市川喜一著作集 > 第3巻 マルコ福音書講解T > 第10講

10 らい病人の清め 1章 40〜45節

40 ひとりのらい病人がイエスのもとに来て、ひざまずいて願って言った、「それがあなたの意志であれば、あなたはわたしを清めることもできるかたです」。 41 イエスは深くあわれみ、手をのばして彼にさわり、「わたしの意志だ。清くなれ」と言われた。 42 すると、らい病はただちに去って、その人は清くなった。 43 イエスは彼を厳しく戒め、すぐそこから追い返して 44 言われた、「気をつけよ、誰にも何も話すな。ただ、行って祭司に自分のからだを見せ、モーセが命じたものを自分の清めのために捧げて、人々への証明とせよ」。 45 ところが、彼は出て行ってさまざまな事を語り、この話を言い広め始めたので、イエスはもはや表だって町に入ることができなくなり、外の寂しい所にとどまっておられた。しかし、いたるところから人々がイエスのもとに集まってきた。

「らい病」

 マルコはイエスのガリラヤでの宣教活動を、すでに前段の最後で、「ガリラヤ全土を巡り歩いて諸会堂に入り、福音を宣べ伝え、悪霊を追い出された」という記述で一旦要約したのであるが、その中でひとりの「らい病人」を癒された事例だけが、特別の意義を持つものとして取り上げられ報告される。
 「らい病」と訳した原語のギリシア語は《レプラ》であるが、これがここでどのような病気を指しているのか、正確に確定することはできない。《レプラ》という用語は、現代医学が「らい病」と呼んでいる病気(ハンセン病という呼称は国際的な医学用語としては採用されていないということなので使用を避ける)よりもずっと広範囲の皮膚病を指している。もともと《レプラ》というギリシア語は、旧約聖書の《ツァーラハト》の訳語として七十人訳で用いられ、それが新約聖書でそのまま用いられているものである。この《ツァーラハト》という語はレビ記一三〜一四章に集中して用いられており、人間の皮膚だけでなく、布や皮、さらに家の壁についても、表面の醜く恐ろしい崩れであり、祭司の判定で他の異常とは区別され、祭儀的に不浄とされる状態を指している。このように広範囲の症状を一語で表現しうる用語は現代語にはないので、たいていの現代語訳ではやむをえず「らい病」という訳語を用いて、それに「この訳でらい病人、らい病と表されている語は、形崩れを伴う皮膚病のことで、祭儀上のけがれとされるものである。現在らい病と呼ばれているものとは別である」(NE)とか、「ギリシア語では様々な種類の皮膚病を指しており、かならずしもらい病とは限らない」(NIV)というような脚注を付けている。
 しかしここで大切なことは、この「らい病」が医学的にどのような内容の病気であったかではなく、「らい病」が当時宗教的にどのように扱われていたかである。《ツァーラハト》というヘブル語は語源的には「打たれた」、「砕かれた・崩れた」という意味であるが、それが皮膚など表面の崩れを指すだけでなく、「神によって打たれた者」という意味で用いられるようになり、不治の天刑病として、また「死の最初の子」と呼ばれて恐れられていた。《ツァーラハト》と判定された者は一般社会から隔離された所に住み、普通の人と交わることはもちろん、近づくことさえ許されていなかった。人が近くに来ると、「汚れた者、汚れた者」と叫んで、その存在を知らせなければならなかった。ただ神だけがらい病を清めることができるとされ、らい病人の清めはメシアがもたらす終末的な祝福の一つとされていた。
 ヨハネが獄中から弟子を遣わして、「『来るべきかた』はあなたですか。それとも、ほかにだれかを待つべきでしょうか」と訊ねた時、イエスはこう答えておられる。「行って、あなたがたが見聞きしていることをヨハネに報告しなさい。盲人は見え、足なえは歩き、らい病人はきよまり、耳しいは聞こえ、死人は生き返り、貧しい人々は福音を聞かされている。わたしにつまずかない者は、さいわいである」(マタイ一一・二〜六 協会訳)。また、イエスは十二弟子を宣教に派遣するにあたって、こう言っておられる。「行って、『天国は近づいた』と宣べ伝えよ。病人をいやし、死人を生き返らせ、らい病人をきよめ、悪霊を追い出せ」(マタイ一〇・七〜八)。これらの箇所で「らい病人の清め」が他の病気の癒しとは別の種類の業として扱われていることが注目される。それは「清める」という動詞が示唆しているように、単なる身体の病気の治癒ではなく、「汚れた者」として神の民の交わりから断たれていた者が「清い者」として再び神の民の交わりに迎え入れられることを意味している。「らい病人を清める」ことは、「死人を生き返らせる」ことと並んで、終末時の神の業として特別の意義を持っているので、マルコは一人のらい病人の癒しを他の多くの癒しの業の中に埋没させることなく、詳しく伝えるのである。

