市川喜一著作集 > 第2巻 キリスト信仰の諸相 > 第8講

第三部 愛の諸相

     第一講 父の慈愛

            ― イエスの「神の国」宣教における愛 ―

はじめに

 あらゆる宗教体験は、自己の存在が何らかの形で宇宙の根源、存在の根源と触れ合う体験であると言うことができます。それが人格的な交わりとして体験されるときは、その根源存在は「神」と呼ばれ、神秘的な合一として体験されるときは、その体験の質と文化的背景に応じて、「無」とか様々な名で語られます。どのような形をとるにせよ、宇宙の根源が愛であることを体験することほど、人間の全存在を掴む深い宗教体験はありません。
 聖書は人間がこの宇宙の根源的存在と人格的に出会った体験の記録です。聖書はその根源存在を「神」と呼びます。ただし、聖書は人間が神を追求して得た体験の記録ではなく、神が人間に働きかけて起こった出来事の記録です。旧約聖書はイスラエルの民の歴史の中で、新約聖書はイエス・キリストを通して、人間が神と出会った体験の記録です。
 旧約聖書においてもイスラエルは主ヤハウェを愛の神として体験していますが、その愛の側面はややもすると律法を与え義によって裁く厳しい面に隠されがちです。それに対して新約聖書ではイスラエルに限定されないで、広く人間に対する神の愛の啓示が前面に出てきています。旧約聖書における劇的な神の愛の啓示を跡づけることは重要な課題ですが、それは別の機会に譲り、今回は新約聖書における神の愛の啓示に集中したいと思います。
 まず本講(第一講)で、イスラエルの宗教的体験の伝統の中で行われたイエスの宣教において神の愛がどのような形で現れているのかを、また続く二講で、イエスの十字架と復活によって成立したキリスト信仰において、根源存在を愛として体験することがどのように起こったのかを、まず使徒書簡の主要部分をなすパウロ書簡において(第二講)、さらにその後の展開をヨハネ文書を中心に見ながら、そのような愛の体験が現実の生活にどのように関わるのかという問いも視野に入れて(第三講)、今回の「愛の諸相」の三講で追求してみたいと思います。

イエスの「神の国」宣教

「父」の啓示

 イエスの宣教を要約する重要なキーワードが二つあります。《アッバ》と《バシレイア》です。今回はこの二つの語を手がかりにして、イエスの宣教の内容をまとめてみましょう。
 《アッバ》という語はイエスの時代のユダヤ人が日常用いたアラム語で、もともとは幼児が父親を呼ぶときの語でした。しかし、イエスの時代には成人の間でも親しい家族の間で「父」を指すのに用いられるようになっていたと言われています。イエスは祈るときいつも神に《アッバ》と呼びかけ、神のことを語られるときにもっぱらこの《アッバ》をいう名を用いられました。これは当時のユダヤ教社会では他に例のない呼び方で、イエスの独自性をもっともよく示す事実です。旧約聖書とユダヤ教文書には神を父と呼ぶことは皆無ではありませんが、イエスのように徹底して神を父と呼び、父としての親しさの中に生き、宣べ伝えた人物は他にありません。
 イエスはご自分が《アッバ》と祈られただけでなく、弟子たちにも《アッバ》と祈るように教えられました。弟子が「わたしたちにも祈りを教えてください」とお願いしたとき、イエスは「あなたがたは祈るとき、『父よ』と言いなさい」と教えられました(ルカ一一・二)。福音書はギリシャ語で書かれていますから、この「父よ」はギリシャ語です。しかし、弟子たちはイエスからは《アッバ》というアラム語で聞いたはずです。また、弟子たちはイエスがいつも《アッバ》と祈っておられる声を聞いていましたから、この《アッバ》というアラム語は簡単に他の言語に置き換えることはできなかったのです。それで、弟子たちがギリシャ語で福音を宣べ伝えるようになったときも、イエスの祈りの言葉として《アッバ》はアラム語のままで伝えられ、その結果、ギリシャ語を話す教団でも聖霊に導かれて祈るとき、「アッバ、父よ」とアラム語とギリシャ語が並ぶようになったのです(ガラテヤ四・六、ローマ八・一五)。ギリシャ語で書かれた福音書にも、ゲッセマネの祈りのような、弟子たちの耳に深く刻印されたイエスの祈りには《アッバ》というアラム語が残っています(マルコ一四・三六)。
 神を父とすることは自分をその方の子と自覚することです。イエスが父を知る子として、父としての神を人々に伝える使命をたとえで語られた言葉が伝えられています。

