市川喜一著作集 > 第2巻 キリスト信仰の諸相 > 第3講

第一部 キリストの諸相 

     第二講 霊なるキリスト

            ― パウロのキリスト告白 ―

はじめに

 ペトロのようにイエスの直弟子であったガリラヤのユダヤ人のキリスト宣教に、やがてディアスポラとしてヘレニズム世界に生きていたユダヤ人たちが加わるようになります。彼らは直接イエスから教えられたのではありませんが、自分たちが聖霊によって体験した復活者キリストを、広くヘレニズム世界の異邦人たちに宣べ伝えます。その代表者がパウロです。
 パウロはもはやイエス伝承を用いません。聖霊によって体験した復活者キリストを、自分の内にいます霊なるキリスト、信仰と倫理の唯一の源泉として告白し、宣べ伝えます。同時にパウロは、優れた聖書学者として、この霊なるキリストが聖書の全救済史を完成する方であるという秘義を明らかにします。そのようなキリスト理解は、彼の「終わりのアダムとしてのキリスト」に典型的に表明されています。

パウロのキリスト体験

迫害者パウロ

 ペトロはイエスの弟子として復活者キリストに出会いましたが、パウロはイエスの敵として復活者キリストに遭遇します。その出来事は使徒言行録の九章にルカの筆で伝えられていますが、パウロの書簡に見られる彼自身の証言で確かめながら、その出来事がどのようなものであったのか見ていきましょう。
 その出来事までのパウロは、熱心なファリサイ派ユダヤ教徒として生きていました。当時のローマ帝国でも有数の大都市タルソに生まれ育ったパウロは、ギリシャ語とギリシャ文化の教養を身につけた知識人でした。しかし、敬虔なユダヤ人を両親として生まれ、宗教的には正統派ユダヤ教の中で育ち、ユダヤ教の伝統を固く守って生きたパウロは、典型的なディアスポラ(離散)のユダヤ人の一人でした。パウロは若くして律法(聖書)の研究を志し、ファリサイ派の学徒として聖書の研鑽を積み、律法の実践には人一倍熱心に励み、律法の義については非のうちどころのない者としての確信をもつほどでした(フィリピ三・五〜六)。
 このように律法に熱心なファリサイ派ユダヤ教徒のパウロから見れば、当時エルサレムに起こったイエスをメシアと信じるユダヤ人たちの中の一部の者が、律法を否定するような主張をしたことは、背教として許しがたいことでした。そのため、イエスの弟子たちを探索し、捕らえ、投獄するという活動をします。たんに論争するだけではなく、彼らを滅ぼすためにこのような形で徹底的に迫害する活動ができたのは、パウロが最高法院からなんらかの公の資格を与えられていたことを推察させます。パウロはこの背教運動を撲滅するために、エルサレムだけでなくダマスコまで出向きます。それはダマスコのイエスの信徒たちが律法を原理的に否定するような活動をしていたことが伝えられて、パウロの憎悪の火に油を注いだからだと考えられます。
 ダマスコの信徒の群れの成立については、使徒言行録は沈黙しています。エルサレムでステファノの殺害などの迫害が始まる前に、ダマスコにはガリラヤからの伝道活動によってイエスをキリストと信じる者たちの群れが成立していたと見ることができます。ルカはあくまで福音はエルサレムから各地へ進展したという立場で書いていますので、ガリラヤでの教団の成立やその宣教活動については無視しています。しかし、イエスがガリラヤで活動された事実と、復活されたイエスがガリラヤで現れたという伝承(マルコ福音書)から見て、ガリラヤに信徒の群れが成立し、周辺各地に活発な伝道活動を行ったことは十分に考えられます。ダマスコの教団はその活動の結果であったと見てよいでしょう。そして、ガリラヤのユダヤ人信徒たちはイエスの精神をよく受け継いで、律法にとらわれない生き方をしていたので、ダマスコの教団も律法に対しては自由な立場をとっていたと考えられます。

