市川喜一著作集 > 第1巻 聖書百話 > 第87講

87 世々の旅人

アブラムは、主の言葉に従って旅立った。

(創世記 一二章四節)


 アブラハムは、「あなたは生まれ故郷、父の家を離れて、わたしが示す地に行きなさい」という主の言葉に従って、旅立ちました。出発するときは、まだ行き先を知りませんでした。そして、主に導かれてカナンの地に来たとき、「わたしはあなたにこの土地を与え、それを継がせる」という約束を与えられますが、その約束に地にいても、他国に宿るように住みました。ただ主の言葉に従って、故郷を脱出し、約束の地にいても更にまさった故郷を目指して旅を続けるアブラハムの姿は、あらゆる時代の神の民の原型です。
 わたしたち一人ひとりの人生も旅です。わたしたちは福音の中に主の召しを聴き、世間の価値体系を脱出して、キリストの道に旅立ちました。その時、自分の人生がどのようになるのかは知りませんでした。主を信頼し、主の恵みの御手に人生を委ねたのでした。人生の苦難、信仰の試練の中で、主は一人ひとりに最善の道を備え、信仰を練り鍛え、約束の地を望み見る希望をますます確かにしてくださいました。
 一面では、わたしたちはすでに約束の地に入っています。キリストにあって生きている恩恵の場、御霊によって賜っているいのちの現実は、神の約束が成就した地です。しかし一面では、わたしたちはすでに約束の地に入りながら、なお来るべき約束の成就を待ち望みつつ旅を続けています。神は信仰によって従う者に行き先を示してくださっています。行き先は神の栄光にあずかること、具体的には死者の復活にあずかることです。それはなお将来の希望です。時間の中にいるかぎり、約束の地を目指すわたしたちの旅は続きます。
 アブラハムの時から、人類の歴史の中に、旅人の群が起こり、その流れは現在にまで続いています。人間が自分の手で大地の上に築いた文明から脱出して、創造者が立てられた終局の目的地に向かって、この世界では寄寓者として旅を続ける民が世々に絶えることはありませんでした。自分たちを「巡礼者」と呼んだ清教徒(ピューリタン)たちも、アブラハムの子孫であり、わたしたちの先祖です。わたしたちキリストにある者たちは皆アブラハムの子孫です。わたしたちは世から離脱した旅人であるゆえに、世と共に腐敗することを免れ、地の塩として世を下から支える使命を課せられているのです。

                              (一九九九年五号)