市川喜一著作集 > 第3巻 マルコ福音書講解T > 第35講

35 湖上を歩くイエス  6章 45〜52節

45 それからすぐ、イエスは群衆を解散させている間に、弟子たちを強いて舟に乗りこませ、対岸のベッサイダへ先に行かせられた。 46 それから、群衆と別れて、祈るために山に入って行かれた。 47 暗くなってきた頃、舟は湖の真ん中に出ており、イエスはひとり陸地におられた。 48 ところが、逆風のため弟子たちが漕ぎなやんでいるのをごらんになって、夜明け前の暗闇の中を湖の上を歩いて彼らのところに近づき、そばを通り過ぎようとされた。 49 弟子たちはイエスが湖の上を歩いておられるのを見て、幽霊だと思い、大声で叫んだ。 50 みんなの者が彼を見ておびえたからである。しかしイエスはすぐ彼らに声をかけ、「しっかりせよ。わたしである。恐れることはない」と言われた。 51 そして、舟に乗りこんで弟子と一緒になられると、風はやんだ。弟子たちは内心ただ呆然とするばかりであった。 52 彼らはパンのことを悟らず、その心がかたくなになっていたからである。

夜の湖で

 イエスが五つのパンと二匹の魚で五千人の人々に食事を与えられた出来事は、前講で見たように、終末時の「メシアの饗宴」あるいは「神の国の祝宴」の成就を指し示す、神秘に満ちた出来事であった。ところが、このガリラヤでの宣教活動の頂点をなす出来事が同時に、民衆や多くの弟子たちがイエスに期待するところと、イエスが与えようとされるものが違ったものであることが明らかになり、彼らがイエスから離れ去っていくという決定的な転機となるのである。マルコは民衆や弟子たちの離反を直接報告していないが、群衆を解散させ、弟子たちを強いて舟に乗りこませて対岸へ先にやり、ご自分は「群衆と別れて」ただひとり祈るために山に入っていかれたイエスの姿(四五〜四六節)に、イエスが深い決意をもってこの転機を迎えておられることがうかがえる。
 弟子たちが乗りこんだ舟は夕方には湖の真ん中まで来ていたが、逆風のため漕ぎ悩み、普通であれば多少気象条件が悪くても六〜八時間で湖を横断できるのに、このときは第四夜回り時(午前三〜六時)になってもまだ対岸に着くことができないでいた。この時間帯は夜明けが近いが、夜の暗闇が最も深くなる時である。その暗闇の中に水の上を歩いて近づいてくる人影を認めて、弟子たちは幽霊を見ていると思い、恐れのあまり大声をあげて叫んだ。たしかに夜の暗闇は人の心をおびえさせる。夜中も照明を輝かせて活動する二十四時間都市に生活する現代人には、星明かりもない真っ暗な湖上で、荒れ狂う波に沈みそうになる小舟にいる者の恐怖とおびえがどれほどのものか、想像にあまりあるものであろう。そのような怯えの心で暗闇の中の人影に接する時、人の霊は本能的に恐怖に捉えられてしまう。
 すると、その人影から声が聞こえてくる。「しっかりせよ。わたしである。恐れることはない」。この「わたしである」の一言で、弟子たちはその人影がイエスであることを知る。「あっ、イエスだ」と気づいた瞬間、未知の人影に対する恐怖心は吹き飛び、威厳と慈愛に満ちたいつもの師イエスと共にいる安心が心を満たす。おそらく暗闇の中で目はまだイエスをさだかに認めてはいないのであろうが、その声、その言葉がイエスを認めさせたのである。イエスと共にいる安心が心を満たすと同時に、夜の暗闇も荒れ狂う波も気にならなくなっている。気がつくと、イエスが舟の中におられ、風は静まっている。弟子たちはこの体験にただ呆然とするばかりであった。