ダマスコ体験

 会堂で背教者を探索するためにダマスコに向かっていたパウロは、その途上で復活されたイエスの顕現を体験します。その出来事は使徒言行録九章にルカの文で劇的に描かれていますが、パウロ自身は書簡の中でごく控えめに触れるだけです。その出来事の詳細は別として、パウロがダマスコの近くで復活されたイエスの現れに接し、それを転機にしてイエスに敵対する者からイエスをキリストと宣べ伝える者に変わったこと、ただちにダマスコ教会の異邦人伝道に参加して活動したということは、彼自身の証言からも確められる事実です(コリントT一五・八〜一〇、ガラテヤ一・一一〜一七、とくに一七節のダマスコに「戻った」という表現、コリントU一一・三二〜三三)。
 このダマスコでの体験はパウロの生涯においてまことに劇的な転換点となりました。イエスの敵であったパウロが、突然イエスをキリストとする福音を宣べ伝える使徒となったのです(ガラテヤ一・二三)。この事実は、パウロの宣教活動が自分の思想や悟りを教えるものではなく、パウロを選び、圧倒的な力で捉え、派遣された方によるものであることを示しています。パウロ自身もこの事実を深く自覚し、使徒としての使命を復活者キリストから直接受けたとし、自分の福音が人から教えられたものではなく、啓示によるものだと主張してきました(ガラテヤ一・一、一・一六〜一七)。

パウロのキリスト宣教

直接啓示されたキリスト

 このような体験から発するパウロのキリスト宣教は、おのずからペトロのようなイエスの直弟子たちのキリスト宣教と違った相を示すようになります。
 まず目につく特徴は、パウロはキリストを宣べ伝えるにさいしてイエス伝承を用いないということです。もちろん、十字架につけられたナザレのイエスが復活してキリストとして立てられたという根本的な内容は同じですが、パウロにとってイエスの地上の生涯の意味は十字架の出来事だけに集中しています。イエスがなされた奇跡とかイエスが語られた言葉やたとえは、パウロのキリスト宣教においてはほとんど触れられていません。パウロが異邦人にキリストを宣べ伝えるときや信徒を指導するさいに、(聖餐伝承の場合を除いて)イエスの奇跡や言葉を引用している痕跡は、彼の手紙の中にはほとんど見あたりません。パウロは自分に現れ、圧倒的な力で自分を捉えているキリスト、霊として自分の中に働かれるキリストだけを根拠にして、福音を宣べ伝え、信徒に生き方を教えるのです。
 パウロは弟子として直接イエスの教えに接したのではないのですから、キリスト宣教にさいしてイエスの奇跡や言葉を用いないのは当然とも言えます。回心後ペトロに会ってイエスの教えや奇跡のことを聞いたかもしれませんが、パウロは人から伝え聞いたことを宣べ伝えようとはしませんでした。あくまで自分に直接啓示され、自分が体験した御子キリストを宣べ伝えたのです。イエスの言葉や奇跡ではなく、復活者キリストが自分の言葉と行いを通して働かれることだけを拠り所としたのです(ローマ一五・一八〜一九)。パウロがイエスの弟子でなかったことから、パウロには使徒としての資格がないと批判する者がいましたが、パウロは自分のキリスト体験を根拠にして、「人々からでもなく、人を通してでもなく、イエス・キリストと、キリストを死者の中から復活させた父である神とによって使徒とされた」と主張することができました(ガラテヤ一・一)。

