市川喜一著作集 > 第3巻 マルコ福音書講解T > 第5講

癒(いや)しの章




5 イエスの宣教開始  1章 14〜15節

14 ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤに行き、神の福音を宣べ伝えて 15 言われた、「時は満ちた。神の国は迫り来ている。立ち帰って福音を信受せよ」。

イエスのバプテスマ活動

 すでに見てきたように、イエスの出現にとって洗礼者ヨハネの宣教は決定的な意義をもつものであった。イエスはヨハネの宣教に神の呼びかけを聞かれ、それに応えてバプテスマをお受けになった時、神の霊が降り「主の僕」としての召命を受けられたのであった。しかし、直ちにヨハネから離れて独自の活動を始められたのではなかった。しばらくヨハネの宣教運動の中に留まり、自らも多くの人々にバプテスマを授ける活動をされた期間があった。
 この期間のことはマルコをはじめ共観福音書は無視しているが、ヨハネ福音書が伝えている。

「こののち、イエスは弟子たちとユダヤの地に行き、彼らと一緒にそこに滞在して、バプテスマを授けておられた。ヨハネもサリムに近いアイノンで、バプテスマを授けていた。そこには水がたくさんあったからである。人々がぞくぞくとやってきてバプテスマを受けていた。その時ヨハネはまだ獄に入れられてはいなかった」。(ヨハネ三・二二〜二四)

しかも「イエスがヨハネよりも多くの弟子をつくり、またバプテスマを授けておられるということ」(ヨハネ四・一)が人々の評判になるほどであった。
 ヨハネ福音書は独自の神学的構想をもって書かれた福音書であり、それはイエスの初期の活動を伝えるこの部分(一〜三章)にも貫かれてはいるが、「ヨハネがまだ獄に入れられてはいなかった」時期のイエスのバプテスマ活動を伝えるこの記事は、彼の神学的創作ではなく歴史的根拠をもつものと考えられる。むしろマルコの方が彼独自の観点からこの時期のイエスのバプテスマ活動を無視して、「ヨハネが捕らえられた後」のガリラヤ伝道から始めているのである。マルコがそのような書き方をしているのは、マルコがこの時期のイエスのバプテスマ活動を知らなかったからではない。とくにマルコが、もと洗礼者ヨハネの弟子でありイエスとバプテスマ活動を共にしたペトロからの伝承を受け継ぐ立場にあったことを考えると、マルコがこの時期のイエスのバプテスマ活動を知らなかったとは考えられない。マルコがこのような書き方をするのは、マルコのガリラヤ重視の傾向にもよるが、この時期のイエスの活動がヨハネの宣教の中に埋没していて、その独自の内容がまだ一般には明確になっていなかったことが最大の理由であると考えられる。
 この時期のイエスの宣教はヨハネのそれと同じく、神の最終的な審判と救いの時が迫っているからバプテスマを受けて神に立ち帰るようにという終末的宣教であったと推定される。それはマタイがヨハネの宣教とイエスの宣教とを、「立ち帰れ。天の国は近い」という全く同じ言葉で要約していることからもうかがわれる(マタイ三・二と四・一七)。