復活者の顕現

 一体ここで何が起こっているのであろうか。マルコはこの記事でもって何を伝えようとしているのであろうか。生身の人間は空を飛んだり、水の上を歩いたりすることはできない。イエスは神の子であるという信仰をもって福音書を書いているマルコも、イエスがわれわれを同じ生身の人間であるという事実を超えることなく、伝えられたイエスの働きの中の事実だけを書き記している。神の子であることを証明しようとして、外典福音書によく見られるように、土をこねて造った鳩を飛ばせるというような奇術のような奇跡物語を創作することはない。あくまで事実起こったことを伝えるという姿勢に徹していることが、マルコをはじめ正典福音書の信憑性を保証している。
 その中で、この水の上を歩くイエスの記事はどうのように受けとめればよいのであろうか。その理解のために、この記事の成立の事情にまで遡って考察してみよう。もともと、福音書の記事はイエスの宣教の働きに立ち合った弟子たちが、見たり、聞いたり、体験したりしたことを語り、それが信じる者たちの群れの中で伝えられ、最後に福音書記者たちによってその伝承がまとめられ、文書の形に書き記されたのである。信徒によって語り伝えられ、福音書記者によって編集される過程で(様式史、編集史などの伝承史研究がこの過程を明らかにする努力をしている)、多少の変化や脚色の跡が見受けられるが、基本的にはイエスの業と言葉が忠実に伝えられていると見られる。
では、この記事の背後にある伝承の源になる出来事はどのようなものであったのであろうか。この出来事の核心部分、すなわちお会いすることができるはずのない状況で突然イエスに出会ったこと、しかも初めはその方がイエスだと分からなかったことは、復活されたイエスとの出会いの体験の特色を示している。それで、この記事はもともと復活されたイエスに出会った弟子たちの体験を語るものであったが、それが伝えられ書き記される過程で、イエスの地上の働きの時期の出来事とされたのではないか、という問いが出てくる。この問いに答えるために、まず以下の諸点について考察しよう。
 (一)本来のマルコ福音書は空の墓の記事で唐突に終わっている(一六章八節)。イエスは受難の前に、弟子たちのつまずきと離散を予告された時、復活後ガリラヤで弟子たちに会うことを約束しておられる(一四・二七〜二八)。また空の墓で婦人たちに天使が、復活されたイエスにガリラヤでお会いできると告げている(一六・七)。ところが、その後にガリラヤでの顕現の記事はない。この事実はマルコ福音書の成立に関する大きな謎になっている。イエスの十字架の刑死の後、弟子たちが一度はガリラヤに戻ったことは、マタイとヨハネも認めているとおり、事実であろう。そうすると、この記事のようにガリラヤの湖上で復活されたイエスの顕現を体験する可能性は十分にあることになる。逆にもし、この記事が復活されたイエスのガリラヤでの顕現の一つでないとすれば、復活後ガリラヤで会うというイエスの約束や天使の予告は無意味であったことになる。
 (二)ペトロたちがガリラヤ湖で一晩中漁をしたが何もとれなかったのに、イエスの指示で網を下ろすと多くの魚がとれたという出来事が、ルカ福音書ではイエスのガリラヤ宣教の初期におかれている(五・一〜一一)。ところが、同じような出来事がヨハネ福音書では復活後のイエスの顕現とされている(二一・一〜一四)。同じような性質の出来事がイエスの地上の働きの時期と復活後の二回あった可能性も考えられるが、これも本来復活されたイエスの顕現の体験を語り伝える伝承を、ルカが地上の働きの時期にもってきた可能性の方が大きい。そうする動機がルカには十分にあるからである。ルカは彼独自の救済史の叙述の枠をもっており、復活者の顕現をエルサレムとその近郊に限っている(二四・四九)から、ガリラヤでの顕現を述べる場所がない。それで、弟子たちが語り伝えるこの印象深い出来事を、ガリラヤで最初にイエスに出会った物語にした可能性が大きい。この事例は、マルコのこの記事もガリラヤでの復活者の顕現の物語が、何らかの動機で、伝承または編集の過程でイエスの地上の働きの時期の出来事とされたものである可能性を、一つの並行事例として示唆している。(ルカがこの水の上を歩くイエスの記事を欠いているのは、ルカがこの伝承をガリラヤでの復活者の顕現の物語として受けとめていたため、顕現をエルサレムに限定する彼の図式に入らないものとしたからであろうか。)
 (三)この記事を復活者の顕現の体験を語り伝えるものと理解すれば、水の上を歩いて来られたことは復活者の顕現の仕方の一つとなって問題ではなくなる。この理解の仕方は人間が水の上を歩いたという困難を解消するものではなく、死者の中からの復活というさらに大きな問題の中に吸収することになる。そう理解すると、この記事はイエスが水の上を歩かれたことを信じるかどうかではなく、イエスが死者の中から復活された方であることを信じるかどうかの問いを突き付けるものになる。この出来事を体験して語った弟子たち、それを伝え保持した人たち、それを書き記した人たちはみな、イエスが死者の中から復活されたことを信じている人々であった。この記事は彼らのこの信仰の表現の一つの形態である。この形態は、復活の信仰を単なる内面的体験ではなく、具体性のある出来事として語るのに、よりふさわしいものと彼らには感じられていたのであろう。
 マタイは、イエスの「わたしだ」という語りかけに対して、ペトロが「主よ、あなたでしたら、わたしに命令して、水の上を歩いてそちらに行かせてください」と応えて、水の上を歩いていく記事をその後に加えている(マタイ一四・二二〜三三)。この記事も、この物語を復活者の顕現の物語と理解すれば、復活者と出会った弟子が、ただ復活者からの呼びかけだけに応えて、人間的には何の支えも保証もない信仰の歩みを始め、証人としての生涯に乗り出したことを語るものとして、ごく自然に理解することができる。復活信仰はひたすら神の約束の言葉と上より賜る聖霊の力に支えられていなければ、一瞬も維持できないのである。すこしでも人間的な根拠を求めようとすると、たちまち疑いの中に沈み込んでしまうのである。
 (四)この出来事に直面した弟子たちが内心ただおびえたり呆然とするだけであったことについて、「彼らはパンのことを悟らず、その心がかたくなになっていたからである」(五二節)とあるのは、福音書記者マルコの説明の言葉(編集句)であろう。弟子たちはイエスと一緒にいた時には、イエスが誰であるかとか、イエスがされる業の意味について理解できなかったという、いわゆる「弟子の無理解」の動機はマルコ福音書を貫く重要な主題である。ここでは、水の上を歩いて来られるイエスの姿にただ恐れたり呆然とするだけで、この出来事の真義(復活)を直感して信仰の歓喜に溢れることができなかったのは、さきのパンの出来事が指し示しているイエスの人格の奥義(ご自身を天からのパンとして与える方)を悟ることなく、「その心がかたくなになっていた」ため、すなわち自分たちのメシア観に固執していたためであるとされる。この記事が本来復活者の顕現の物語であったものを地上の働きの時期にもってきたものであるとすれば、この編集句は、その時期には弟子たちはイエスの本質を理解することがなかったとするマルコが、当然付け加えねばならなかった説明となる。