律法の外で

 次にパウロのキリスト宣教において重要な特徴は、ユダヤ教律法とは無関係のキリストを宣べ伝えたことです。パウロがあの福音提示の決定的な箇所であるローマ書三章二一節で用いている「コーリス・ノムウ(律法とは別に、律法の外で)」という一句は、パウロのキリスト宣教のもっとも重要な面を端的に表現しています。
 パレスチナ・ユダヤ人であるイエスの直弟子たちのキリスト宣教は、なおユダヤ教律法の枠の中にとどまっていました。それはユダヤ教律法を守るユダヤ教徒の中で、イエスをメシア・キリストと信じる運動でした。それに対して、パウロが宣べ伝えたキリストは、もはやユダヤ教律法とは関係がなく、律法の中にいるユダヤ教徒であれ、律法の外にいる異教徒であれ関係なく(異教徒は割礼を受けてユダヤ教徒にならなくても、異教徒のままで)、キリストを信じることによって義とされ、神の民になるというのです。これはまったく革命的なキリスト宣教でした。この主張をめぐって、初期の教団には激しい論争が起こり、パウロは命がけで戦わなければならなくなります。
 このようなパウロの主張は、パウロのキリスト体験そのものから出ていると考えられます。パウロはイエスの敵として復活者キリストに遭遇しました。パウロがイエスの敵となったのは、律法に対する熱心のゆえでした。そのパウロが復活したイエスに出会うことによって、律法に依存する自分の立場が徹底的に打ち砕かれます。その結果、今まで自分が立ってきた立場の誤りが明らかになり、現在なお割礼と律法遵守を要求する者の誤りがよく見えてきます。パウロは律法に熱心であったゆえに選ばれて、律法に立つ者と戦う旗手とされたのです。この間の消息は、フィリピ書三章二〜一一節でパウロ自身が語っている通りです。
 こうして、パウロは自分が出会い体験した復活者キリストを、もはやイエス伝承を用いることなく、またユダヤ教律法とは無関係に、異邦の諸国民に宣べ伝えていきます。三次にわたる伝道旅行で、言語に絶する苦労を重ね(コリントU一一・二三〜二八)、シリヤ、小アジア、ギリシャなど地中海東北部の諸地方に、キリストの福音を満たします(ローマ一五・一四〜二一)。そして、宿願のローマに達し、そこで宣教し、そこで殉教したと伝えられています。
 このパウロが宣べ伝えたキリストの相を、今回は以下の三つの相に焦点を絞って描きたいと思います。

十字架につけられたキリスト

「キュリオス」キリスト

 パウロが宣べ伝えたキリストは、まず何よりも復活によって「キュリオス(主)」とされたキリストです(ローマ一〇・九)。復活されたイエスを「キュリオス」と告白することは、すでにパレスチナのキリスト教団でも始まっていましたが、ヘレニズム世界の教団でキリスト告白の中心的位置を占めるようになりました。それは、ヘレニズム世界では「キリスト」という称号が神から油を注がれた救済者という意味を失い、イエス・キリストが固有名詞のようになった結果、復活された方の特別の地位を表す別の称号が必要になったからでしょう。
 「キュリオス(主)」という称号は、旧約聖書のギリシャ語訳では「ヤハウェ」を指すのに用いられ、イスラエルの神は「主なる神」と呼ばれています。ヘレニズム世界の一般的な宗教用語では、コスモス(世界、宇宙)の全秩序(天上、地上、地下の霊的諸存在)の支配者(コスモクラトール)である神々に捧げられた称号でした(後にはローマ皇帝にこの称号が帰せられました)。この「キュリオス」という称号が、ギリシャ語を用いる教団において、復活して神の右に挙げられたイエスの地位を言い表すのに用いられたのです(コリントT八・五〜六、フィリピ二・六〜一一)。「主イエス・キリスト」、すなわち「イエス・キリストは主(キュリオス)である」という告白が信仰告白の中心になるのです(コリントT一二・三)。
 同時に、復活者キリストを「神の子」とする告白が行われます。すでにごく初期の教団は、復活されたイエスに詩編二編を適用して「神の子」と呼んでいましたが、ヘレニズム教団においても、神と復活されたキリストとの特別の関係を表現するのに、「神の子」という理解しやすい表現が多く用いられるようになります。パウロも復活者キリストを「御子」と呼び、神と一つなる結びつきの中におられるキリストを語りました。そして、この「御子」という称号は、さかのぼって地上のイエスにも適用され、さらに世界に先だって存在する方にも用いられるようになります。
 「キュリオス」がコスモス(世界)に対する復活者キリストの特別の地位を表現しているとすれば、「御子」は神と復活者キリストの特別の関わりを表現していると言ってよいでしょう。どちらも、復活者キリストの栄光の地位を言い表す称号です。パウロはこのような「主イエス・キリスト」、また「御子キリスト」を宣べ伝えたのですが、パウロのキリスト宣教には重要な特色があります。それは、そのキリストが十字架につけられたキリストであるという点です。パウロが宣べ伝えるキリストは、聴衆の宗教的要求がどのようなものであれ、いつも「十字架につけられたキリスト」なのです(コリントT一・二二〜二三a)。パウロは神のことを語るのに、「十字架につけられたキリスト」以外のところから語り出そうとはしません(コリントT二・一〜二)。

