市川喜一著作集 > 第1巻 聖書百話 > 第97講

97 人生という建物

あなたがたは神の建物なのです。

(コリントの信徒への手紙T 三章九節)


 人の生涯を建物にたとえますと、わたしたちキリストに属する者の生涯は、十字架の信仰という土台の上に建てられ、聖霊の愛に満ちた部屋を持ち、復活の希望という屋根に覆われた建物であると見られます。
 わたしたちの人生の土台は十字架されたキリストです。神に背いているわたしたちのために死んでくださったキリストです。わたしたちは、自分の弱さ、失敗、不安、卑しい本性などに直面して行き詰まるとき、いつもその自分を十字架の場に投げ出します。キリストはそのような神に背いてやまないわたしのために死んでくださったのです。十字架に現されている神の無条件の恩恵に身を委ねます。わたしはキリストに合わせられて死に、神の恩恵そのものであるキリストがわたしの中に生き始めてくださいます。わたしはキリストの中に生きるようになります。この信仰の現実がわたしたちの人生の土台です。
 キリストに合わせられて自分が死んだ場に、聖霊が注がれます。それは霊なるキリストが来て生きてくださることです。この聖霊は様々な新しい霊的な力をもたらしてくださいますが、その中で永続的でもっとも特色ある力は愛です。イエスが生きておられたあの愛、いかなる相手も無条件で受け入れ、敵をも愛する愛です。この愛は人の倫理的努力から出るものではなく、聖霊の賜物です。この聖霊による愛をしっかりと自分の内に保ち、雲散霧消させないために、わたしたちは聖書を学び、そこから語りかける神の御言葉を聴く努力をするのです。
 十字架の場で賜る聖霊は、将来受け継ぐことになる神の国の手付け金です。わたしたちが来るべき栄光にあずかることの保証です。その栄光とは死者の中からの復活にあずかること、すなわちこの卑しい身体に代えて永遠の霊の身体を与えられて、復活の主と共に生きることです。わたしたちは死に限界づけられた時間の中で、この復活の希望によって生きているのです。
 人は価値ある生涯を建て上げるために懸命の努力をします。しかし、わたしたちは土台も素材もそれを用いる力と知恵もすべて、キリストにあって神の恩恵によって無代価で与えられているのです。わたしたちはキリストに身を委ねるだけです。神がこの人生という建物を建ててくださるのです。外見はどのように惨めな人生でも、キリストにある者の生涯は、十字架の信仰、聖霊の愛、復活の希望で建て上げられているのです。

                              (二〇〇一年三号)