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75 いのちの言葉

主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。
 あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。

(ヨハネ福音書 六章六八節)


 人間を人間とするのは言葉です。人間は言葉によって思考し、知識と知恵を蓄え、感情を伝え、他者と関わり、人間として生きています。わたしたちは人生で、一つの言葉が生きる喜びや希望を与えたり、苦悩や絶望をもたらしたり、人を結びつけたり引き裂いたりするすことを体験しています。人が自分の存在の意味を自覚するのも言葉によります。
 それで、わたしたちは自分を支える確かな言葉が欲しいのです。その言葉を自分の中に宿すとき、どのような状況でも、死に直面しても、揺るぐことのない確固とした土台となって、人間として存在する意味と喜びを与えてくれるような言葉が欲しいのです。宗教はそのような言葉の探求です。人間はこれまで多く神話や儀礼という象徴的言語にそれを見出してきました。
 イエスはガリラヤ湖畔で多くの驚くべき言葉を語られました。その中でもとくに、「わたしが命のパンである。これを食べる者は死ぬことなく、永遠に生きる」と言われた言葉は、聴衆に衝撃を与え、反発を引き起こしました。それを聞いた弟子たちの多くも、「実にひどい話だ」と言って、イエスから離れていきました。その時にペトロがイエスに言った言葉が、ここに掲げた言葉です。
 たしかに、イエスの言葉は地上の人間の言葉としては理解不能なひどい言葉です。しかし、イエスが「それでは、人の子がもといた所に上るのを見るならば(どうか)」と言われたように、復活された霊なるイエス・キリストの言葉として聴くとき、「わたしは命のパンである。このパンを食べる者は永遠に生きる」という言葉や、イエスが語られた他のもろもろの言葉は、わたしたちに命を与える御霊の言葉となります。それは、それらの言葉は復活された霊なるイエスとわたしたちを結びつけ、わたしたちを神の根源の言葉であり命そのものである霊なるキリストに与らせるからです。わたしたちもペトロと共に、復活の主イエスに「あなたこそ永遠の命の言葉です」と告白し、聖書に響きわたるその根源の言葉を聴くのです。

                              (一九九七年五号)