十字架につけられたままのキリスト

 このことは現代のキリスト教では当然のことのようになり、十字架はキリスト教のシンボルとなっていますが、復活によって高く挙げられた栄光のキリストが宣べ伝えられていた宣教の初期に、ひたすら「十字架につけられたキリスト」を宣べ伝えたのは、パウロのキリスト宣教の際だった特色です。

 たとえば、福音書が形成される前にイエスの言葉を集めた「語録資料」があったと推定されていますが、この「語録資料」にはイエスの受難の物語がありません。ということは、この「語録資料」を生み出し担った人たちによる初期のキリスト宣教は、栄光のキリストの権威によって地上のイエスの言葉を宣教の内容としたわけで、彼らにとってイエスは「十字架にもかかわらず」キリストであるとしていたことになります。
 それに対して、パウロが宣べ伝えるキリストは、「十字架のゆえに」キリストであると言えます。復活者キリストはその十字架によって人間の救済者であるという主張です。このようなパウロのキリスト告白が、たんなる「語録」ではなく受難物語を主要内容とする「福音書」を生み出す契機となったのではないかとわたしは思います。
 たしかにパウロ以前にも、十字架の死をキリストの救済の業とする宣教はありました。たとえば、パウロが自分も受けたものだとして引用している「福音」はこう告白しています。

「キリストは、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死に、葬られ、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活し、ケファに、その後十二人に現れた」。(コリントT 一五・三〜五)

 教団はキリスト宣教にあたって、イエスの生涯のもっとも確かな事実である十字架の死の意義を説明しなければなりませんでした。当時ユダヤ人を中心とする教団は聖書に導かれて、また生前のイエスの教えに啓発されて、イエスの死を旧約聖書にある贖罪のための献げ物と理解し、「キリストは聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死に」と宣べ伝えたのです。
 しかし、パウロの十字架のキリストの宣教は、イエスの十字架という歴史的出来事の意義づけの段階にとどまっていません。復活されたキリストが現在わたしたちのための死を身に負うという姿で、現在の霊的現実として宣べ伝えられているのです。そのことをパウロ自身がこう語っています。

「ああ、物分かりの悪いガラテヤの人たち、だれがあなたがたを惑わしたのか。目の前に、イエス・キリストが十字架につけられた姿ではっきり示されたではないか」。(ガラテヤ三・一)

 「目の前にはっきり示された」というのは、イエスの十字架の処刑という過去の歴史が目の前に見えるような名口調で語られたという意味ではなく、復活されたキリストが現在わたしたちのための死を負った姿でおられるという霊的現実が、聴く者の魂に御霊の迫りによって、目の前に見るように明確に宣べ伝えられたということを意味しています。「目の前に」という表現は、「十字架につけられた姿」が現在の事実であることを強調しています。
 このキリストに自分の全存在を投げ入れて結びつくことによって、人はあるがままの姿で義とされ(神に受け入れられ)、神の霊を受けて、神の子とされるのです。この人がキリストに結びついている姿を、パウロは「キリストの信仰」、ときにはただ「信仰」と呼んでいるのです。いかなる宗教的・道徳的資格も必要でなく、ただ「信仰」によって義とされる、あるいは救われる、ということがパウロの福音の核心です。これは、信仰によってキリストに結びつく者は、古い自分がキリストの死に合わせられて死に、死から復活されたキリストの新しい命に生きるようになるからです(ローマ六・三〜一一)。義とか救いはこれ以下のことではありません。このような救いが現実に生起するのは、復活者キリストが現にいまわたしたちのための死を負ってくださっているキリストだからです。

