市川喜一著作集 > 第2巻 キリスト信仰の諸相 > 第6講

第二部 信仰の諸相

     第二講 恩恵の支配としての信仰

宗教における戒律

原始宗教における「タブー」

 どのような宗教にも戒律があります。きわめて原始的な宗教にも、何らかの形で、犯してはならないとされる規制があります。たとえば、原始的な神話・祭儀宗教においてしばしば、「タブー」と呼ばれる禁止された行為があります。これは、特定の事物や人物や行為などを感染性の危険を帯びているものと見なし、それに触れたり、その行為をしたりすることを禁止する規定であって、それに違反すると自動的に災厄に見舞われ、周囲の人々や共同体にも禍いが及ぶと信じられているものです。「タブー」はその共同体の根本的な秩序を維持するための制度ですから、その侵犯は厳しい社会的制裁を受けるのが普通です。「タブー」には様々な形がありますが、代表的な事例は近親相姦です。また、食物に関しても多くあります。旧約聖書の豚などを食べてはならないという規定も、その一種であると考えられます。日本でも、「物忌(モノイミ)」と称して、祭事や凶事にさいして特定の接触や行為を避けましたが、これも同じような現象です。そしてしばしば、この「タブー」を守ることが、その社会の宗教そのものになっているのが見られます。
 もともと宗教は何らかの形で霊と関わる事態ですから、共同体が祭る諸霊(神々とか祖霊)の怒りを買い、共同体に災厄をもたらすような行為は、厳しく禁じられます。そのような禁止規定が、その宗教の「戒律」になっていくわけです。ですから、戒律は本来その宗教の本体そのものではありません。すなわち、聖なる存在と共同体の関わりを形成する働きそのものではないのです。祭儀などによってすでに形成されている神々との関わりを損なわないために、成員が守るべき規定です。それで、戒律には「なになにしてはならない」という禁止命令が多いのです。

仏教の「戒律」

 仏教は悟りを求める宗教であって、諸霊を祭る宗教ではありませんから、その怒りを避けるための戒律はありません。しかし、その仏教にも戒律が多くあります。そもそも、この「戒律」という語は仏教の用語です。仏教においては、ニルヴァーナの境地を求めて、出家してシャカのもとに集い、教えを聴き、修行に励む集団サンガが形成されますが、悟りに到るのを助けるために、それらの出家求道者にいろいろと指示が与えられます。それが「戒律」です。その中で、「嘘をつくな」とか「酒を飲むな」というような、出家修行者が自発的に守るべき倫理節制規定が「戒」であり、僧団の秩序を守るための、処罰を伴う強制規定が「律」と呼ばれます。男性の出家である比丘には二五〇戒、女性の比丘尼には三四八戒が課せられたと伝えられています。
 このように、戒律はそこに到るのを助けるためのきまりであって、悟りの境地という仏教の本体そのものではありません。ところが、その戒律を守ることが仏教の中身であるかのように理解されるようになり、戒律を守る出家中心の閉鎖的な教団になっていきます(小乗仏教)。それに対して、出家と在家の区別なく守ることができる基本的な戒律に限定して、利他の精神をもって自己を完成しようとする大乗戒の動きが出てきます。たとえば、比叡山を開いた最澄も、二五〇戒の廃棄を宣言して大乗戒を確立し、日本の仏教に決定的な影響を及ぼしたのです。ひたすら座禅瞑想によって悟りの境地に達しようとする禅の行き方も、弥陀の本願に対する信仰だけに徹する浄土系の仏教も、戒律化を脱して仏教本来の姿を取り戻そうとする動きであると見ることができます。