「すべてのことは、わたしの父からわたしに任せられています。父親のほかに、息子がどういう者であるかを知る者はなく、父親がどういう者であるかを知る者は、息子と、その息子が示そうと思う者のほかには、だれもいません」。 (ルカ一〇・二二、マタイ一一・二七私訳)

 この節の後半はたとえであることが分かるように訳しました。職人がその秘伝のすべてを息子だけに伝えるように、父としての神の奥義を委ねられた子として、この父を世に示すことが自分の使命であると、イエスはここでたとえで語っておられるのです。そして事実、イエスの宣教の働きは、その力ある業と教えの言葉によって、人々に父がどのような方であるかを啓示し、父のもとに帰るようにという招きになるのです。

《バシレイア》の宣教

 もう一つのキーワード《バシレイア》は、王《バシレイウス》の支配、すなわち「王の支配」とか「王国」を意味するギリシャ語です。福音書では「イエスは神の《バシレイア》を宣べ伝えた」という形でよく出てきます。「神のバシレイア」とは、神が王として支配される現実、「神の王国」とか「神の支配」のことです。日本語訳聖書では普通「神の国」と訳されています。ただ、「国」という語には領土のイメージが強いのですが、聖書の「神のバシレイア」には領土の意味はなく、神と人間の関わり方を指していますので、「神の支配」という表現の方が適当であると思われます。また《バシレウエィン》(支配する)という動詞に対応する名詞としても「支配」という訳語が適当でしょう。ただ、「イエスは《バシレイア》の福音を宣べ伝えられた」というように、《バシレイア》が単独で用いられている場合(マタイ四・二三、九・三五)は、「御支配」よりも「御国」の方がよいかもしれません。
 マタイ福音書は神の名をみだりに口にしないというユダヤ人の習慣から、「天のバシレイア」という表現を用いています。これは他の福音書でいう「神の国、神の支配」とまったく同じことです。これを「天国」(協会訳)と訳すことは誤解を招きます。日本語で「天国」というと死後の世界を意味していますが、これは福音書がいう「天のバシレイア」とは全然別のものですから。誤解を避けるためには、「天の支配」とか「天の王国」(岩波版佐藤訳)、すくなくとも「天の国」(新共同訳)とすべきでしょう。本講では、日本語訳聖書が用いている馴染み深い「神の国」という表現が「神の支配」のことであることを印象づけるために、あえて両方の表現を並用しています。
 福音書(とくに共観福音書)は、イエスの宣教の内容を《バシレイア》をいう語で要約しています(マルコ一・一五、マタイ九・三五、ルカ四・四三など)。イエスはその力ある業と教えの言葉で「神の支配」の到来を告知されたのです。イエスがご自分の宣教内容を「神の支配」と呼ばれたのは、この語が当時のユダヤ人の間で待望されていた神の救済の時を指すのに広く用いられていたからです。しかし、イエスはこの語に、他には見られない新しい独自の内容を盛って用いられたのです。イエス独自の内容を際だたせるために、イエスが出現された時代のユダヤ教社会において、「神の支配」とか「神の国」がどのような意味で用いられていたのかを概観しておきましょう。
 その時代のユダヤ人の宗教生活の中心はエルサレム神殿でした。そして神殿での神礼拝を指導したのは大祭司を頂点とする祭司たちでした。祭司たちは「神の支配」というような標語は掲げませんでしたが、祭司たちにとって神殿とそこでの祭儀こそ、神の支配が具体的に実現している場でした。神殿祭儀の遵守によってイスラエルは「聖なる民」、すなわち神に所属する民、神の支配の中にいる民となるのです。このようなイデオロギーに立つのがサドカイ派で、サドカイ派はエルサレム神殿とその祭司の支配という形で「神の支配」を民に押しつけていたと言えます。
 サドカイ派に対抗して、民衆の生活の場でモーセ律法の実現、「聖なる民」の実現を目指したのがファリサイ派です。変化する状況の中で律法を実行しようとすると、成文化され固定したモーセ律法を解釈して適用しなければなりません。この律法の解釈を担当したのが「律法学者」たちであり、彼らの律法解釈は弟子に口頭で伝承されて蓄積され、それが「先祖たちの言い伝え」として、成文律法(モーセ五書)と同等の権威のある律法とされました。ファリサイ派にとって、成文律法と口伝律法の両方を含む「律法」に服従することが、「神の支配」に服することでした。彼らはそれを「律法の軛を負う」と表現しました。ファリサイ派にとっては「神の支配」は「律法の支配」でした。
 福音書には言及されていませんが、当時のユダヤ人歴史家ヨセフスによりますと、サドカイ派とファリサイ派に並んで、エッセネ派と呼ばれるもう一つの有力な信仰運動がありました。二十世紀中ごろ死海北西部の荒野クムランの洞窟で発見された「死海文書」は、そこに修道院的な共同生活を営んだエッセネ派共同体の文書であると見られます。死海文書によりますと、彼らはファリサイ派以上に律法遵守に厳格で熱心な人たちでした。彼らは、律法の正しい解釈を啓示された「義の教師」と呼ばれる祭司的人物(おそらく前二世紀の人)に導かれ、エルサレム神殿の祭儀と大祭司を正統でないとして対立し、荒野に逃れて独自の祭儀と律法遵守の生活を営む修道院的共同体を造ったのです。この宗団に加入するには、二年間の厳しい試験期間の後、全財産を宗団に献げなければなりませんでした。彼らにとって「神の支配」とはこの共同体の中に実現している律法の支配だったのです。
 さらに、ヨセフスが「第四の哲学」と呼んだ「熱心党」《ゼーロータイ》の運動があります。おそらくこれはファリサイ派の中の過激派から出たと考えられます。律法を完全に実現するには、異教徒の支配者を追い出し、ユダヤ人の中で異教徒支配者と妥協する者を除かねばならない。そのためには武力を用いてもよいとし、妥協的なユダヤ教指導者を暗殺し、ローマの支配に対して武力反乱を試みたのです。彼らの運動はついにローマに対する全面的な戦争(ユダヤ戦争)を引き起こし、エルサレム神殿の崩壊を招きます。彼らにとっては「神の支配」は実際の政治においても、神だけが王として支配する体制であったのです。