霊なるキリスト

内に生きるキリスト

 パウロが宣べ伝えるキリストは、霊として現実に働かれるキリストです。パウロはキリストを自分の内に生きる方として(ガラテヤ二・二〇)、自分を通して働かれる方として(ローマ一五・一八)体験しました。パウロにとってキリストが自分の内におられるということと、神の霊、キリストの霊が自分の内に宿るということは同じことなのです(ローマ八・九〜一〇)。キリストは霊として自分の内に生き、働かれるのです。主は霊であり、主の霊の働きによってわたしたちは主と同じ姿に変えられていくのです(コリントU三・一七〜一八)。
 パウロが告白し宣べ伝えるキリストは、ナザレのイエスとして地上に歩まれた過去の姿よりも、また「人の子」として世界を裁き支配するために来臨される将来の姿よりも、まず何よりも現在いま霊として信じる者の内に、エクレシアの交わりの中に働かれるキリストという相が強調されています。「キリストの霊を持たない者は、キリストに属していない」とパウロは断言します(ローマ八・九)。ここでの「キリストの霊」は、(同格の二格として)キリストという霊、または霊としてのキリスト、霊なるキリストと理解してよいでしょう。霊なるキリストを内に宿して生きるのでなければ、いくら制度的な教会に所属していても、キリストに属する者とは言えないのです。
 「信仰」に入るとは、このような霊なるキリストとの交わりの現実に入ることです。それは「聖霊を受ける」とも表現されます。キリストの福音が宣べ伝えられる場には聖霊が働かれます。この福音を信じて、十字架された復活者キリストに全存在を委ねる者には、聖霊が働いてキリストを示し、十字架に合わせられて死んだ自己に代わって、聖霊が新しい命として内に生き始めます。本来福音の宣教はこのような聖霊の現実をもたらすものであることが、ガラテヤ書三章一〜五節に語られています。ここでパウロはガラテヤの信徒たちに、律法を行ったからではなく、十字架につけられたキリストの福音を聞いて信じたから御霊を受けたという最初の体験を思い起こさせています。福音を信じる者は、いかなる宗教的・道徳的資格がなくても、キリストを通して約束されている聖霊を受けるのです。キリストはそのことが可能になるために十字架につけられたのです(ガラテヤ三・一四)。

「エン・クリストー」

 パウロはその書簡の中でしばしば「エン・クリストー」という表現を用いています。「エン」というギリシャ語は、ほぼ英語の「イン」に相当する前置詞ですから、「エン・クリストー」は普通「キリストにあって」とか、「キリストにおいて」と訳されます。この表現は、ここに述べたような信じる者が霊なるキリストとの交わりに生きている現実を指すのに用いられています。新共同訳がこれを「キリストに結ばれて」と訳しているのは、分かりやすい訳だと言えます。この句はパウロのキリスト告白の鍵となる句です。パウロは、信じる者が十字架されたキリストに合わせられて死に、霊なるキリストが内に生きてくださるという事態がどういうことなのかを、すべてこの句によって語るのです。
 たとえばローマ書の六章から八章でパウロは、キリストに結ばれて生きる者の現実がどのようなものであるかを語っています。表現は様々ですが、それは一貫して霊なるキリストとの結びつきの現実として、すなわち「エン・クリストー」の現実として語られています。
 まず、バプテスマはキリストに結ばれるため、キリストに合わせられるためであり、バプテスマによってキリストに合わせられた者は、キリストと共に死んだのであるから、キリストと共に生きて、キリストの復活の姿に合わせられるという消息が語られます。それからさらに詳しく、キリストに結ばれている者は、律法の下にではなく、恩恵の支配の下にいるのであって、罪の支配から解放されていること、罪に定められることなく、命の御霊によって生きて永遠の命にいたること、復活にあずかる希望をもって生きることが語られます。これはすべてキリストに結ばれているという霊的現実の姿なのです。
 このように、パウロにおいては「信仰」とは霊なるキリストに結ばれて生きる現実ですから、信仰者の実際の歩み方、いわゆる「倫理」の問題についても、パウロは外から行為を規制する戒めを与えるという形ではなく、内なる霊に従って生きることによって、生活と品性に「御霊の実」を実らせるように指導しています。「霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です」(ガラテヤ五・二二)。これは「最高の道」を教えるとして語っているあの愛の章(コリントT一三章)も同じです。キリストに結ばれて生きる者にとって「最高の道」は、聖霊によって愛に生きることです。「愛は律法を全うする」のです(ローマ一三・一〇)。
 このように、キリストを霊なるキリストとし、その霊なるキリストに結ばれて生きる現実を明らかにしたことは、パウロのキリスト告白の最大の特色であり、キリスト宣教における最大の貢献です。

