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マルコ福音書  第一部(一章〜五章)

     神の国は近づいた

            ―― ガリラヤでの宣教 ――

序の章




1 標題  1章 1節

1 神の子イエス・キリストの福音(ふくいん)のはじめ。

福音(ふくいん)の進展

 その年の春、エルサレムは衝撃を受けた。五旬節の祭りのために聖都エルサレムに集まってきた群衆に向かって、ガリラヤの漁師であったひとりの男が叫んでいた、「あなたがたが十字架につけて殺したナザレ人イエスを神は復活させた。わたしたちはその証人である。この方こそイスラエルに約束されていた救い主メシアである」。
 七週前の過越しの祭りの時、悪霊を追い出し病気を癒すという力ある業で民衆の間で評判の高かったナザレ人イエスが、最高法院で神殿や律法を批判し神を汚す者として死罪の判決を受け、ローマ総督ピラトに引き渡され、十字架刑に処せられたことは人々の記憶に新しいことであった。  
 聴衆の中の多くの者は、その時ピラトの法廷で「彼を十字架につけよ」と叫んだのであった。そのイエスが復活して生きており、この男ペトロとその仲間たちを通して働いている、という。それはペトロたちがイエスの名によって行う奇跡によって否定しようのない事実であった。ごく短期間に数千人の者が、このイエスの復活の証言を信じ、イエスを主と告白するようになった、と伝えられている。信じるものたちへの神の霊の注ぎはいちじるしく、神殿当局のいかなる弾圧もこの信仰の波を止めることはできなかった。
その年とは紀元三二年と考えられる(E・シュタウファー)が、それから僅か二十年ぐらいの間に、イエスを復活し神の右に挙げられた主《キュリオス》であると信じ告白するこの新しい信仰は、エルサレムから始まって広くローマ帝国の各地に波及し、五十年代には首都ローマにも信徒の群があったことが知られている。そして、この時期の目ざましい進展は、地理的な拡大だけでなく、信仰がユダヤ教の枠を超えて、当時のヘレニズム世界の信仰になるという質的展開であった。
イエス復活の告知は初めはユダヤ教の枠の中で行われた。ユダヤ人たちは自分たちを父祖アブラハムに与えられた祝福の約束を受け嗣ぐ者、モーセを通して与えられた啓示と契約にあずかる民、ダビデの子孫が支配する栄光の王国の民となるべき者として、終わりの時にその約束と希望を実現してくれる救済者を待ち望んでいた。そのユダヤ人に、彼らが十字架につけて殺したナザレ人イエスこそ、神が遣わされたメシア(油注がれた王)であり、神はイエスを死人の中から復活させることによってそれを確証し、選ばれた民への約束を成就されたことが宣べ伝えられたのである。イエスは復活によってキリスト(メシアのギリシア語訳)として立てられた。イエスこそキリストである。この方を信じることによって、ユダヤ人は神が約束された終わりの日の救いと栄光にあずかるのである。
ところが、イエス復活の告知がユダヤ人以外の民に及ぶにいたって深刻な問題が起こってきた。ユダヤ人以外の民は、ユダヤ教の立場から見れば異教徒であり、「異邦人」と呼ばれて、神の祝福と約束に縁のないものとされていた。それで、異邦人がイエスをキリストと信じて救いに与り神の民とされるには、まず割礼を受けてモーセの律法を守るユダヤ教徒にならなければならない、と主張する者があった。それに対して、広く異邦世界にキリストを宣べ伝えたパウロは、異邦人は割礼を受けてユダヤ教徒にならなくても、異邦人のままで、イエス・キリストを信じる信仰だけで救われて神の民となる、と強く主張した。この問題は初期の教団をゆさぶり危機的な状況を招いたので、その解決のためにおもだった指導者たちがエルサレムに集まり協議した(四九年)。激論の末、異邦人は割礼を受けてユダヤ教徒にならなくても、信仰によりイエス・キリストの民となる、との立場が認められた。こうして、復活者イエスを信じて神の命と栄光に与る道が、ユダヤ教の枠を破って広く世界に開かれたのである。
 それ以後イエス復活の告知、すなわちキリスト出現の報知は、全世界の民の救いの使信として、当時のヘレニズム世界に広く宣べ伝えられるようになった。神はユダヤ人だけの神ではなく、世界の万民の神である。キリストはユダヤ人だけの救済者ではなく、すべての民にとってキリストである。この使信を宣べ伝える者たちは、自分たちの使信を《エウアンゲリオン》と呼んだ。このギリシア語は「喜ばしい報知」という意味の語であって、王からのよい布告や戦勝の報知に用いられ、時には神的尊崇を受けている皇帝の出生や即位についても用いられていた。今や、イエスは復活して神の右に挙げられ、天と地の一切を統べ治める主《キュリオス》となられた。しかも、それは十字架の上に世の罪を負われた方の復活であるから、罪の支配に対する神の勝利であった。それ故、イエスの十字架と復活の報知は、罪とその結果である死の支配の下にある全世界にとって、その支配を打ち破られた方の即位の報知であって、根元的・決定的な《エウアンゲリオン》である。世界のすべての民族に及ぶ「大いなる喜びの音信」である。われわれはこの《エウアンゲリオン》を日本語で「福音(ふくいん)」と呼んでいるのである。