ユダヤ教の「律法」

 では、一神教の世界ではどうでしょうか。まず、世界の一神教の母体となったユダヤ教について見てみましょう。もともとイスラエルの信仰の本体は、前講でお話しましたように、神の言葉によって形成されたヤハウェとイスラエルの関わりの事態です。その際、この関わりを形成する言葉とは、広い意味での「約束」です。「約束」とは神の行為を予め語る言葉です。この約束の言葉《ダーバール》と、その言葉を実現する神の行為によって起こる出来事《ダーバール》が、イスラエル宗教の中身です。そこには人間の価値や努力や行為は入ってきません。人間の側でできることは、その約束を信じることだけです。
 神はご自身のみ心のままにアブラハムを選び、彼に子孫を増やし、土地を与え、ご自分の民として祝福を与えることを約束されたのです。神はアブラハムと「契約」を結ばれたと表現されていますが、実体はまったく一方的な「約束」です。神は、アブラハムの子孫が立派な民となったからではなく、価値のない小さい者を慈しまれる恩恵と、約束の言葉に対する信実とによって、小さい民イスラエルを強大なエジプトの支配から救い出して、約束の土地に導き入れられるのです。このように、神とイスラエルの関わりは、神の言葉の出来事として、神の働きによって形成されているのです。
 ところが、その約束の成就の過程で、モーセを通して様々な戒律が与えられたとされています。その戒律はイスラエルでは「律法」と呼ばれています。いったい「律法」とは何でしょうか。それも神の言葉に違いありません。その言葉は、神と民との関わりを形成する上で、どのような意味を持つのでしょうか。そのことを理解するために、もっとも基本的な律法である「十戒」を見ましょう。「十戒」の最初に、前置きとして次のような言葉が語られています。

わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である」。(出エジプト記二〇・二)

 この言葉は、十の戒めの言葉が与えられる前すでに、神とイスラエルの民との間に確固たる関わりが存在していることを示しています。そして、その関わりは神がイスラエルをエジプトから救い出されるという業によって形成されています。しかも、この救出はアブラハムなど父祖に与えられた約束の成就として為されたものです(出エジプト記二・二四)。ですから、この前置きの言葉は、「わたしがあなたをエジプトから救出することによって、事実わたしがあなたの神であり、あなたがわたしの民となっている以上、あなたはこのようなことをすることはない」と言っているわけです。これらの十の戒めを守ることによって、神の民となるように求めているのではないのです。もしこれらの言葉に背いて、するはずはないと言われていることをするならば、現に存在する神との関わりを損ない、約束された祝福を受ける立場を危うくすることになるわけです。ですから、戒めとか律法は、神の約束に基づく祝福を受け継ぐ者の姿を示して、民が約束の受け取り手としての在り方からずれている(それが罪)ならばその罪を示し(ガラテヤ三・一九)、神と民との間に形成されている関わりを保持しようとする言葉です。それは決して、人がそれを行うことによって、神と人との関わりが形成されるというような性質の言葉ではありません。
 ところが、イスラエルの民はこの律法の言葉を、自分がそれを行うことによって神との関わりが形成される依り所にしてしまったのです。この変質は突然起こったことではなく、永い年月の間の変化によるものです。バビロン捕囚を境目として、イスラエルの信仰は民の側の律法遵守を神との関わりの土台とするユダヤ教という形をとるようになっていきます。前講で見ましたように、捕囚までの預言者たちは、イスラエルの中に侵入してくるバアル宗教と戦わなければなりませんでした。ヤハウェ以外の神々の祭儀にかかわることが、ヤハウェの厳しい裁きを招いたことを、イスラエルはバビロン捕囚で思い知ります。それで、捕囚後はそのような偶像祭儀から清められて、神の言葉だけに基づく純粋な一神教を形成するようになります。ただその際、神の言葉は「律法」として受け取られ、その言葉を行なうことによって神との正しい関わりが形成され、神からの祝福を受けることができるのだと理解されて、律法遵守を拠り所とする教団になっていくのです。イエスの時代のユダヤ教は完全にこのような律法主義の宗教になっていました。

イスラムの戒律

 このユダヤ教から出た一神教宗教にキリスト教とイスラムがあります。キリスト教については後で改めて触れることにして、ここでイスラムについて簡単に見ておきます。すでにユダヤ教において、神は律法を授ける立法者、律法を守るかどうかによって人間を裁く裁判官の様相を深めていましたが、イスラムではその面が徹底されます。「イスラーム」とは絶対帰依、無条件服従を意味する語であり、そのような服従をする者が「ムスリム」と呼ばれるのです。ムハンマドこそ最後の預言者とされ、彼によって与えられた啓示の書「コーラン」こそ神の自己啓示であるとされます。「コーラン」は信条規範であると同時に、倫理規範であり、社会の法規範でもあります。この「コーラン」を遵守する共同体ウンマが形成されます。来世において天国の祝福にあずかるためには、この世で「コーラン」に啓示された神を信じ、その戒めを守らなければならない。この神を信ぜず戒めを守らない者は、永遠の地獄の苦しみに定められる。これがイスラムの基本原則です。イスラムはユダヤ教と並んで、あるいはそれ以上に厳格な戒律宗教だと言ってよいでしょう。
 ここで興味深いのは、「地獄」思想の成立です。人間はみな死後の世界の存在を信じてきました。死者が赴く国は、ギリシャではハデス、イスラエルではシェオール、ゲルマンではヘル、日本ではヨミなどと呼ばれており、そこではまだ倫理的応報としての地獄はありません。一神教において、神が立法者かつ裁判官としての様相を深めると、戒律をまもったかどうかによる応報の場としての天国と地獄の思想が生じてきます。しかし、地獄の思想はこれほど単純ではなく、宗教史的に興味深い主題ですが、時間もありませんので別の機会に扱いたいと思います。ただ、律法宗教を克服する信仰だけが地獄を克服することができるということを、ここで申し上げておきたいと思います。

