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99 剣をさやに納めよ

「剣をさやに納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる」。

(マタイ福音書 二六章五二節)


 九月一一日にハイジャックされた民間機がニューヨークの世界貿易センターの二棟の超高層ビルやワシントンの国防総省に突っ込み、七〇〇〇人近い死者を出すという未曾有の自爆テロ事件が発生しました。自由世界の繁栄を象徴する超高層ビルが炎上倒壊するテレビ映像は、世界の人々の心に計り知れない衝撃を与えました。二一世紀の最初の年にこのような凄惨な事件が起こり、世界はいつ起こるか分からない流血の惨事に巻き込まれ、いつ戦火が火を噴くかしれないという不安におののきながら、新しい世紀を迎えることになりました。
 テロは局地の政治的秩序だけでなく世界の平和そのものを脅かすようになりました。テロを撲滅することが今世紀の至上の課題となりましたが、テロは武力で撲滅できるものではなく、貧困や他宗教への憎悪などテロが発生する土壌をなくす戦いであることは広く認識されています。これは途方もなく長い時間と忍耐を必要とする課題ですが、当面の差し迫った課題は、テロに対抗する方策が「文明の熱い衝突」にならないように細心の努力をすることです。
 米国のブッシュ政権はテロ組織に対して武力報復することを決定し、議会も国民も圧倒的な支持を与えています。ブッシュ大統領は犠牲者の追悼祈祷会にイスラム指導者を招いたり、モスクを訪問したりして、武力行使はテロ組織に対するものであって、イスラム世界に対するものではないことを明言していますが、武力行使がテロ組織をかくまうイスラム国家に対するものだけに、イスラム世界の反発を招くことは避けられません。国家レベルではイスラム諸国も米国への協力を示していますが、イスラム聖職者と民衆の中にはすでに米国に対抗してイスラムを防衛する「ジハード」(聖戦)の動きが出ています。もし米国の報復攻撃がイスラム世界への攻撃と受けとられるようになると、「文明の衝突」が世界規模の熱い戦争となって火を噴く危険があります。それだけはどうしても回避しなければなりません。
 このような事態に直面して、改めて政治と宗教の関係、とくに紛糾した政治に対する宗教の役割に思いをいたすことになります。政教一致の体質を色濃く残すイスラム世界では、力の行使を本質とする政治の世界に宗教が深く関与しており、とくにイスラム原理主義が支配する社会では宗教と政治は一体化しています。そこでは、宗教が戦争を神聖化する場合が起こります。すなわち、イスラム擁護のために敵を殺すことが求められるのです。イスラムの九歳の子供が、聖戦では爆弾を抱いて敵に突っ込むと言っていると伝えられています。
 長年の流血の歴史を通して政教分離の原則を確立した西欧キリスト教国では、どのような理由であれ政治が武力を行使するとき、宗教はそれを神聖化するのではなく、抑止する立場にあります。キリスト教の聖典である新約聖書は、たとえ信仰の擁護のためであっても暴力の行使は認めていません。信仰のために殺されることはあっても、信仰のために人を殺すことはありえません。政治が政治上のやむをえない理由で武力を行使しようとするとき、教会はそれを神聖化することなく、それを回避するために、もし行使された場合はそれを終結するために最善の努力をすることが使命になります。
 今回、テロの剣がひらめき、罪のない多数の人々を殺戮しました。これは犯罪です。この重大な犯罪を処罰し、犯罪組織を根絶することは正義の要求です。そのために国連を中心とする国際的な協力が続けられなければなりません。そのための努力に連帯することは、わが国もイスラム圏も含め、あらゆる国の義務でもあります。
 そのために剣が用いられなければならない局面もあるでしょう。しかし、この犯罪に対して米国が報復戦争を宣言し、テロ組織だけでなく、それをかくまう国々に対して武力行使をするならば、さらに多くの罪なき民衆の血を流し、無数の難民の群を生むことになりかねません。報復戦争は正義実現の手段ではありません。報復の暴力は報復を再生産するだけです。米国が世界を自分の味方か敵かに二分して報復戦争に突入すれば、世界を二分する世界戦争になりかねません。
 テロの剣を打ち返す戦争の剣が抜かれようとしています。その剣がさやに納められたままテロ組織を法によって裁き壊滅させることができることを切に祈りますが、それができない場合、打ち返す剣はテロ組織とイスラム民衆を厳密に区別して、イスラムへの攻撃とならないように細心の注意を払い、速やかにさやに納められなければなりません。
 キリスト教世界は十字軍の中世に逆戻りしてはなりません。武力をもって対立する宗教に打ち勝とうした過ちは繰り返してはなりません。イスラム世界は「ジハード」から暴力(武力)を徹底的に追放して、信仰確立のための「努力」という本来の姿に立ち帰らなければなりません。イエスは自分を守るための剣に対しても、「剣をさやに納めよ」と言われました。このイエスの言葉と精神を真剣に聞き取り、その上で宗教間の対話、文明間の対話を積み重ね、異なる宗教が共存し、力を合わせて苦しむ人々を助け、民衆の生活向上に貢献しなければなりません。それができなければ、新しい世紀が希望の世紀にはなりえず、人類の破滅に向かう世紀になりかねません。
 たしかに日本は米国の友人です。しかし、戦争に協力することだけが友人の道ではないはずです。戦争という暴力によらないでテロの根絶という目標に協力できるはずです。さいわい日本はいまだかってイスラム世界と戦争したことはありません。西欧キリスト教世界とイスラム世界との戦いになりかねない今回の危機において、日本は仲介の労をとることができる立場にあります。その上日本には剣を抜かないという平和憲法があります。米国に報復戦争という剣を抜かないように働きかけ、自身も剣を抜かないで(自衛隊という武力を用いないで)テロ撲滅という国際協力に徹することで、イエスの心をもっともよく実現する国になってほしいものです。

                              (二〇〇一年五号)