「エゴー・エイミ」の秘義

 以上の考察から、この水の上を歩くイエスの記事は、復活されたイエスの顕現の体験を語るものとして受けとめることが妥当であると考えられる。もちろんこの理解は、復活前の時期にこのような性質の出来事がガリラヤ湖であったという事実を排除するものではない。ただそのことを語るこの記事は、すでに復活されたイエスの顕現を語る、より大きく基本的な証言の中に吸収されていると理解しようとするものである。
 このように理解すると、この記事の決定的に重要な焦点が浮かび上がってくる。それはイエスがここで語っておられる「エゴー・エイミ」の一言である(五十節)。このギリシア語は英語の「アイ・アム」に相当する句である。直訳すれば「わたしはある」ということになる。この記事の文脈では、暗闇の中でその人影が誰であるのか分からないのでおびえている弟子たちに、イエスがご自分であることを示すために語られた「わたしだ」という意味の句であると理解される。しかし、この句そのものは、聖書全体の背景の中で見るとき、きわめて重大な意味を担う語であり、復活されたイエスの自己証言としてふさわしい句であることが明らかになる。
 すでにモーセが燃える柴の中に現れた方にその名を尋ねた時、こう答えられている。

 神にはモーセに、「わたしはある。わたしはあるという者だ」と言われ、また、「イスラエルの人々にこう言うがよい。『わたしはある』という方がわたしをあなたたちに遣わされたのだと」。
                             (出エジプト記三・一四 新共同訳)

