ福音書」と「ルカ福音書」はそれぞれ「マルコ福音書」を枠組みとして用いて、「マルコ福音書」の物語の中にそれぞれの特殊な資料を組み入れて書かれたとされています。また、「マルコ福音書」は「ヨハネ福音書」よりも先に書かれたことはほぼ確実と見られますので、四つの福音書の中では「マルコ福音書」が最初に書かれて、福音書という種類の文書の性格と基本的な内容を決定したと言えます。

 キリストの福音を証言する新約聖書は、四つの福音書とパウロ書簡を中心とする使徒書簡という二本の柱で構成されていますが、その一方の柱である福音書の中では、「マルコ福音書」が基礎になるわけです。本書はこの「マルコ福音書」を取り上げ、全体を段落ごとに講解して、「マルコ福音書」が世界に伝えるイエス・キリストの福音を聴き取ろうとするものです。

 この講解は、「マルコ福音書」の内容に従って、次の三部から構成されています。

第一部 ガリラヤでの宣教     マルコ福音書 一章〜五章
第二部 エルサレムへの旅     マルコ福音書 六章〜一〇章
第三部 エルサレムでの受難    マルコ福音書 一一章〜一六章

 三部を一冊にまとめることは分量的に困難ですので、二冊に分けて刊行します。本書「マルコ福音書講解T」では、第一部と第二部を扱い、続けて刊行する「マルコ福音書講解U」で第三部と終章の三講を扱います。

 本書は、マルコ福音書の学術的な注解を志すものではなく、マルコ福音書を通して著者が聴き取り理解したかぎりのイエス・キリストの福音を告白し、世に提示しようとするものです。しかし同時に、この福音書をそれが成立した歴史的状況の中で理解するために、現在までの学術的な成果をできるだけ吸収消化して、その霊的内容の理解が独善に陥らないように努めました。現在、イエスの働きや言葉を語り伝える伝承の歴史(伝承史)と、それが福音書という形に書きとどめられるさいの神学的な立場の表現についての研究(編集史)は精緻をきわめていますが、その成果を念頭に置きながら、それには立ち入ることをせず、もっぱら原形のテキストが現在のわたしたちに語りかける霊的使信に耳を傾けたいと願っています。

 このように、本講解は霊的内容の把握の深さと歴史的な面についての学術的な正確さという両面を追求していますが、それがどれだけ実現しているかはわかりません。少しでも読者諸氏の信仰に寄与するところがあるように祈ってお手元にお届けします。

  二〇〇二年 六月
                    市 川 喜 一