らい病を清める力

 さて、イエスがガリラヤのある町におられた時、「ひとりのらい病人がイエスのもとに来て、ひざまずいて願って言った」。らい病人は人に近づくことも許されていなかった。彼がその律法の枠の中に止まっていたならば、救われることはなかったであろう。彼が癒されたいという切なる願いと、イエスに対する信頼とによって、律法という隔ての垣根をあえて踏み超えて、イエスのもとに来てひれ伏した時、救いが始まったのである。イエスも律法を超えてらい病人を受け入れておられる。イエスのもとにひざまずくらい病人、そこはすでに律法を超えた場である。
 「あなたはわたしを清めることもできるかたです」と彼は言っている。らい病人を清めることが神の終末的な業であることを考えると、本人は自覚していたかどうかはわからないが、この告白はイエスを終末的メシアと告白する重大な意味を持つものになる。とにかく彼は人間の力が絶する所で、ただイエスの中に働く神の力だけに頼り、「それがあなたの意志であれば」と言って、自分の死生をイエスの意志に委ねて、その足元にひれ伏したのであった。
 「イエスは深くあわれみ、手をのばして彼にさわり」、彼とひとつになられる。ここで用いられている動詞「さわる」は、癒しのために病人に「手をおく」という動詞とは違う。らい病人に触れることは、病気への恐れだけでなく、自分も宗教上の汚れに陥ることとして極度に嫌われていた。しかし、イエスはすでに浄・不浄の差別を超えた次元におられ、ただ社会から疎外され、治癒の見込みもない絶望的な病人へのあわれみから、その人に「さわり」、その人とひとつになって、ご自身の中にある神の力を注ぎ与えられるのである。
 「それがあなたの意志であれば」と言って、自分の死生を投げかけてきたらい病人をイエスはしっかりと受け止め、「わたしの意志だ。清くなれ」と言われる。神は人をかたより見られない。このらい病人だけに特別に「わたしの意志だ」と言われたのではない。信じる者を救い癒すことはいつも神の意志である。誰であっても、自分の死生をイエスの意志に投げかける者は、「わたしの意志だ」と受け止めていただけるのである。そして、イエスの「清くなれ」の一言で、「らい病はただちに去って、その人は清くなった」のである。これはイエスの一言で悪霊が追い出されたことよりもさらに驚くべきことである。イエスの奇跡というものが単なる霊力による病気の癒しを超えたもの、終末的な神の業であることが指し示されているのである。
 ところが、「イエスは彼を厳しく戒め、すぐにそこから追い返して、言われた、『気をつけよ、誰にも何も話すな』」。らい病人が清められることは何を意味するのか、らい病人本人はまだ十分に自覚していなかったであろうが、イエスはそれを知り、それがユダヤ教社会でどう受け取られるのかを知っておられた。それで、イエスはあわれみにより病人を癒しながら、メシアであることを自称する者であると理解されることを極力避けようとして(すくなくともマルコの描くイエスはそうである)、この出来事の公表を厳しく禁じられるのである。そしてただ彼のために、再び一般社会に受け入れられて生活できるように、「らい病人が清い者とされる時のおきて」(レビ記一四章)に従って捧げ物をして、祭司から証明を得るように指示される。「ただ、祭司に自分のからだを見せ、モーセが命じたものを自分の清めのために捧げて、人々への証明とせよ」。
 「ところが彼は出て行ってさまざまな事を語り、この話を言い広め始めたので、イエスはもはや表だって町にはいることができなくなり、外の寂しい所にとどまっておられた」。厳しく公表を禁じられていたにもかかわらず、このらい病人は神の力を体験した喜びのあまり、自分の身に起こった事を語らないではおれなかったのであろう。彼がこの事を言い広めたので、ユダヤ教当局からイエスはメシアを自称して民衆を扇動する者ではないかと疑われるようになり、町に入り会堂で公に宣教することができなくなり、町の外の寂しい所で教えるようになった。これまでは「諸会堂に入り、福音を宣べ伝え」ておられたのに、これ以後は会堂での宣教はごく僅かになり、おもに海辺や家の中、山辺や旅路で語られることになる。それでも、イエスが行かれる所にはいつも律法学者たちがいて、イエスの言動を監視し、批判し、論争するようになる。
 「しかし、いたるところから人々がイエスのもとに集まってきた」。このように、イエスのガリラヤでの宣教活動は民衆の熱い期待を集めたのであるが、一方早々にしてユダヤ教当局(彼らは同時に政治的権力者であった)の疑いを招き、対立が明らかになってくる。続く第二章では、律法をめぐるイエスとユダヤ教との対立が主題となる。