市川喜一著作集 > 第1巻 聖書百話 > 第60講

60 五十年目の警告

「あなたがたも立ち帰らなければ、皆同じように滅びる」。

(ルカ福音書 一三章三節 私訳)


 一月十七日未明、激しい揺れに驚き飛び起きました。しばらくしてテレビが神戸の惨状を伝え始め、その被害は刻々と増えていきました。鉄筋のビルが横倒しになり、木造家屋が倒壊して燃えるにまかせられている様子を、息をのむ思いで見ました。今、日本は関東大震災、敗戦時の空襲と並ぶ歴史的大災害に直面しているのです。この阪神大震災で亡くなられた五千人を超す方々や、その遺族の心痛、負傷者や寒空に避難生活を強いられている多数の方々の労苦を思うと言葉もありません。
 この大災害に直面して様々な思いが去来しました。ここでは一つだけを取り上げて書いておきます。それは、今回の大災害を通して、この国の魂が高ぶった思いを砕かれ、へりくだった心を学ぶようにとの祈りです。
 この度の大震災は、人間の手が築いてきた繁栄とか文明、さらに生活そのものが、自然の僅かの変動で一瞬にして崩壊するものであることを、改めて実感させました。どの文明の隆盛も、どの国の繁栄も、どの個人の人生も、自分たちが築いた揺らぐことのない土台の上に立っていると考えるのは幻想です。それはすべて、天と地の創造者にして歴史の主宰者である神の許しの上に立っているのです。わたしたちはその方を畏れ敬い、その方の前にへりくだって生きることを学ぶべきなのです。
 わたしたちは五十年前の敗戦で思い上がりを打ち砕かれたはずでした。天皇を神とするという形で、自分たちの思いを絶対化することは誤りであると気づいたはずでした。ところが、その後の繁栄に幻惑されて、自分の欲望を神とし、畏るべき方を畏れないという、形を変えた高ぶりに陥っていたようです。敗戦時の反省がいかに不徹底なものであるかが暴露され、五十年目にして厳しい警告を受けたのではないかと感じられます。
 地震は断層やプレートの変動で起こるのだと、わたしたちは教えられています。たしかにその通りでしょう。しかし、そうして起こった現象をどう受けとめるかはわたしたちの心の問題です。この国の魂が今回の震災を高ぶった思いに対する国全体への警告として受けとめ、へりくだった心で、永遠に揺るがない神の真理に立ち帰るようになることを祈らないではおれません。

                              (一九九五年一号)