「これこそ、とこしえにわたしの名」とされたことに応えて、イスラエルはこの名を自分たちの神の名として告白し賛美してきた。それは様々な形で詩篇の中で証言されている。そしてこの名は、捕囚期の大預言者第二イザヤにおいて神の啓示の中心に据えられて、重要な役割を果たすようになる。たとえば、イザヤ書四三章(一〜一五節)で主がイスラエルに語りかけてご自身を啓示される時、「アニー」(強調の「わたしは」)が、「わたしはヤハウェである」、「わたしは神である」、「わたしはそれである」というような形で繰り返し用いられている。その中で「アニー・フー(わたしはそれである)」の定式は(ヘブライ語では「フー(彼)」が繋辞「である」の意味でも用いられることから)ギリシア語訳では「エゴー・エイミ(わたしはある)」と訳されている(一〇節など)。捕囚後のユダヤ教団では、この「アニー」とか「アニー・フー」という定式は神の自己啓示の定式として確立し、イエスの時代にはとくに過越と仮庵の大巡礼祭によく唱えられたのであった。
 この旧約聖書およびユダヤ教の背景から、イエスが用いられる「エゴー・エイミ(わたしはある)」という宣言の重大性を最もよく理解したのはヨハネ福音書である。仮庵の祭でエルサレムに上られたイエスに対して疑問や批判を投げかけたユダヤ人との論戦(ヨハネ福音書七〜八章)で、イエスは「『わたしはある』ということを信じないならば、あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになる」(八・二四)と語り、さらに「あなたたちは、人の子を上げたときに初めて、『わたしはある』ということが分かるだろう」(八・二八)と言っておられる。そして、最後に「はっきり言っておく。アブラハムが生まれる前から『わたしはある』」と宣言される(八・五八)。ユダヤ人たちはこの宣言の重大さをよく理解した。これは自分を神とすることである。「ユダヤ人たちは、石を取り上げ、イエスに投げつけようとした」(八・五九)。しかし弟子たちには最後の食事の席で、弟子の一人に裏切られて十字架されることがつまずきにならないように語られるところでこの宣言が用いられている。「事の起こる前に、今、言っておく。事が起こったとき、『わたしはある』ということを、あなたがたが信じるようになるためである」(一三・一九)。(以上引用は新共同訳)
 マルコもイエスの言葉としてこの「エゴー・エイミ」をよく保存している。終わりの日に現れる偽キリストについて、イエスはこう言っておられる。「わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがそれだ(エゴー・エイミ)』と言って、多くの人を惑わすであろう」(マルコ一三・六)。決定的な場面は最高法院でのイエスの宣言である。「お前はほむべき方の子、メシアなのか」という大祭司の質問に対して、イエスはこの宣言をもって答えておられる。「『エゴー・エイミ』。あなたたちは、人の子が全能の神の右に座り、天の雲に囲まれて来るのを見る」(一四・六二)。大祭司はこれを聞いて、衣を引き裂きながら言った。「これでもまだ証人が必要だろうか。諸君は冒?の言葉を聞いた」。当時のユダヤ教における「アニー・フー」定式の使用の背景からすれば、「人の子」宣言の句がなくても、この「エゴー・エイミ」の宣言だけで大祭司が衣を引き裂くに十分である。
 以上のように聖書全体の背景からすれば、水の上を歩いて来られたイエスが弟子たちにご自分を示される時に語られた「エゴー・エイミ」は、もはや単純な「わたしだ」ではなくて、神がご自身を啓示される時の『わたしはある』という重大な言葉であることが分かる。この宣言の言葉が「しっかりせよ。恐れることはない」という言葉に囲まれて出てくるのも、第二イザヤによく見られる神の自己啓示の形式に一致している。
 ここでの「エゴー・エイミ」をこのように神の自己啓示の言葉と受け取るとき、これは復活されたイエスの言葉として最もふさわしいことが理解できる。復活されたイエスが弟子たちに現れた時に語られた言葉で記録されているものはごくわずかであるが、その中でもこれは最も重要な言葉であり、究極の啓示であると言える。死者の中から復活されたイエスにおいて神は最終的にご自分を世界に現しておられるのである。モーセに燃える柴の中から「わたしはある」と名乗り、イスラエルの民を奴隷の家エジプトから救いだされた神が、最終啓示として復活されたイエスの中から「わたしはある」、「わたしがそれである」と語って、人間を罪の支配、死の支配から救いだそうとしておられるのである。復活されたイエス、そこにこそ神の「秘められた計画」が成就し、神が最終的に現れておられるのである。
 復活されたイエスの中に神が最終的にご自身を現しておられるという信仰の立場から見ると、地上のイエスの言葉や働きも、その中で神が語り、働いておられる出来事と受け取ることができる。復活されたイエスと地上のイエスは同じイエスだからである。