イエスの宣教における「恩恵の支配」

律法を超えるイエス

 このように、どの宗教においても戒律とか律法はその宗教の本体そのものではないのに、いつの間にか、その戒律とか律法を守ることがその宗教そのもの、信仰そのものであると理解されるようになり、宗教なり信仰の変質が起こることが見られます。この傾向は人間の本性自体に内在している自我心、すなわち自己を立てようとする自己主張の本性から出るものと思われます。いま、わたしたちの当面の問題としては、イスラエルにおいて本来神の約束と、その約束の言葉に対する人間の信頼の上に成立していた宗教が、律法とそれを行う人間の行為の上に成り立つ宗教に変質していたことが、福音を理解する上で重要です。このような律法主義の宗教になってしまっていたユダヤ教のただ中に、イエスが現われて「神の国」を宣べ伝えられたのです。
 福音書が伝えるイエスの宣教には、際立った特徴が二つあります。一つはイエスがなされた多くの力ある業、すなわち悪霊を追い出し病気を癒されるなどの奇跡です。もう一つは、律法を超えた、時には律法に反する教えや振る舞いです。とくに第二の特徴は重要です。そのためにイエスは死に定められることになるのです。ユダヤ教の世界で、奇跡を行なったから死刑になることはありません。イエスの生涯で最も重要で確かな事実は、イエスが十字架上で刑死されたことですが、これはイエスの律法に対する態度から起こったことです。ですから、律法との関係の理解は、イエスの宣教内容を理解する上でもっとも重要な面であり、もっとも確かな事実に関わる理解になるのです。
 先に見ましたように、当時のユダヤ教は完全に律法宗教になっていました。すなわち、律法を守り行うことが、宗教の内容そのものになっていたのです。ですから、彼らは律法を守ることにきわめて熱心でした。とくにイスラエルが異教徒の支配下におかれ、その信仰が迫害されるような時には、律法への熱意が火のように燃え上がりました。それは、神の救いはイスラエルが律法を守るときに与えられると信じられていたからです。たとえば、紀元前二世紀の中ごろ、アンテオコス四世による迫害のとき、イスラエルの信仰深い人々がいかに激しい責め苦に耐えて律法を守ったかが、マカベヤ書やダニエル書などに記されています。彼らは死をもって脅されても豚肉を食べなかったのです。敵軍に襲われて全滅しても、働かないという安息日の律法を守ったのです。普段の日常生活においても、変化する現在の社会の中で、昔モーセによって与えられた律法を守り行うにはどうすればよいかを熱心に研究し、具体的な細則や説明を積み上げていったのです。このような律法の研究にたずさわる専門の学者の階層が形成されます。それが「律法学者」です。彼らが築く律法解釈の体系が、ユダヤ教社会の宗教であり、法律であり、学問であったわけです。
 イエスの時代のユダヤ教には、ファリサイ派やエッセネ派、さらに熱心党などの様々な宗派や党派がありましたが、それらはみな律法を守ることを土台とし、その熱心さを競っていたのです。イエスの先駆者と言われる洗礼者ヨハネも、律法を守る厳格さではひけをとりませんでした。その中でイエスただ一人、律法に対して超然と振舞い、時には律法に反することを語られたのです。当時の律法宗教の社会では、律法をよく守り行う人は「義人」と呼ばれて尊敬され、律法を守らない人たちは軽蔑されました。とくに遊女とか取税人のような職業そのものが律法の遵守を不可能にしている人たちは、「罪人」と呼ばれて、食卓を共にすることはもちろん、触れることも許されない汚れた者として、社会からはじき出されていました。イエスは律法に超然として、人が律法を守っているかどうかとは全く無関係に、神の救いの祝福を与えていかれたのです。その結果、律法を行うことが神の民の土台であると確信し、自分は立派に律法を守っていると自負している「義人」たちは、イエスを自分たちの立場を覆す者として憎み、律法を守れない立場の遊女や取税人などの「罪人」がイエスのまわりに集まってきたのです。イエスは彼らと食卓を共にし、「神の国」を説かれました。イエスは、律法宗教が「罪人」と呼ぶ人々を、「貧しい人たち」と呼んで、神の国は彼らのものであるとされたのです(ルカ六・二〇など)。これは律法宗教の根底を覆す宣言でありました。