福音(ふくいん)の原点

 このような福音の進展の歴史を背景として本福音書の冒頭の一句を見るとき、その意義はおのずから明らかであろう。著者は福音の歴史的展開の大いなる流れの中に身を置く者、また自ら福音を宣べ伝える者の一人として、しかも福音の展開の歴史において初めて、それを文書の形で成し遂げようとして筆をとっている。そして最初の一句に自分が書こうとしている内容の全体の重みを込めて書き下ろす。

「神の子イエス・キリストの福音のはじめ」。(一章一節)

 著者が「イエス・キリストの福音」という時、それはこれまで見てきたように、イエスを復活されたキリストとして宣べ伝える報知以外のものではない。この理解は、「神の子」という称号が添えられていることからも確認される。というのは、著者はこの福音書を広くヘレニズム世界の諸国民に向かって書いていると考えられるが、当時のユダヤ人以外の諸国民の間では、キリストという名はもはやユダヤ教でいう終末的救済者の称号とは理解されなくなっており、「イエス・キリスト」という一つの固有名詞になっていた。そのため、この方が復活して神の右に上げられた方であることを示すためには、ヘレニズム世界の人々に理解されやすい「主《キュリオス》」とか「神の子」という称号が用いられ、「主イエス・キリスト」とか、「神の子イエス・キリスト」、「御子キリスト」と呼ぶようになっていた。このような事情から見ると、著者が「神の子イエス・キリストの福音」という時、それは先に見たような、復活されたイエスをキリストとして宣べ伝える報知を意味していたことは確かであると考えられる。

たしかに、「神の子」という句を欠く写本もある。このように重要な語句は、写筆のときに省略する可能性よりも、付け加える可能性の方が大きいという写本の基本的傾向を考えると、原本には「神の子」の句はなかったのかもしれない。しかし、上述の背景と、イエスを神の子として示そうとしている本書の内容からすると、「神の子」の称号が付加だとしても、それは標題の意味を明確にする必然的なものであると言える。

 ところで、「イエス・キリストの福音」という表現は、イエス・キリストが宣べ伝えた福音という意味にも理解される。事実、著者がこの福音書で書いている内容は、イエスが地上でその言葉と教えにより、またその働きと生涯を通して神の国を宣べ伝えられたことである。著者はそれも「福音」と呼んでいるのであるから(たとえば一章一四節)、この標題は「イエス・キリストが宣べ伝えた福音」と理解しても、十分その内容にふさわしい標題であると言える。その場合、「福音のはじめ」という表現は、バプテスマのヨハネの宣教がイエスの福音活動の発端をなす、という意味になる。
 しかし、当時「福音」という用語が、先に見てきたように、「復活したイエスを神の右に上げられた主キリストとして告げ知らせる報知」という意味で広く用いられていたという背景から見ると、著者がこの意味と無関係にこの語を用いているとは考えられない。すると、この二つの意味の「福音」はどのような関係になるのであろうか。実は、この関係の理解に「福音書」の本質を理解する鍵がある。
 著者はそれを「福音のはじめ」という表現で示唆しているのである。著者はイエスの地上の働きを書き記して、これが「福音の《アルケー》」である、と言っている。《アルケー》というギリシア語は、始まり、起源、原点、根源というような意味の語である。地上のイエスの言葉と教え、その働きと生涯の事実こそ、エルサレムから始まり今や全世界に宣べ伝えられ、万民に救いを与え、新しい時代をもたらしている「復活者キリストの福音」の発端であり、根源であると言っているのである。そして、この発端・根源を語ることによって、キリストの福音を宣べ伝えようとするのである。
 発端であるから、成就しあらわになった福音とは違った姿で現れている。しかし、同質のものを萌芽として含んでいる。イエスが宣べ伝えられた神の国の使信は、使徒たちが宣べ伝えた復活者キリストの福音と同質の現実を語っている。また、イエスの地上の生涯の事実は福音の根元であるから、福音はこれから切り離されては存立できない。根から切り離された植物のように、内容空疎な形骸となって枯死する。だから、著者がその発端・根元を語ることによってキリストの福音を宣べ伝えようとして、はじめてこのような「福音書」を書いたことは、福音の展開の全歴史にとって画期的な意義をもち、最大級の貢献である。
 著者が一節の冒頭に置いた《アルケー》という語の重さを知るためには、この福音書を新約聖書の最初に置いてみるとよい。本福音書は年代的に四つの福音書の中で最初のものであるだけでなく、マタイ福音書とルカ福音書が本福音書に依存して書かれたという事情を考えると、そうするのが本来の順序であろう。事実、岩波文庫版の塚本訳「福音書」は、マルコ福音書を最初に置いている。そうすると、新約聖書は《アルケー》という語で始まることになる。これは旧約聖書の冒頭の「はじめに」という語と対応して、新しい《アイオーン》(時代)の開始を告げるラッパの響きとなる。
 「はじめに」神は天と地を創造して、人をその中に置かれた。ところが、人は神に背き、その歴史は罪と死が支配するものとなった。その歴史の終わりにいたって、神は選ばれた民イスラエルを通して準備してこられた救いのみ業を成し遂げ、恩恵によって支配し給う新しい《アイオーン》(時代)を開始された。神はその新しい《アイオーン》の支配を「神の子イエス・キリスト」によってなされるのである。今がその時代である。この御子キリストによる神の支配を告知する言葉が福音である。この終末の時代、新しい《アイオーン》を証言するのが新約聖書である。そして、福音はこの新しい《アイオーン》の開始点また原点として、イエスの地上の生涯を提示するのである。古い《アイオーン》の「はじめ」が天地の創造であったのに対応して、新しい《アイオーン》の「はじめ」は、空(から)の墓にいたるイエスの地上の生涯の事実である。十字架・復活にいたるイエスの生涯は、天地の存在以上の重さをもった出来事となる。