預言者イエス

 このようにイエスの周辺では様々な形で「神の支配」が説かれ、待ち望まれていました。しかし、どの派の運動にも共通する基盤はモーセ律法への忠誠です。「神の支配」は律法による神の裁きの貫徹です。その中でイエスが宣べ伝えられた「神の支配」は、モーセ律法を超える面があり、そこに当時の諸々の「神の国」運動と決定的に異なる点があるのです。それが本講の主題ですが、主題に入る前にイエスの「神の国」宣教のもう一つの面に触れておかねばなりません。
 様々に異なる様相を示す当時の「神の支配」待望に、一つの共通の色彩がありました。それは終末的な色彩、すなわち「神の支配」が実現する終末の時が近いという期待です。エッセネ派や熱心党に終末的な待望が強烈であったことは明かですが、ファリサイ派については議論があります。七十年のエルサレム陥落以後のユダヤ教を担ったファリサイ派は、その悲運の原因となった終末的・黙示思想的傾向を厳しく排除しました。現代の非終末的なファリサイ派像は、それ以後に成立したラビ文学に基づいて形成されているようです。しかし、七十年以前のファリサイ派は、M・ヘンゲルが示すように、かなり終末的色彩が強かったと見られます。ただサドカイ派には終末的色彩は希薄であったようです。神殿の外で、民衆の間に広まった「神の国」運動には終末的色彩が共通していたと言えるでしょう。
 そのような終わりの日が近いことを叫んだ代表的な預言者が洗礼者ヨハネです。イエスもはじめはヨハネの運動に身を投じ、ヨハネからバプテスマを受けられました。ヨハネが捕らえられた後ガリラヤで宣教を始められたとき、ヨハネと同じ言葉で神の支配の近いことを叫ばれたと伝えられています(マタイ三・二と四・一七)。イエスの宣教活動に預言者としての面があることは明かです。イエスもご自分の働きと死を預言者のそれとしておられます(ルカ一三・三三)。
 預言者としての一面をもっとも確かに示すのは、イエスがエルサレム神殿の崩壊を予言されたという事実です。一世代後に起こるエルサレム神殿の崩壊を予言したのは、その時代にはイエスだけでした。この預言がイエスの告発と死刑のきっかけになったのです。イエスは終わりの日に神から派遣された預言者として、民の背信を暴き、神の裁きを告げ、終わりの日の切迫を語られたのです。預言者としてのイエスが叫ばれる「神の支配」は、神の裁きの貫徹です。