ヨハネを超えて

 ところが、「ヨハネが捕らえられた後」、ガリラヤで始められた宣教活動においては、イエスはもはやバプテスマを授けることはなく、バプテスマについて命じたり教えたりされることは一切ない。この事実だけでもイエスの宣教がヨハネとは別のものになっていることを示している。さらに、律法(ユダヤ教の諸規定)に対するイエスの態度に決定的な変化が見られる。
 ヨハネはユダヤの荒野クムランにあるエッセネ派の修道院的教団で幼い時から育てられ、その影響を強く受けていたと推定される。エッセネ派は、エルサレムの祭司たちやその宗教を堕落していると批判し、荒野に逃れて徹底的に律法を守る生活をすることによって終末時の神の民を形成しようとした人たちであった。
 ヨハネの宣教はクムランの修道院的教団の枠をはるかに超えるものがあり、ファリサイ人やサドカイ人のような自称義人に対しては「まむしの子らよ、迫ってきている神の怒りから、おまえたちはのがれられると、だれが教えたのか」と退け(マタイ三・七〜一〇)、取税人や兵卒や遊女のようなクムラン宗団からもファリサイ派指導下の会堂からも退けられていた人たちを受け入れていた(ルカ三・一二〜一四、マタイ二一・三二)。しかし律法の枠そのものを破るようなことはなかった。
 イエスがヨハネと共にバプテスマを授けておられた時期においては、すでに御霊による力ある業など新しい事態が始まってはいるが、律法に関しては特にヨハネと異なっている点は何も報告されていない。イエスの神殿粛正の行為(ヨハネ二・一三〜二二)も、ヨハネ福音書が伝えるようにこの時期に行われたものとすれば、それは神殿における律法のより厳格な実行を求められた行為であると理解することができる。
 ところが、「ヨハネが捕らえられた後、ガリラヤに行き、神の福音を宣べ伝えて」活動された時期においては、初めからあえて安息日の律法で禁じられている病人の癒しの業をしたり、律法を守らず汚れた民とされていた取税人や遊女たちと食卓を共にしてその仲間となられるなど、律法順守に熱心なファリサイ派の人たちや律法学者から見れば律法を破るような行為をしておられる。そのためこの時期においては初めから「神の律法を汚す者」として生命を狙われるほどの対立が現れるのである。この点においても、イエスの宣教はヨハネとは違った質のものであることが明らかになってくる。
 このように、イエスの宣教はヨハネと共通の終末的な場に立ちながら、ヨハネとは決定的に異なる質があった。それが何であるかは、本講解全体の課題であるが、ここではイエス御自身がヨハネとの相違をどのように見ておられたのかを、共観福音書に伝えられているイエスのお言葉から示唆されるところに従って見ておこう。
 すでに見たように、イエスはヨハネのバプテスマを神からのものと認め(マルコ一一・三〇と並行箇所)、ヨハネを「預言者以上の者」、「女の産んだ者の中で最も大いなる者」と呼び、最大級の表現で彼の偉大さを公言しておられる(マタイ一一・七以下、ルカ七・二四以下)。ところが続けて「しかし、神の国で最も小さい者も、彼より大きい」と言っておられる。確かにヨハネは最大の人物、最大の器である。しかし、どんなに小さい器であっても、その中に神の国が宿るならば、その人は神の前ではヨハネよりも大きい者である。
 どうしてそのようなことが言えるのか、その理由はイエスの次の言葉に示唆されている。「律法と預言者とはヨハネの時までのものである。それ以来、神の国が宣べ伝えられ、人々は皆これに突入している」(ルカ一六・一六)。すなわち、ヨハネはいかに偉大であっても、なお律法の領域におり、予言の段階に止まっている。
 「律法」すなわちユダヤ教は神から与えられた最高の宗教である。しかし、いかに優れた宗教であっても、宗教は人が神の霊によって神との交わりに生きる現実(新約聖書はそのような事態を「信仰」と呼んでいる)を予感し、準備し、指し示すものにすぎない。律法は人を信仰にまで導くための養育係にすぎない。信仰が現れる時には、人はもはや律法という養育係の下にはいない(ガラテヤ三・二三以下)。
 預言者たちはイスラエルの歴史の中で、このような「信仰」が現れる日を予言したのであった。信仰が現れる時には、予言は成就し、その役目は終わる。本体が現れる時、影は消える。イエスは神の霊を受けられた時、その時が来たこと、すなわち律法と予言(全聖書)が成就したことをその身をもって知られたのであった。イエスの中に、終わりの日に与えられると約束されていた神の霊によって、神と人との交わりが実現したのである。それが「神の国」である。
 イエスの中に神の国が来ており、宣べ伝えられ、人々はその祝福に与っているのである。このように、イエスは神の霊によって神の国を体現しておられたという点で、まだ律法と予言の領域にいるヨハネとは決定的に異なっている。しばらくの間、神の最終的な行為が迫っているという終末的な告知をもってヨハネと共にバプテスマ活動をされたとしても、早晩イエス独自の宣教活動が始まらざるをえなかったのである。おそらく、イエスは「ヨハネが捕らえられた」ことを聞かれたとき、その時が来たことを知られたと考えられる。

