市川喜一著作集 > 第1巻 聖書百話 > 第70講

70 すべてを溶かす力

御言葉を遣わされれば、それは溶け、
息を吹きかけられれば、流れる水となる。

(詩編 一四七編一八節)


 この句の前に「(主は)羊の毛のような雪を降らせ、灰のような霜をまき散らし、氷塊をパン屑のように投げられる。誰がその冷たさに耐ええよう」という数行があります。暑い気候の土地に住んでいたイスラエルの民にとって、雪とか霜とか雹はたいへん珍しい現象で、そのような不思議な現象を起こされる主の大いなる御力に驚嘆しつつ、その冷たさに降参しています。
 ところが、イスラエルの信仰は、同じ主が冷たく凍った雪や霜を溶かし、流れる水としてくださることを賛美することができました。気温が上がれば雪や霜は溶けることは、誰でも知っています。暖かい陽射しが雪や霜を溶かす現象を見て、イスラエルの信仰はそこに、凍り固まった事態を溶かし、流れる水のように地を潤す恵みに変えてくださる主の働きの比喩を見ているのです。
 個人を取りまく状況にも、世界の歴史の歩みにも、利害や主張が絡み合って事態が凍り固まり、人の力ではどうしても打開できないような場合があります。それを力づくで壊しますと、癒しがたい傷が残ります。
 わたしたちは主の御言葉を待ちます。主が御霊を注いでくださるのを待ちます。主の御言葉はどのように厚い氷をも溶かし、主の御霊はどのように冷たい対立も溶かし流すことを知っているからです。人の心に宿る御言葉と、人の心に注がれる御霊が、人を変え、周囲に波及し、状況を変革していきます。
 それは目に見えない僅かな変化であり、見えるようになるまでに長い年月がかかるかもしれません。しかし、わたしたちは耐え忍んで神の時を待ちます。御言葉と御霊の力により、律法という氷壁は溶けてユダヤ人と異邦人は一つになりました。奴隷制度はなくなりました。近くは冷戦が終わり、壁が崩壊しました。わたしたちは、すべてを溶かし、流れる水の祝福に変える主の御言葉と御霊の働きに信頼して、新しい世紀を待ち望みます。

                              (一九九六年五号)