終末的な預言者としてのイエスを理解する上で重要なキーワードに、「人の子」という句があります。この句についてはマルコ福音書講解などで触れていますので、ここでは省略します。

 預言者としてのイエスは時代に属する方です。すなわち、イスラエルの歴史のあの危機的な時代に、その時代に向かって神の使信を語るという使命を果たされた方です。しかし、イエスは預言者以上の方です。イエスの《バシレイア》宣教には時代を超えた使信、人類への啓示という永遠の面があります。それが本講の主題です。

恩恵の支配

貧しい者は幸いである

 マタイ福音書の五章から七章までのイエスの言葉集は、よく「山上の垂訓」と呼ばれますが、これは教訓を与えるという性質のものではなく、まさにイエスが宣べ伝えられた《バシレイア》の福音に他なりません。それは、マタイがまとめた「御国の福音」(マタイ四・二三)なのです。ルカも同じように六章(一七節以下)で、イエスが宣べ伝えられた「神の国の福音」(ルカ四・四三)をまとめています。
 両方とも「貧しい人々は幸いである、神の国はあなたがたのものである」という言葉で始まっています。イエスの「神の国の福音」は、この冒頭の言葉にもっともよく凝縮されて示されています。

マタイでは「霊の貧しい人々」となっていますが、「霊の」という句はマタイによる解説的な付加であって、イエスの元の言葉は単純な「貧しい人々」であったと考えられます。詳しくは拙著『マタイによる御国の福音――山上の説教講解』の「貧しい者」を参照。

 イエスの回りには病人や障害者、貧困階層の人たち、取税人や遊女のような社会から疎外された人たちが大勢集まっていました。そのような人々に向かってイエスは開口一番、「あなたがた貧しい人たちは幸いである。神の国はあなたがたのものなのだから」と言われるのです。「貧しい人々は幸いである!」。これは大胆な宣言です。価値の逆転が起こっているのです。
 「貧しい者」というのは、収入や資産が少なくて貧困生活をしている人たちのことではありません。ユダヤ教社会では、律法を知らず、律法を守る生活をすることができない人々は「罪人」と呼ばれて、神の民としての資格のない者とされていました。イエスはそのような人々を、「罪人」とは呼ばず、預言者や詩編の伝統に従って「貧しい者」と呼ばれるのです。そういう意味の貧しい者を、マタイは「霊の貧しい者」と表現したのです。「霊の貧しい者」と実際に貧しい者は、多くの場合重なっています。しかし、イエスが「貧しい者」と呼ばれるのは、神との関わりにおいて貧しい者、すなわち、律法を守ることができず、神の民としての資格のない者、自分の側に誇ることができる何の価値も持っていない者のことです。
 そういう人たちに向かってイエスは、「神の国はあなたがたのものだ」と宣言されるのです。神はそのように何の価値も資格もない者を、無条件でご自分の民として受け入れてくださっているという宣言です。一般に、受ける資格のない者に無条件の好意からよいものを与えることを「恵み」とか「恩恵」と言います。神からの何のよいものを受ける資格のない者が、神の国に入るという至高の祝福を受けるという逆説をイエスは語られるのです。「貧しい者は幸いである」という言葉によって、イエスは神の無条件の恩恵を告知しておられるのです。
 イエスはご自分の使命をイザヤの預言の成就として、次のように語っておられます。