恩恵の支配

 このように、人間が律法を守り行なっているかどうかとは無関係に、救いとか祝福という良いものを与える神の態度とか振る舞いを、「恩寵」とか「恩恵」と呼びます。それは人間の側の価値とか働きとは無関係に、神の一方的な慈愛と働きによって形成される神と人との関わりです。イエスの宣教は、圧倒的な神の恩恵の現実を宣べ伝えるものであったのです。イエスは「神の国」あるいは「神の支配」を宣べ伝えられたのですが、神の支配の中身は「恩恵の支配」です。ユダヤ教における「律法の支配」に対して、今や時が満ちて、圧倒的な神の恩恵が到来し、支配する時が来たという宣言です。
 イエスのこの「恩恵の支配」の宣教は、イエスが聖霊により父との一つなる交わりの中におられ、神の愛をその身に体現しておられたところから出ています。愛は神の生命の質であって、人の言葉で描写することはできませんが、その愛がそれを受ける価値のない相手に向かって働くときの姿が恩恵です。イエスは神の恩恵の現実を与え、またそれを語ることによって、神の愛を指し示しておられるわけです。「父が慈愛深い」ことは、「父が良い者にも悪い者にも、太陽を昇らせ、雨を降らせてくださる」ように、律法を守ることのできない罪人にも救いの祝福を与えてくださるという恩恵の事実によって知るのです。
 イエスは宣言されました、「わたしが来たのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである」(マルコ二・一七)。イエスが体の麻痺した人に与えられた、「あなたの罪は赦されている」という宣言は、神が無条件でこの人を受け入れておられることの表現、すなわち恩恵の宣言であったのです(マルコ二・五)。イエスの宣教には、神の恩恵が人々を圧倒してゆく勢いがありました。イエスが聖霊の力に満たされてガリラヤで宣教を始められた時、その力は「貧しい人に福音を告げ知らせ、…主の恵みの年を告げるため」であったのです(ルカ四・一八〜一九)。それはまさに、「恩恵の支配」の到来を告げ知らせる宣教であったのです。
 圧倒的な力に満ちたイエスの恩恵の告知は、一方で、自分が律法の行いがなにもできない無価値な人間であることを知る「貧しい者」を感謝の涙でひれ伏させ、他方、自分の律法遵守を誇る「義人」たちの激しい憎しみを招いたのです。イエスが語られた譬の中の多くのものが、この「義人」たちの批判に対するイエスの反論です。たとえば、返礼のできない貧しい人たちを招く金持ちの譬(ルカ一四章)や放蕩息子の譬(ルカ一五章)などは典型的なものです。