 「ヨハネが捕らえられた」時の事情については、マルコは六章(一四〜二九節)でヨハネの処刑を伝える際に触れている。それによると、ガリラヤとペレヤの領主ヘロデが自分の兄弟の妻と結婚した時、ヨハネがそれを律法違反として糾弾したので、ヘロデはヨハネを捕らえて獄に繋いだとされている。
 この獄は、ヨセフスによると死海東岸のマケラスの城塞であるとされているが、「重臣や将校やガリラヤの有力者たちを招いて宴会を催した」場所としては、ガリラヤの首都テベリヤにあるヘロデの宮殿である可能性も高い。またヨハネの投獄の理由も、権力者が単に宗教上の戒律問題で在野の宗教家を投獄する事は考えられない。その背後には当時のユダヤ社会に広範に燃えさかっていた終末期待の熱気、ガリラヤに多発していたメシア運動の渦、そういう状況の民衆へのヨハネの巨大な影響力(ヨハネをメシアと信じる者も多かった)を考えなければならない。
 このような背景の中で見る時、結婚問題に端を発するヨハネの糾弾は、ヘロデの権力にとって重大な脅威になったはずである。権力者は自己の権力維持のためにはいかなる手段もとる。ヘロデは権力維持のためには神から遣わされていた聖者を投獄・処刑する事も辞さなかったのである。
 このような状況を考えると、「ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤに行き」活動を始められたのは、まさにこのような権力者が支配する領域にあえて入って行かれたことを意味するわけで、平穏な活動の場を求めてガリラヤへ行かれたのではないことが理解できる。先に述べたように、この時期のガリラヤ伝道では初めから律法の枠を超えた振る舞いと教えをしておられるので、聖なる律法を汚す者として宗教権力から生命を狙われる事になったという事情を合わせ考えると、イエスのガリラヤ伝道の時期は決して「ガリラヤの春」といわれるような平穏で牧歌的な時期ではなかったのである。それははじめから緊迫した激しい宣教活動であった。

神の国の福音

 ガリラヤにおいてイエスが「神の福音を宣べ伝えて」発せられた宣教の第一声は、「時は満ちた。神の国は迫り来ている。立ち帰って福音を信受せよ」であった。これは第一声であるだけでなく、イエスの全宣教内容を要約するものである。「イエスの活動はひとつの魅惑的な概念をめぐって展開する。一切はそれに関連し、それから一切が発出する。この中心点とは神の国である」(L・ゴッペルト)。イエスは、御自身が聖霊によって体現し、その証示のために生命を賭られた事態を「神の国」と呼んでおられるのである。その内容がどのようなものであるかは、イエスの宣教の全体を通して示されていくものであり、それを追求することが本講解全体の課題であるわけで、今ここで「神の国」という用語の解釈で語れるものではない。ここでは、「神の国」という用語がどのような背景を持ち、当時の社会で一般にどのような意味内容で用いられていたのかの概略を示すことによって、それとの対比においてイエスの宣教の独自の内容を理解する助けとしたい。

神の国
 「神の国」はイエスが初めて使われた用語ではない。それには旧約聖書の永い背景がある。イスラエルの民はその長い歴史の中で、自分たちがヤハウェなる神の民であり、ヤハウェこそ自分たちを統べ治める王であることを身をもって学んできたのであった。イスラエルがヤハウェ信仰による諸部族の連合から、近隣の諸強国に対抗してその存立を維持するために一人の王を戴く王国になった時(サウロ、ダビデの時代)、預言者サムエルは王として選ばれた者に油を注ぎつつも、イスラエルを支配する真の王はヤハウェただひとりであることを民に語り続けたのであった。
 その後、すべての権力を一身に集めて支配する王の姿を見てきたイスラエルは、ヤハウェを王として告白し賛美するようになった。その告白は「即位詩篇」と呼ばれている詩篇(四七、九三、九六〜九九篇)に、「ヤハウェは王となられた」と美しくうたわれている。このように神が王として支配される事態が「神の国」である。「神の国」とは領土や領域ではなく、神が民を支配されるという出来事・関係・状態を指している。それで「神の支配」と訳すほうが適切だといえる。
 王国滅亡の危機の時代には預言者が輩出して活躍したのであるが、そのかたくなな不信の故に現実のイスラエルの中には「神の支配」は実現しえないという悲劇的な状況の中で、預言者たちの「神の支配」の信仰はイスラエル民族の枠を超えて世界的・宇宙的に拡大され、深められていった。神はイスラエルの王であるだけでなく、全世界の諸民族の歴史を統べ治める王であり、さらに創造者として天地万物の支配者であることが深く把握されるにいたった。その流れは王国滅亡後の捕囚期に活躍した無名の預言者第二イザヤにおいて頂点に達し、「神の支配」は最も壮大に且つ深く把握され宣べ伝えられた。
 彼はイスラエルの罪が赦されて捕囚の地から帰る時が来ることを予言したが、同時にそれと二重写しに、「終わりの日に」神が決定的に行為され、背いてやまない世界に救いを施し、その支配を打ち立てられることを告げたのであった。