「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである」。(ルカ四・一八〜一九)

 ここで「貧しい人に福音を告げ知らせる」ことは、解放、回復、自由を与えるという形で実現し、それが「主の恵みの年を告げる」こととまとめられます。イエスが病人や障害者を癒し、悪霊を追い出し、貧しい人々に「神の国はあなたがたのものだ」と福音を告げられるとき(ルカ七・二二)、神の圧倒的な恩恵の支配の時が来たことを告げておられるのです。裁きによる神の支配の貫徹ではなく、恩恵という原理による神と人との新しい関わりの時代が到来したことを告知しておられるのです。
 ルカがイザヤの預言を引用するさい、「主が恵みをお与えになる年、わたしたちの神が報復される日を告知して」(イザヤ六一・二)という平行表現の中から、「報復される日」を抜いていることが注目されます。これがイエスご自身から出たことか、ルカの編集の結果であるのかは別にして、新約聖書がイエスの宣教を裁きの告知ではなく、恩恵の告知であると提示していることを示す一例です。
 こうして、イエスが宣べ伝えられる《バシレイア》(神の支配)とは、ファリサイ派の「律法の支配」でもなく、エッセネ派クムランの黙示思想的終末でもなく、ゼーロータイの神政政治体制でもなく、「恩恵の支配」のことです。そして、ここにこそイエスの《バシレイア》宣教の本質と独自性があるのです。罪人を招くためにイエスが告知される「神の支配」とは「恩恵の支配」のことですが、そのさい「支配」というのは力づくで相手を従わせることではありません。神の恩恵という原理が、人間の側のあらゆる状況や条件を粉砕して、神と人との関わりの中で圧倒的な姿で現れていることを指しています。そのように、神の恩恵が人間の側のマイナスの状況に勝利し、漲り溢れている現実を、人間社会に見られる「支配」という現象をたとえとして用いて表現しているだけです。ここでイエスの宣教活動において「恩恵の支配」がどのような形で現れているのか、ごく僅かに限られますが、実例を見ておきましょう。

「恩恵の支配」の実例

 まず、イエスの「恩恵の支配」の告知は、イエスが取税人や遊女というような、当時のユダヤ教社会では「罪人(つみびと)」と呼ばれて蔑(さげす)まれていた人たちと食卓を共にされたという振る舞いに、もっとも具体的に示されています。神の聖なる律法を守る「義人」は、律法を守らないで汚れている「罪人」と交わることを、聖を汚す行為として厳しく避けました。それで、イエスがそのような人々と食卓を共にして、彼らを自分の仲間とされたとき、「義人」たちはイエスを激しく非難しました(マルコ二・一五〜一六)。それに対してイエスはこう言われました。

「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである」。(マルコ二・一七)

 「罪人」、すなわち神の民として受け入れられる資格のない者を、イエスは無条件に自分の仲間、共に神の国に属する者としておられるのです。こうしてイエスは取税人レビを弟子とされました(マルコ二・一四)。 姦淫の現場で捕らえられ、律法の規定により石打ちにされようとした女に、イエスは「わたしもあなたを罪に定めない」と言われました(ヨハネ八・一一)。「罪深い女」として知られていた遊女が、無条件の恩恵に感激して、感謝の涙でイエスの足をぬらしたとき、イエスは彼女に「あなたの罪は赦されている」と語られました(ルカ八・三六〜五〇)。イエスを自分の家に迎え入れた「罪深い」取税人の頭ザアカイに、イエスは「今日、救いがこの家を訪れた」と言われました(ルカ一九・一〜一〇)。ご自分と並んで十字架につけられた盗賊に、イエスは十字架の上から言われました、「あなたは今日わたしと一緒にパラダイスにいる」(ルカ二三・四三)。
 罪人を招くイエスを批判する律法学者たち(彼らは恩恵を必要としない人々です)に向かって、イエスは言われました、「はっきり言っておく。徴税人や娼婦たちの方が、あなたたちよりも先に神の国に入るだろう」(マタイ二一・三一)。自分の所有物に頼る「富める者が神の支配に入るより、らくだが針の穴を通るほうがやさしい」のです(マルコ一〇・二五)。また「神の国」に入る者についてこう言われました。「はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない」(マルコ一〇。二五)。こういうお言葉は、イエスが宣べ伝えられる「神の国」とは恩恵の支配であることを理解するとき、その本来の意味を現してきます。