恩恵と信仰

 このように与えられる恩恵を恩恵として受け取る人間の姿を信仰と言います。「恩恵を恩恵とする」というのは、自分をまったく無価値な者として、恩恵だけを神と自分の関わりの唯一の拠り所とすることです。反対に、恩恵を拒むこと、恩恵を恩恵としないことが不信仰です。律法を行なった自分の功績や、何らかの自分の価値に基づいて、神の恩恵を不要とすることが不信仰です。信仰は恩恵の相関概念です。恩恵がなければ信仰もありません。恩恵が恩恵として支配しているところに信仰があるのです。
 一つの実例を福音書から上げましょう。ルカ福音書七章(三六〜五〇節)に、食卓についておられるイエスの足を涙でぬらし、自分の髪の毛でぬぐい、接吻して香油を塗った女の話があります。この女は「罪深い女」と呼ばれています。おそらくこの町でよく知られた遊女であったのでしょう。イエスが語られる神の無条件の恩恵に感激して、このような行動に出ないではおれなかったのです。イエスを食事に招いたファリサイ派の主人は、このような「罪の女」に触られるままになっているイエスを批判したので、イエスは債務を帳消しにしてもらった二人の人の譬を語り、「この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない」と言い、この女に改めて「あなたの罪は赦されている」と宣言し、「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」と言われます。ここで「信仰」と言われているのは、自分を無条件に受け入れてくださる神の恩恵にひれ伏している人間の姿です。恩恵を恩恵として受け取り、自分の全存在を恩恵に投げ入れている人間の在り方です。恩恵にまったく支配されている人間の実存です。ですから、「信仰によって救われる」ということは、「恩恵によって救われる」という事実と表裏一体の関係です。「あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました」(エペソ二・八)。
 イエスが「信仰」と言われる時、ここで見たような恩恵を恩恵とする態度だけでなく、あの十二年間も患っていた長血を癒された女のように、人間の力に絶して、イエスを通して働く神の力だけに自己を委ねる態度とか、中風の僕を癒していただいた百卒長のように、イエスの言葉の権威だけに委ねる態度をも指しています。信仰には様々な相があることが分かります。その中で、イエスの宣教において律法との関係が重要な意味をもっていたことに対応して、恩恵を恩恵として受けるという相での信仰が重要です。
 イエスがそういう意味の信仰を直接語られる場面は少ないようですが、イエスの宣教の働き全体が、この相における信仰を指し示していると言えます。とにかく、信仰とは、人間が自分の全存在を、自己の価値とか能力に絶して、ただ神の働きだけに委ねる在り方です。その時、信仰さえも、自分の態度とか心構えというようなものではなく、神の恩恵と信実が自分の中に形成してくださる賜物になります。「信じます。信仰のないわたしをお助けください」ということになるのです。

福音における恩恵と信仰

キリストの福音

 イエスが死者の中から復活してキリストとして立てられた時、人を救う神の恩恵は「キリストの福音」として世界に宣べ伝えられるようになりました。すなわち、「キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと」(コリントT一五・三〜四)が、人を救う神の恩恵の業であるというのです。
 「聖書に書いてあるとおり」というのは、キリストの十字架の死と復活の出来事は、イスラエルの歴史の中で与えられ、聖書(旧約聖書)に書き記されてきた神のすべての約束が成就する出来事であるということです。そして、イエスは復活によってキリストとして立てられた方ですが、そのキリストが十字架されて死なれたのは「わたしたちの罪のため」であったことが、ここで明言されています。イエスの十字架の死は、わたしたちの神への背きという根源的な罪の問題を解決するための神の業であったのです。
 このように、十字架の意義、すなわち十字架とわたしたちとの関わりは明言されていますが、復活については、キリストが「三日目に復活された」という事実だけが語られ、わたしたちとの関わりという意義は明言されていないので見過ごされることが多いのですが、実はこの十五章全体がその意義を語っているのです。キリストは「初穂として」復活されたのです(二〇節)。キリストが復活されたのは、終わりの日に神が成し遂げると約束されていた「死者の復活」(死者は複数形!)の先取りされた成就なのです。初穂は全収穫の保証です。すなわち、キリストに属する者たちが終わりの日に死者の中から復活することの保証なのです。ですから、キリストの復活は神の約束の成就であるという面と同時に、将来のわたしたちの復活を約束する出来事であるという面があるわけです。このように、十五章全体が力を込めて主張している「初穂として」の意義を含めて表現すれば、福音とは「キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、また、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの初穂として三日目に復活したこと」の告知であると言えます。
 このように、福音はキリストの十字架と復活の出来事において、わたしたち人間を罪の支配から解放し、死からの復活に与らせるために成し遂げてくださった神の最終的な働きを告げ知らせるのです。それは旧約の成就であると同時に、全人類にたいする神の究極の約束です。それは、背く者をも無条件で受け入れる神の絶対無限の愛から出る恩恵の業です。それは、何千年かかっても約束を成し遂げるという神の永遠の信実に基づく業であり、約束です。
 このように、福音とは人間の救いのために為された神の一方的な働きの告知ですから、人間の側に求められるのは、それを無条件でひれ伏して受け入れる信仰だけです。人間の側から付け加える働きは何もありません。人がどれだけ律法を守り行ったかという「律法の行為」とはまったく関係ありません。このことを使徒パウロは「人が義とされるのは、律法の行いによるのではなく、信仰による」と表現し、この「福音の真理」を命がけで主張したのです。
 「義とされる」ことの中身は、現在のわたしたちの体験としては、聖霊を与えられることです。福音は「人が聖霊を受けるのは、律法の行いによるのではなく、信仰による」と表現することもできます。ですから、わたしたちは聖霊を受ける体験において、福音の真理を体験的に理解するのです。いくら律法の行為を重ねても、それによって聖霊を受けることはできません。「福音を聞いて信じる」以外に、すなわち福音が告げ知らせるキリストの十字架と復活の出来事に自分の全存在を投げ入れる以外に、約束された聖霊を受ける道はありません(ガラテヤ三・一〜一四)。聖霊を受けて、聖霊によって神との関わりを実感するとき、この神との関わりがまったく一方的に神の恩恵によるものであることを、わたしたちは身をもって理解するようになります。圧倒的な「恩恵の支配」を体験します。