よきおとずれを伝え、平和を告げ、
よきおとずれを伝え、救いを告げ、
シオンにむかって
 『あなたの神は王となられた』と言う者の足は
山の上にあって、なんと麗しいことだろう」。(イザヤ書五二・七)

 「神の支配」の実現こそ世界にとって最終的な平和であり救いである。それを伝える声こそ究極的な「よきおとずれを伝える」者の声である(この「よきおとずれを伝える」という動詞が新約の「福音」という語の源になる)。預言者は終わりの日の「神の支配」の実現を望み見て、現実の悲惨なイスラエルの歴史を生き抜いたのであった。
 このように預言者たちの「神の支配」の信仰は、現実のイスラエルの不信仰な歴史の中で終末的な様相を深めていったのであるが、その方向は捕囚期以後の歴史の中でますます強められていった。それは捕囚以後のイスラエルの歴史が、マカバイ時代のごく短い期間を除いて、いつも異教の強大な世界帝国の支配下にあり、歴史の中での「神の支配」の実現がますます絶望的になっていったからである。もはや歴史的な出来事によってではなく、神の直接的で超自然的な介入によりこの世(旧いアイオーン)が終わり、宇宙的な破局を経て、神が支配される新しい永遠の世(新しいアイオーン)が到来する。このような宇宙的・二元論的構造の終末信仰は、すでに旧約聖書の最後期の文書(イザヤ書二四〜二七章、ダニエル書など)にも現れているが、イエス出現の前後の時代にはますます盛んになり、多くの「黙示文書」を生み出していた。
 このような黙示録的終末信仰の典型としてダニエル書を見ると、捕囚後相次いで世界を支配した帝国は巨大な像や海からあがってくる獣の姿で描かれ、最後に神がそれらの支配を打ち破って御自身の支配を立てられることが、幻の中で啓示されている。

 「それらの王たちの世に、天の神は一つの国を立てられます。これはいつまでも滅びることがなく、その主権は他の民にわたされず、かえってこれらのもろもろの国を打ち破って滅ぼすでしょう。そしてこの国は立って永遠に至るのです」。(ダニエル書二・四四)

 イエスの時代のユダヤ教は律法学者たち、とくにファリサイ派の人たちによって指導される律法宗教であった。彼らも「神の支配」のことを語ったが、彼らにとって「神の支配」とは人が神の律法を守ることであった。彼らはそれを「天の支配」と呼び、律法を守る生活を「天の支配のくびきを負う」と言った。彼らが安息日の律法を守ることに異常なほど熱心であったのは、すべてのイスラエル人がただ一日でも安息日を完全に守れば「神の国」はたちどころに現われると信じていたからである。
 一方、彼らは神が「ダビデの子」であるメシア(油注がれた救済者)を遣わしてイスラエルを異教の支配者から救いだし、御自身の支配をイスラエルの中に実現してくださることを信じ、その日を待ち望んでいた。彼らは日に二度祈っていた、「わたしたちの裁き主を帰して下さい。そしてあなたが、そうです、あなただけがわたしたちの上に王となって下さい」(一八祈願の第一一)。