「恩恵の支配」のたとえ

 このようにイエスが「罪人」を無条件で受け入れてくださる神の恩恵を示されたとき、律法の規定を守っていることを誇るファリサイ派の「義人」たちは、イエスを厳しく非難しました。もし「罪人」がそのまま神の国に受け入れられるのであれば、律法を守ることは意味を失います。彼らの誇りはなくなります。彼らの立場からすれば、イエスは律法の神聖を汚す背教者です。
 その非難に対してイエスはたとえを用いてお答えになりました。先に引用した医者と病人のたとえは代表的な例です。イエスが語られたたとえの中の多くのものは、彼らの批判に対して「恩恵の支配」を擁護するために語られたものです。たとえばルカ福音書一五章には「見失った羊」、「無くした銀貨」、「放蕩息子」という有名な三つのたとえが集められています。この三つのたとえが「恩恵の支配」のたとえであることは、たとえ集の初めに置かれた序文から明らかです。

徴税人や罪人が皆、話を聞こうとしてイエスに近寄って来た。すると、ファリサイ派の人々や律法学者たちは、「この人は罪人たちを迎えて、食事まで一緒にしている」と不平を言いだした。そこで、イエスは次のたとえを話された。(ルカ一五・一〜二)

 イエスが「罪人をたちを迎えて、食事まで一緒にして」、彼らが「罪人」と呼ぶ人々(イエスが「貧しい者」と呼ばれる人々)を無条件で受け入れられる神の圧倒的な恩恵を告げ知らされたことを、ファリサイ派の人々や律法学者たちが非難しました。「そこで」イエスは、「彼らに向かって」この三つのたとえを語られたというのです。
 最初の「見失った羊」のたとえでは、百匹の羊の内一匹を見失った羊飼いが、九十九匹を残して見失った一匹を捜し回り、見つけて喜ぶ様が語られます。そのように、「悔い改める必要のない九十九人の正しい人」よりも「悔い改める一人の罪人」を神は喜ばれるのだとイエスは言われるのです。「悔い改める」とは、個々の悪い行為を悔いて、生活を改めることではありません。神の恩恵を素直に受け入れて、神のもとに立ち帰ることです。自分は律法を守り正しい生活をしているのだから神の恩恵を必要としないと誇る者よりも、神の恩恵だけに頼る「罪人」を神は喜ばれるのです。第二の「無くした銀貨」のたとえも同じことを言っています。
 第三の「放蕩息子」のたとえは一番長くて詳しい物語です。このたとえでは普通、弟の悔い改めと無条件で迎え入れる父親の慈愛に焦点が当てられますが、たとえ全体の主題は帰ってきた弟と、その弟を迎え入れる父親に不平を言う兄との対比です。イエスは、神の恩恵を感謝の涙で受け入れる「罪人」に対して不平を言う「義人」たちに向かって、兄の不平をたとえとして彼らの不平をたしなめ、たとえの中の父親のように、いかなる人間をも無条件で受け入れてくださる神の絶対恩恵こそ「神の支配」の核心に他ならないことを説いておられるのです。
 批判者に対する弁証のたとえだけではなく、「神の支配」が神の無条件絶対の恩恵の支配であることを説くたとえは他にもあります。たとえば「仲間を赦さない家来」のたとえ(マタイ一八・二三〜三五)や「ぶどう園の労働者」のたとえ(マタイ二〇・一〜一五)などがそうです。両方とも「天の《バシレイア》は次のようにたとえられる」という句で始まっています。
 「仲間を赦さない家来」のたとえは「決算をする王」のたとえとも言えます。このたとえは仲間を赦すように諭すたとえですが、その前提に家来たちは無条件に赦す王の支配の下にあることが語られています。「神の支配」とは、このように無条件に赦す恩恵の支配であるから、その場に生きる者は仲間を赦すべきであるという教えです。
 「ぶどう園の労働者」のたとえは、労働者の働きの量に関わらず同じ報酬を与える気前のよい主人のように、神は人間の側の貢献や価値や資格に関わらず与える方であることが示されています。このたとえでも、「放蕩息子」のたとえの兄のように、多く働いて同じ報酬しか受け取れなかったために不平を言った者への反論が含まれています。