パウロにおける恩恵の支配

 この「恩恵の支配」について、パウロはローマ書の五章(一二〜二一節)でアダムとキリストを対比しているところで語っています。この箇所では「支配する」という動詞が繰り返し用いられています。アダムにおいて、すなわち生まれながらの古い人間本性のまま生きるところでは、「罪が死によって支配していた」ように、キリストにあって、すなわちキリストに結ばれて「恵みと義の賜物とを豊かに受けている人」においては、「恵みが義によって支配する」のです。イエスは「神の支配」を宣べ伝えられましたが、その中身は「恩恵の支配」であることを先に見ました。パウロにいたって、その現実が明確に「恩恵の支配」という表現で語られるようになるのです。そして、この恩恵をひれ伏して受け取り、圧倒的な恩恵に支配されて生きている人間の在り方が信仰なのです。この箇所以降八章の終わりまで、信仰という語は出てきませんが、そこで描かれている人間の在り方が「信仰」なのです。そしてそこでも、恩恵の下に生きるという信仰の在り方は、律法の下に生きる在り方と対比して描かれています。「あなたがたは律法の下ではなく、恵みの下にいるのです」(六・一四)。
 では、「律法の下ではなく、恵みの下にいる」人間は、自分の欲するままに何をしてもよいのでしょうか。恵みは人間に放縦を保証するのでしょうか。決してそうではありません。恩恵は、律法とはまったく別の原理で、神の意志を実現させるのです。
 律法は外からわたしたちの行為を規制します。そして、わたしたちが律法を行おうとすればするほど、自分の中に律法が求めることと逆のことをしようとする本性があることに気づきます。ですから、律法の下にいる者は、神の裁きへの恐れという鎖でつながれた奴隷のような者で、内面から神の求めておられる生き方をすることができないのです。
 それに対して、恩恵の下にいる者は、恩恵として賜る聖霊が神と同質の生命として、内側から神が求めておられる生き方を実現する力となってくださるのです。人間は、恩恵の場で聖霊を受け、その聖霊によって神の愛を味わい知るときはじめて、「父が慈愛深いように、慈愛深い者であれ」という、神の究極の意志を実現することができるのです。聖霊によって生きる者は、もはや奴隷ではなく、自由な子として父の意志を行うようになるのです。このような意味で、「わたしたちは信仰によって律法を無にするのではない。むしろ、律法を確立するのです」と言うことができるのです。
 このように、福音は律法とはまったく関係なく、恩恵によって救われる場です。ところが、この恩恵の場では自分が無となってしまうのに対して、律法の場では自己の功績や価値が誇れるので、人間の本性はどうしても律法の場を慕うようです。すでにパウロの時代から、キリストを信じる者も割礼を受けて律法を守らなくてはならないと主張して、福音を再び律法の枠の中に閉じ込めようとする動きがありました。パウロは、そのような律法化を企む勢力と激しく戦わなければなりませんでした(ガラテヤ書)。パウロたちの努力によって、福音はユダヤ教の律法から解放されて、異邦の諸国民の中に定着していきますが、その福音も歴史の流れの中で制度的な宗教になっていきます。それがキリスト教です。
 社会の中で体制的な宗教になると、どうしても律法的な側面が強く出てくるようです。歴史上のキリスト教も、律法主義的な様相を強くしていきます。中世のカトリック教会は典型的です。律法主義の中に埋もれてしまった福音を回復しようとしたのが、ルターやカルビンの宗教改革です。ルターが掲げた「信仰のみ(ソラ・フィデ)」は、「恩恵のみ(ソラ・グラチア)」と一体です。人間は神の恩恵によって救われるのです。それを人間の側の姿に即して言えば、「信仰によってだけ救われる」となるのです。この「福音の真理」は、人間の宗教の絶えざる律法化の流れに抗して、絶えず明らかにされていかなければならないのです。「信仰のみ」、「恩恵のみ」を確立するための絶えざる宗教改革が必要なのです。