 このようにイエスの時代のユダヤ人たちは、その内容や表現は様々であるが、みな熱心に「神の支配」、「神の国」を待ち望んでいたのであった。「神の支配」を告げ知らせる呼び声が響きわたるのを待ちこがれていたのであった。このような民にイエスの声が響きわたる、「時は満ちた。神の国は迫り来ている!」。
 イエスは何か新しい思想や信仰を宣べ伝えられたのではなかった。イスラエルの民がその長い歴史の中で学び待ち望んできた「神の国」、すなわち「主なる神が王として支配される現実」が、遂に時満ちて到来したことを告げ知らせられたのである。この告知が「福音」である。それは、神が御自身の約束の成就の時をイエスを通して告げ知らせられるのであるから、「神からの福音」すなわち「神の福音」である。

「時は満ちた!」。これは常に福音の第一項である。福音はいつも神の約束の成就として宣べ伝えられる。予言の時、準備の時は満ちた。今や実現の時、成就の時が到来した。神が長いイスラエルの歴史の中で準備し、預言者を通じて予め約束してこられた最終的・決定的な御業が為される時が来た。このことが「福音」なのである。前講で見たように、イエスは荒野で深く聖霊の啓示を受け、御自身が聖書を成就する者であることを受け止めておられた。その事実を宣言する第一声が、この「時は満ちた」である。それ故この宣言は、「神の国」の実現がどこか他の所で起こる出来事であるかのように、第三者として報告する性質のものではない。イエスは神の国がご自分の中に実現して到来していると宣言しておられるのである。
 このようにイエスはイスラエルに約束されていた「神の国」が成就・実現したことを宣べ伝えられたのであるが、それではイエスの出現はイスラエルの民だけに意味のあることであろうか。そうではない。準備・予言としてのイスラエルの歴史と、その実現・成就としてのイエスの出現、とくにその十字架の死と復活、この全体が世界のために為された神の救いの業を形成するのである。この約束の歴史の記録(旧約)と成就の証言(新約)という構造をもつ聖書全体が、世界への神の言葉を形成するのである。
 「神の国は迫り来ている!」。「神の国」はイエスの中に実現しているのであるから、「神の国はすでに来ている」と言うことができる。しかし他方、神がこの世界を裁き支配される事態はまだ実現していないのも事実である。イエスはヨハネと共に、そのような「神の支配」が差し迫っていることを宣べ伝えておられる。事実、イエスの宣教全体を貫いて、「神の国」はすでに来ているという面と、まだ来ていないがごく近くにまで迫っているという面との両面がある。イエスの宣教においては、「神の国」は現在であり、また同時に未来である。この両面の緊張に満ちた結合が、イエスの「神の国」宣教の独自性を形成する。この両面の関係を追求することは、本講解全体の課題である。
 「迫り来ている」と訳した語は「近づく」という意味の動詞の完了形である。この形は「到来してそこにある」という意味をも持ちうるとの主張もある(C・H・ドッド)が、新約聖書で普通に用いられているように、ここでもやはり「ごく近くにまで来ている」という意味に理解する(W・G・キュンメル)ほうが自然であろう。ただ、語学的にはそうであっても、イエスの「神の国」宣教の要約的宣言の言葉としてはどうしても「すでに到来し、実現している」という面を表現したいので、日本語としては不自然な語法であることは承知の上で、「迫っている」と「来ている」とを合わせて「迫り来ている」としたのである。「神の国」はすでにイエスの中に到来して、そのまじかな顕現に備えるようにイスラエルに迫っていると理解することができよう。
 「立ち帰って、福音を信受せよ」。時は満ち、「神の国」という終末がイエスの中に迫り来ているという報知が「福音」である。この「福音」は聞く者にそれを信じて受け入れるように迫る。それはイエスを信じて、イエスの中に来ている「神の支配」に自己の全存在を委ねていくことを意味している。それが神に「立ち帰る」ことである。神は今イエスを通じて「神の支配」に身を委ねるように最終的に呼びかけておられるのであるから。「信仰」こそ神に立ち帰ることである。道徳的に悔い改めて立派になることではない。多少の道徳的変化くらいで「神の国」に入ることはできない。「神の支配」は人間に全身全霊の転換を要求する。それが《メタノイア》(立ち帰り)である。