福音書の成立

著者

 さて、このように重要な意義をもつ最初の福音書を書いたのはだれであろうか。著者は自分が書いた書の中にその名を残していない。古代教会の伝承は、これを「マルコによる」福音書としている。もし著者がまったく分からなくなっているのであれば、もっと有名な使徒的人物の名が選ばれたであろうと考えられるから、この「マルコによる」という伝承はかなり確実な根拠をもって保持されていたものであるとしてよい。ただ、このマルコが誰であるかについては議論があって、決着していない。
 初代教父のひとりパピアス(一三〇年頃)は、「ペトロの通訳であったマルコが記憶していたことをすべて正確に書き下した」と言っている。使徒行伝に登場する「マルコと呼ばれているヨハネ」はマリアの子で、エルサレムにある彼の家は信徒の集まりの場所となっていた(使徒一二・一二)。バルナバとパウロに連れられてアンテオケに来て(使徒一二・二五)、そこから二人のクプロ(キュプロス)伝道に同行した(使徒一三・五)。ところが、途中からエルサレムに帰ってしまった(使徒一三・一三)。そのため、エルサレム会議の後パウロは伝道旅行に彼を伴うことを拒み、彼はバルナバと行動を共にした。しかし、彼は再びパウロの協力者として名をあげられている(フィレモンへの手紙二四、コロサイ人への手紙四・一〇、テモテへの第二の手紙四・一一)。このマルコがペトロの通訳として働いたかどうかは不明である。また、このマルコが本福音書を書いたという確証はない。しかし、それに反対する議論(たとえばパレスチナの地理に暗いこと)も決定的なものではないので、ここではマルコを著者とする古代教会の伝承を受け入れて、この講解を進めていくことにする。
 もしこのマルコが著者であれば、イエス逮捕のさい、裸で逃げた若者の記事(一四・五一〜五二)は、画家が画面に入れる署名のように、著者が作品の中に書き込んだ自画像であるとの推理も成り立たぬことはない。このマルコの経歴を見ると、自分の家を集会の場所として提供するなど、エルサレム原始教団との関わりが深く、イエスの直弟子たちの伝承を受け継ぐのにたいへん恵まれた位置にいたこと、かつ、パウロらと共にヘレニズム世界の異邦人に広く福音を宣べ伝え、福音の本質と意義についての把握を鍛えられる生涯であったことが分かる。この両面は「福音書」を書くのにもっとも大切な条件である。最初の福音書はもっともふさわしい著者を得たと言える。