終りのアダムとしてのキリスト

キリストの顕現

 前に見たように、パレスチナ型のキリスト宣教においては、「人の子」としてのキリスト、すなわち世界を裁き支配するために栄光の中に来臨されるキリストという相が、重要な位置を占めていました。それに対して、パウロのキリスト宣教においては、「人の子」としてのキリストは宣べ伝えられません。パウロが宣教のおもな対象としたヘレニズム世界では、「人の子」という称号は意味を持たなかったからです。「人の子」はユダヤ教黙示思想における特有の称号で、ユダヤ教の外の人々には理解できなかったのです。
 では、パウロはやがて来臨されるキリストを宣べ伝えなかったのでしょうか。そうではありません。パウロもキリストが栄光をもって来臨される時が差し迫っていることを確信し、キリストの「パルーシア(来臨)」を宣べ伝えました(テサロニケT二・一九、三・一三、コリントT一五・二三など)。「人の子」という称号は用いられていませんが、将来栄光の中に来臨されるキリストの相は保持されています。パウロは、自分の地上の生涯の期間中にキリストが来臨されることを期待し、それまでに地の果てにまで福音を宣べ伝えておかなければならないと、伝道の働きに燃えたと見られる節があります。
 パウロはキリストの来臨を、キリストの「アポカリュプシス(顕現)」と表現しているところがあります(コリントT一・七)。この語は本来、覆いが取り除かれて隠されていたものが現れることを意味します。それで「啓示」と訳される場合が多いのですが、神の秘められた計画の現れという意味で、「黙示録」という訳語が用いられる場合もあります。パウロの場合、キリストの来臨とは、いまは信じる者の内に、またその交わりの中に隠されている霊なるキリストの現実があらわに現れる時に他ならないという意味で、「キリストの顕現」と言ったわけです。

復活の初穂キリスト

 キリストが現れるとき何が起こるのか。それは、地上の歴史の中では苦難の中に隠されていた神の子の栄光が現れるときです。キリストの顕現は神の子の顕現の時なのです。そして、神の子の顕現とは、御霊という初穂を宿しているキリストの民が、その体が贖われて栄光の存在に変えられることなのです(ローマ八・一八〜二三)。パウロにおいては、将来のキリスト来臨の希望の内容は、神の子が死者の復活にあずかることに集中しています。パウロはキリストの来臨を語るとき、黙示録がするように、地上の歴史の中に次々に起こる破滅的な出来事を語るようなことはいっさいしません。復活への集中こそパウロの終末論の特色です。
 死者の復活にあずかる希望は福音の本質をなしています。すなわち、それがなければ福音が福音でなくなるという質の信仰内容です。そのことをパウロはコリントの信徒への第一の手紙十五章で詳しく論じています。その章でパウロは、キリストの復活はキリストに属する者たちの復活を初穂として含んでいることを論拠としています。そして、キリストの復活が初穂であるのは、キリストがたんなる個人ではなく、終わりの時に創造される新しい人類を代表する存在であるからです。パウロはこう述べています。

「しかし今や、キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました。死が『人』によって来たのだから、死者の復活も『人』によって来るのです。つまり、アダムによってすべての人が死ぬことになったように、キリストによってすべての人が生かされることになるのです」。(コリントT一五章二〇〜二二節、一部私訳)

 また、こう言っています。

「『最初の人アダムは命のある生き物となった』と書いてありますが、最後のアダムは命を与える霊となったのです」。(同章四五節)

 このように、キリストはアダムに対応する「人」なのです。キリストは、初めに創造されたアダムに対応する「終わりのアダム」なのです。これはキリストを、聖書が語るアダムから始まる人類の救済史の全体を成就する者と見る壮大なキリスト理解です。このような聖書理解は、聖書を律法の集成と見るファリサイ派の聖書理解をはるかに超えています。黙示思想の用語を使いながら、黙示思想を超える「ミュステーリオン(神秘、奥義)」の洞察です。これは、霊なるキリストとの交わりの中で、深く復活の命に生きたパウロにして初めて可能になった洞察です。このようなキリスト告白をもって、パウロは将来のキリスト教神学の基礎を据えるのです。

この点はパウロのキリスト告白のきわめて重要な特徴ですが、別著『死者の復活』の中の「コリントの信徒への手紙T 一五章の講解」と重複しますので、簡単にしておきます。詳細は「復活の福音」の「初穂キリスト」と「終わりのアダム」を参照してください。