恩恵の場に生きる

絶対愛

 このように、イエスが宣べ伝えられた「神の支配」の実質は「恩恵の支配」であることが分かります。恩恵とか恵みというのは、受ける資格のない相手に無条件でよいものを与える行為ですが、その行為の背後には、相手の価値を問わないで無条件に相手を受け入れる「愛」があります。「愛」とは、相手と人格的に一つになろうとする生命の相(姿)であると言ってよいと思います。人間の愛は「相対」的です。すなわち、相手の価値によって受け入れたり拒んだりする愛です。それに対して神の愛は「絶対」的です。すなわち、相手の価値や資格に絶して(関わりなく)無条件に受け入れる愛です。
 「恩恵」とは、このような絶対的な神の愛が実際に現れて行為している姿です。恩恵と愛とは一つです。恩恵は愛が行為している姿であり、愛は恩恵が発する源としての生命の姿です。イエスが宣べ伝えられた「恩恵の支配」は「愛の支配」であるのです。神の絶対的な愛が、人間の側のあらゆる弱さ、悲惨、抵抗を包み込んで溢れ漲っている現実です。
 イエスが神を「アッバ(父)」と呼ばれるのは、イエスが根源存在を愛として体験されたことの表現です。イエスは聖霊を受けて、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適うものである」と天からの声を聞かれました(マルコ一・一〇〜一一)。すなわち、イエスは聖霊によって父との交わりに入っておられるのです。イエスは聖霊によって神を愛として体験し、その方を父と呼んで、体験された圧倒的な父の愛の支配を告知されるのです。それで、イエスの宣教の全体は次の一句に帰します。

「あなたがたの父が慈愛深いのだから、あなたがたも慈愛深い者でありなさい」。(ルカ六・三六私訳)

 普通このお言葉は「父が慈愛深いように」と訳されますが、「ように」という語はわたしたちが慈愛深い者となる程度とか目標を示すのではなく、根拠を示しています。父が慈愛深い方であり、あなたがたはその父の慈愛によって生きているのであるから、お互いに慈愛深い者でありなさいというのです。その意味を明確にするために「慈愛深いのだから」と訳しました。
 この関係は先に引用した「仲間を赦さない家来」のたとえにも出ています。仲間を赦さなかった家来に対して、王はこう言います。

「わたしがあなたを赦したように(赦したのだから)、あなたも仲間を赦すべきではないか」。(マタイ一八・三三)

 この文の直訳は「わたしがあなたを憐れんだ(恵みを与えた)ように、あなたも仲間を憐れむ(恵みを与える)べきではないか」となります。このたとえでは、恵みを与えることが「負債を赦す」という具体的な行為をたとえとして語られているのです。このたとえ方は「主の祈り」にも用いられます。

「わたしたちの負債を赦してください、わたしたちも自分に負債のある人を赦しましたように」。(マタイ六・一二)

