市川喜一著作集 > 第3巻 マルコ福音書講解T > 第8講

8 シモンの家で 1章 29〜34節

29 それからすぐに、一行は会堂を出て、シモンとアンデレの家に入った。ヤコブとヨハネも一緒であった。30 ところで、シモンの姑が熱を出して床についていたので、人々はすぐに彼女のことをイエスに話した。31 イエスがそばに行き、手をとって彼女を起こされると、熱は去り、彼女は一行に仕えるようになった。   32 夕暮れになり日が沈むと、人々は悪いところのある人や悪霊につかれている人をみな、イエスのところに連れてきた。 33 そして町中の人が戸口に集まってきた。 34 そこでイエスは、さまざまな病気で苦しんでいる大勢の人々を癒し、多くの悪霊を追い出された。また、悪霊どもにものを言うことを許されなかった。彼らはイエスが誰であるかを知っていたからである。

シモンの姑の癒し

 カファルナウムの会堂を出たイエスと弟子の一行は、同じカファルナウムの町にある「シモンとアンデレの家に入った」。前の段落でイエスは故郷ナザレを去ってカファルナウムに行って住まわれたことを見たが、カファルナウムにご自分の家を持ってそこに住まわれたのか、それともシモンの家に滞在して、そこをガリラヤ伝道の根拠地にされたのか、どちらであるかは決定できない。七章一七節や一〇章一〇節の、「家にお入りになると」という表現の後にはいつも弟子たちが居合わせていることや、癒されたシモンの姑(そしておそらく彼の妻も)がイエスの一行に仕えたとされていること、イエスのガリラヤ伝道がおもに各地の巡回伝道であったこと、さらに姑の癒しの記事がここに置かれていること自体などを考え合わせると、イエスはシモンの家に滞在されて、そこを根拠地にして活動された可能性のほうが大きい。
 「シモンの姑」(すなわち彼の妻の母親)という表現から、シモンが結婚しており、妻が(そしておそらく子供も)あったことがわかる。彼の妻については福音書には何も記録されてないが、パウロの手紙の一節(コリント人への第一の手紙九章五節)から、イエス復活後世界の各地に宣教の旅をした夫と行動を共にしたことがわかる。おそらく彼女も「イエスとその一行に仕えた多くの女たち」の一人であり、とくにイエスがカファルナウムにおられる時には、その家の主婦として母親と共にイエスや弟子たちの世話に明け暮れ、押し寄せる病人や群衆の応対に忙殺されていたことであろう。家業を捨ててイエスに従い、各地を巡回している夫に対してつぶやくことなく留守を守り、イエス復活後は信徒の群れの指導者として生命の危険に曝される夫と共にエルサレムに住み、世界の各地に宣教の旅を続ける夫と異郷の苦労を共にしたのであろう。このように、イエスの「神の国」の宣教運動も、使徒たちの「キリストの福音」の宣教も、名も伝えられていない多くの女性たちの献身的な奉仕によって支えられていたことを、この一段はわれわれに思い起こさせる。
 シモンの姑の熱病をイエスが癒された時のことは、ルカ福音書(四・三九)は「イエスはそのまくらもとに立って、熱が引くように命じられると、熱は引き」と伝えている。それに対してマルコは「イエスがそばに行き、手をとって彼女を起こされると、熱は去り」と書いている。イエスが悪霊を追い出し病気を癒される時、それを追い出す命令の言葉を発せられることが多い。この場合もルカが伝えているように、熱病に対して権威ある命令の言葉を発しておられると考えられる。しかし、癒しの業が行われるには、その言葉が信仰によって受け止められることが必要である。彼女はイエスの中にあって自分に迫る神的なものに圧倒され、手をとって起こされると、もはや自分のからだの現状を見ることなく、ただイエスの「起きよ」という無言の命令に従って、床から起き上がったのである。この行動が信仰である。イエスは「手をとって起こす」という形で、彼女のイエスへの信頼の心が行動に発するのを助けておられる。イエスの権威ある言葉と、それに応えて、目に見えるところを超えてその御言葉だけを現実として従う信仰の行動が、相応えてひとつになるところに神の力が働き、驚くべきことが起こる。マルコはイエスの言葉や彼女の心理にふれることなく、「手をとって起こされると、熱は去り」という簡潔な表現で、ただこのような信仰の出来事の事実だけを語るのである。

日が沈むと

 イエスとその一行は会堂から出てすぐにシモンの家に入ったのであるから、シモンの姑が癒されたのは安息日の午後であった。会堂で悪霊を追い出されたイエスのことは、その午後の間に町中の評判になっていたのであろう。「夕暮れになり日が沈むと、人々は悪いところのある人や悪霊につかれている人をみな、イエスのところに連れてきた。そして町中の人が戸口に集まってきた」。ユダヤ教では一日は日没から始まり次の日の日没で終わる。安息日は金曜日の日没で始まり土曜日の日没で終わる。ユダヤ教の律法では、安息日に病人を癒す行為は禁じられていた。それで「夕暮れになり日が沈むと」というのは、安息日が終わるの待ちかねて癒していただくために病人を連れてきたことを意味している。
 イエスはシモンの家におられるのであるから、「戸口」というのはシモンの家の戸口である。シモンの家は大変なことになってしまった。平凡な家族の平穏な生活の場が、一日にして町中の人々が押し寄せる喧騒の場となり、病人で一杯になってしまったのである。今でもイエスを信じ、イエスを迎え入れて生きる者の家は、自分の苦労に押し潰されて相手の都合を考える余裕のない人たちが押しかけてきて、平穏な生活が妨げられることがよくある。しかし、イエスはそのような人たちを助けようとして受け入れておられるのであるから、イエスと共にその労苦を引き受ける家は幸いである。彼らはイエスの喜びに与るであろう。
 「そこでイエスは、さまざまな病気で苦しんでいる大勢の人々を癒し、多くの悪霊を追い出された」。これがイエスの「神の国」宣教の際立った特質である。すでにマルコは会堂で悪霊を追い出された出来事を伝えて、それがイエスの言葉の権威の現れであることを示している。バプテスマのヨハネも「神の支配の切迫」を宣べ伝えたが、力ある業は何も行わなかった。それでも彼の言葉には権威があり、聴く者の魂を捉えて悔い改めへと導いたことを考え合わせると、イエスの奇蹟にはさらに深い救済史的意義があるとしなければならない。それがどのような意義であるかは、マルコは彼の福音書全体にわたって代表的な事例を取り上げ、その事実を伝えながら示唆していくのである。ここではイエスが病人を癒し悪霊を追い出されたという事実だけを報告している。
 「また悪霊どもにものを言うことを許されなかった。彼らがイエスが誰であるかを知っていたからである」。ルカの並行箇所(四・四一)はさらに詳しく報告している、「悪霊も『あなたこそ神の子です』と叫びながら多くの人々から出ていった。しかし、イエスは彼らを戒めて、ものを言うことをお許しにならなかった。彼らがイエスはキリストだと知っていたからである」。「イエスが誰であるか」、これが福音書の根本問題である。一章一節の標題で見たように、マルコはこの福音書全体を通じて、イエスが神の子・キリストであることを宣明しようとしている。ところがイエスご自身は、この秘密を知る者に公表を厳しく禁じておられる。イエスのこの態度は、ここで見るように宣教活動の最初から現れ、地上のご生涯の最後まで続くのである。「メシアの秘密」と呼ばれるこの動機については、別の箇所で詳しく触れることにする。