年代

 アレキサンドリアのクレメンス(二〇〇年頃)以来、マルコはこの福音書をローマで書いたと言われている。ペトロの第一の手紙(五・一三)も、マルコがペトロと一緒に「バビロン」(帝都ローマを指す)にいることを伝えている。ペトロはネロの迫害の時ローマで殉教した(六四年)と伝えられており、その後マルコは、イエスの出来事の目撃者である「使徒」たちがいなくなる時代のために必要を感じ、イエスの働きと生涯を伝える「福音書」を異邦人信徒のために書いたとされる。また、マルコ福音書には七〇年のローマ軍によるエルサレム神殿の破壊がすでに起こったと示唆する痕跡がないことから、著作はそれ以前であると考えられる。この六四年から七〇年の間という年代からすると、イエス逮捕の時の「若者」は、三十数年にわたる異邦人世界での激しい福音宣教の働きで鍛えられ、五十代の円熟した伝道者となっていたことであろう。

以上は古代教会の伝承を紹介しただけであるが、実際の成立事情については、終章の「93 マルコ福音書の位置」を参照のこと。

構成

 初め、この新しい信仰運動の担い手はペトロを代表とするイエスの直弟子たち、すなわち、イエスが地上で活動されたとき弟子として従い、イエスの復活の顕現に接した者たちであった。彼らは「使徒」と呼ばれ、主イエスから遣わされた者として、福音を宣べ伝え、信徒を指導した。その際、彼らは当然自分の目で見たイエスの働きや生涯の出来事、直接聞いたイエスの言葉や教えを用いた。彼らが伝えたイエスの働きや教えの言葉は、各地の信徒の間で尊ばれ、熱心に伝えられ、注意深く保持された。それは口から口へと伝えられ、信徒たちの間で《パラドシス》(言い伝え、伝承)として定着していった。その中のあるものは、主題によってまとめられ、文書として書きとどめられたようである。
 各福音書の著者はこれらの「伝承」を材料にして、それぞれの福音書を書いたのであるが、その材料の用い方に著者の福音理解の特色が現れることになる。近年、各福音書の著者を諸々の伝承の「編集者」と見て、その編集の仕方の比較分析から、各福音書著者の「神学」を解明しようとする研究方法(編集史的方法)が盛んであるが、本講解は「マルコの神学」を解明しようとするものではないので、この問題に立ち入ることはしない。しかし、その成果には注目して、マルコがこの福音書によって宣べ伝えようとした「福音」とは何であるかを明らかにしなければならないと考えられる。
 マルコの立場や特色がどういうものであれ、復活された主イエス・キリストの福音を宣べ伝えるにさいしての最大の問題点は、この主キリストであるイエスが十字架刑により刑死した事実である。この事実が何を意味するのかを明らかにすること、これがイエスの地上の生涯を「福音のアルケー」として宣べ伝える福音書の最大の課題である。マルコはそれを、神学的な用語を用いないで、イエスの受難の事実を物語る中で成し遂げている。イエスがご自身の受難を予告されて受難の地エルサレムに向かって旅をされるところも広い意味の受難物語に含ませると、「受難物語」は実にこの福音書の二分の一を占めている。諸福音書を「拡大された序論をもつ受難物語」であるとしたM・ケーラーの言葉は、このマルコ福音書にもっともよく適合する。
 マルコは「福音のアルケー」としてのイエスの地上の宣教活動を、ほぼ次のような構成で物語っている。

一 ガリラヤでの宣教     一章〜五章
二 エルサレムへの旅     六章〜一〇章
三 エルサレムでの受難    一一章〜一六章

 この構成の詳細と意義、また本福音書の文体や内容の特色などについては、講解の中の適当な箇所で触れることにする。

福音書講解の課題

 マルコはイエスの伝記を書こうとしたのではない。また、自分の神学を説こうとしたのでもない。あくまでも、当時のヘレニズム世界に向かって「神の子イエス・キリストの福音」を宣べ伝えようとしたのである。本講解は、マルコがしようとしたのと同じことをしようとしている。すなわち、マルコはイエスの地上の生涯と教えに関する伝承を用いて「キリストの福音」を宣べ伝えたのであるが、本講解はマルコが書いたことの解明を通して、今の時代に「キリストの福音」を語ろうとするのである。
 その際、わたしはこう確信している。イエスが宣べ伝えた「神の国の福音」と、使徒たちやマルコが宣べ伝えた「神の子イエス・キリストの福音」とは同じ質の現実である。それは共に、聖霊によって終末的事態が地上に到来して現れている姿である。そして、今われわれも信仰によって聖霊を受け、同じ終末的な場に入ることができる。また、そうしなければ、すなわち聖霊を受けて自ら終末的現実の場に生きるのでなければ、福音書を理解し、講解することはできない。
 本講解がこのような重い課題をどれほど果たしうるか、神のみ知りたもうところである。ただ、「信仰の量りにしたがって」、聖霊の御助けを祈り求めつつこの課題に向かうのみである。