 この祈りでは、自分が仲間を赦したことを根拠にして、自分が赦されることを祈り求めているように見えます。しかしこれは、(すでに「主の祈り」講解で詳しく述べたように)自分が神の赦しの場に留まっていることを申し述べて、神の赦し(恵み)に自己の存在を委ねている祈りに他なりません。ただ「自分に負債のある人を赦しました」という行為によって、自分が神の赦し(恵み)の場に留まっていることを告白しているのです。もし人を赦さないならば、先の「仲間を赦さない家来」のように、自分を神の赦し(恵み)の場から追い出すことになり、「わたしの負債を赦してください」とは祈れなくなります。
 こうして、恩恵が支配する場では、父がわたしたちに慈愛深いことと、わたしたちがお互いに慈愛深くあることが一つになります。どちらが欠けても「恩恵の支配」は成立しません。それで、「あなたがたの父が慈愛深いのだから、あなたがたも慈愛深い者でありなさい」という言葉が、「恩恵の支配」の場の究極の法則となり表現となるのです。

敵を愛しなさい

 イエスは律法学者たちと共に、「自分自身を愛するように隣人を愛しなさい」(レビ一九・一八)という戒めを神の最高の戒めと認めておられました。ただ「隣人」の理解が違いました(ルカ一〇・二五以下)。律法学者たちの「隣人」とは同じ民族、同じ宗教の仲間のことでした。自分の民族や宗教の外にあって敵対する者は除かれました。むしろ、「隣人を愛し、敵を憎め」と言われていました。それに対してイエスは、敵をも「隣人」の中に含ませて、「敵を愛しなさい」と言われるのです(マタイ五・四四)。
 これは、イエスが宣べ伝えられた「恩恵の支配」の自然の帰結です。父の恩恵は人間の側の価値や資格を問わないで注がれるのです。父の慈愛は人間の側の状況に関わりなく無条件に受け入れる絶対の愛です。その慈愛を受けて生きる者は、隣人に対して資格や価値を問わないで、たとえマイナスの価値、すなわち敵対者であっても、無条件に受け入れ、よい意志をもって対せざるをえないのです。こうして、恩恵の場では愛は絶対的となり、「敵を愛し、迫害する者のために祈れ」となります。

赦す愛

 福音書(とくにルカ福音書)では、イエスは「罪の赦し」を宣べ伝えられたとされています。イエスが与えられた「罪の赦し」というのは、個々の律法違反の行為が赦されて無罪と認められるという性質の事柄ではなく、人間の全体が神に対して背いているという在り方にもかかわらず、神は無条件にその人を受け入れてくださっているという出来事を指しています。すなわち、「罪の赦し」というのは神の恩恵の出来事の一つの表現(とくにルカが好んだ表現)なのです。
 このように「赦し」を恩恵の出来事の表現と理解しますと、「赦し」は神と人との間だけでなく、人と人との結びつきを形成する土台であることが理解できます。わたしたち人間は自己中心ですので、自分を物差しにして他人を測ります。そして自分と違う面があればそれを軽蔑したり、悪として拒否しがちです。人種が違う、宗教が違う、言葉(方言)が違う、身分が違う、利害が違うなど、何かが違うことを理由にして相手を受け入れることを拒否します。それが差別です。違いは違いとして認めて、相手をあるがままに受け入れることが、広い意味での「赦し」です。無条件にあるがままの相手を受け入れ、共に生きることが愛です。愛は必然的にこのような意味での赦しを含んでいます。恩恵の支配する場においてはじめて、このような赦しを含む愛が成立します。
 イエスはその「神の国」宣教において、赦しを宣べ伝え、赦しを与えていかれました。そのイエスはご自身、十字架の死に至るまで、赦す愛を貫かれました。イエスは十字架の上で、自分を十字架につけた者たちのために執り成しの祈りをされました(ルカ二三・三四)。また、自分を裏切って逃げ去った弟子たちを恨んで退けることなく、そうなることを知りながら最後まで弟子たちを愛し(ヨハネ一三・一)、復活後には彼らのところに戻って来て、ご自分を現されました。
 こうして、わたしたちは父の愛に生き抜かれたイエスを通して、「恩恵の支配」の福音、すなわち愛の支配の福音を聞くのです。「あなたがたの父が慈愛深いのだから、あたながたも慈愛深い者となりなさい」と、恩恵の場に生きるようにとの招きを聞くのです。幼子のように無条件に恩恵を受けて愛の場に生きること、それがイエスに従うことです。